「レオニー」を見てきました(11月22日)
世界的彫刻家イサム・ノグチの母親であるアメリカ人女性レオニー・ギルモアの波乱の生涯を描いた映画です。
レオニーは大学でもちょっと変わった女の子で、一人でも強く生きていけるようにとの母親の願いを体現しているかのような女の子でした。そのレオニー(エミリー・モーティマー)が編集者募集の新聞広告を見て、日本人の詩人野口米次郎(中村獅童)のもとを訪れます。そして彼女は有能な編集者ぶりを発揮し、野口の詩や小説を次々に発表していきます。やがて二人は恋に落ち、二人の幸せな生活が続くかのようでしたが、日本がロシアと戦争をはじめ、アメリカはロシアを支持してアメリカに住む日本人にとっては厳しい時代となっていきます。
そして野口は日本へ帰るとレオニーに宣言します。その時レオニーは野口の子を妊娠していたのです。そのことを言っても、野口はそれを、自分をアメリカに引き止めるための嘘だと言って帰って行きます。失意の中レオニーはカリフォルニアの母のもとへ行きます。母の住んでいるところは、開拓地で畑に囲まれた田舎でした。そこで男の子を出産し、母と3人で暮らしていました。野口からの手紙や編集の仕事は届いていました。そしてある日受け取った手紙に「日本に来ないか」と書かれてあったのを読み、幼い息子を連れて日本へ行くことを決意します。
野口は横浜港まで迎えに来て、住む家も、お手伝いも準備し、月20円の月謝で英語を習いたいという3人の日本人も紹介してくれました。しかし、レオニーは妻として迎えられたのではなくいわゆる妾であるということがわかり、彼の元を去ります。
その後、アメリカで知り合った津田梅子のもとを訪ねますが、梅子に今の日本ではあなたのような立場の人に大学の仕事を頼むことはできないと断られます。ラフカディオ・ハーンの奥さん節子にはとても助けられます。そして、レオニーは二人目の子どもを妊娠し(誰の子供かは映画の中ではわかりませんでした)、これから生まれてくる子と息子イサムとの3人の家を作ることにし、イサムに設計をさせます。
イサムは家の設計をし、学校にも行かず、建築現場で親方の仕事を見ています。そして親方が彼にかんなやのみの使い方を教えます。完成した家で3人の生活が始まり、イサムの設計した二階の部屋の丸い窓からは海の向こうに富士が見えます。3人の幸せな生活が続くかと思いきや、イサムがアメリカへ行きたいと言い出し、彼を一人アメリカの寄宿学校へいれることにしました。しかし、彼が入った学校はやがて閉鎖され、学校が何通も手紙を送っていたのですが、当時の日米関係がよくなかったせいか郵便物は届かず、ある日まとめて山のような手紙が届いて、初めて学校が閉鎖になったことを知るのでした。
やがてレオニーは娘とともにアメリカへ帰り、イサムとも再会し一緒に暮らすようになります。当時彼は廃校になった学校で一人残されていたが、ある医者に助けられ、大学の医学部に通っていました。レオニーは彼には芸術家の血が流れているのだから、医者にはしないと言い放ちます。そして医者になる道はイサムが自ら選択したものであったにもかかわらず、彼は母親のこの言葉によって芸術家への道を歩み始めるのでした。そして彼は世界的に有名な彫刻家となったのでした。
この映画を見て、当時のアメリカの状況(戦争が始まれば相手国の国民を差別し、暴力的に攻撃するなどの行為が平然と行なわれていた)、日本の封建的な状況(レオニーを横浜へ迎えにいって、一緒に帰る時に米次郎がレオニーに「女は男の後ろを歩くのだ」といったことや男が妾を持つのは普通のことだったなど)がどれだけこの二人の人生に大きな障害となったことか。
米次郎が妊娠したレオニーを捨てて、一人日本へ帰国した彼の身勝手さも当時の日本人の感覚では当たり前のことだったのか。そして妾として彼女を日本へ呼び寄せるという彼のエゴイズム。それに対してレオニーは生まれた男の子の名前を父親につけてもらうのだと、ずっと名前をつけていなかった。横浜について初めて彼は「勇」という名前をもらったのだった。
ことばがわからない異国の地で強く生き、二人の子どもを育てたレオニーの生涯は波乱に満ちたものであった。すごい女性だったと思う。
「レオニー」 2010年 日本/アメリカ 132分
製作・脚本・監督:松井久子