中山道・太田宿から鵜沼宿まで歩きました(9月22日)
9時41分、千種駅から瑞浪行普通電車に乗り、多治見で太多線に乗り換え。美濃太田についたのは10時51分でした。
多治見から乗った太多線の気動車。無人駅が多く、列車もワンマン運転です。
駅から太田宿まで先週と同じ道を歩いて行きました。途中に美濃加茂市役所、モダンな造りの焼酎バー「和助」を見ながら歩いていると、市会議員候補者の街宣カーや歩いて回っている候補者に会い、歩いている候補者には「よろしくお願いします」と握手をされました。でも美濃加茂市の選挙権はないんです。「ごめんなさい!」
太田宿に入ると古い家が並び、本陣跡の前にある中山道会館に行き、スタンプラリーの2つ目のスタンプを押しました。ついでに中山道会館の中を見学し、千両箱や大判、小判、鎧などを見ていたら結構時間がたってしまいました。
中山道会館の庭に植えられた「榎とその宿木」です。宿木の寄生により榎本体が弱っているそうです。
そして、いよいよ太田宿を出て今日の目的地鵜沼宿を目指します。太田宿の西の出口に虚空蔵堂があります。この後は木曽川沿いの道を歩きます。国道21号線からは少し離れていて、日本ラインロマンチック街道と名付けられていて、自転車やランニングをしている人たちがいました。木曽川沿いの道はいいのですが、天気が良かったのでずっと日差しがあり、暑くなりました。ところどころにきれいなトイレが整備されていて助かります。
やがて坂祝町に入り、この町の名前が読めなくて何と読むのだろうと思っていたら町役場への案内板に「さかほぎ」と書いてあったのでわかりました。ちょっと国道のほうへ出てみました。歩道橋には町の花「サルビア」が描かれていました。
坂祝町町役場です。役場らしからぬデザインです。
国道沿いを歩いていると、赤と白の彼岸花がたくさん咲いているのを見つけました。
再び木曽川沿いの日本ラインロマンチック街道に戻り、しばらく歩くとまたきれいなトイレがあり、休憩所もありました。木曽川と対岸の山を眺めながら休憩。
さらに先へ行くと、勝山湊跡がありました。河港跡で、ここから年貢米を積みだしていたそうです。ここらあたりから木曽川のあちこちに岩が現れ、流れもやや急になっています。カヌーで川を下っている人たちがいました。
日本ラインロマンチック街道は勝山で終わり、あとは国道21号線沿いに歩道のある側を歩きます。しばらく行くと右手に巌谷坂之碑があり、そばに小さなお地蔵さんがありました。ちょっと山を登ると岩屋観音堂がありました。また国道に戻り歩いていくと、柿の木がたわわに実をつけて歩道に張り出していました。
国道沿いの店はつぶれて廃屋になっている店が目立ちました。やがてトンネルが見えてきて、あのトンネルを車と一緒に歩くのかと思っていたら、「中山道おりる」の看板があり、川のほうへ降りて大丈夫かと思っていたら、国道の下を通り反対側に出て、そこが「うとう峠」への入り口でした。
「うとう坂」は、歌でも歌いながら登って行かなければ登るのがつらいということで「うとう坂」と言われたとか。途中から石畳の坂になり、ようやく峠をこえるといきなり団地が現れ、広場には「もりの本屋さん」という図書館がありました。ここからはいわゆる宅地開発された鵜沼台で、住宅地の中を鵜沼の町へ下って行きました。
峠を下りきったところに赤坂の地蔵堂があり、二ノ宮神社がありました。鵜沼宿では鵜沼宿祭りをやっていて、鵜沼宿はたくさんの人でした。でも3時までということで、お祭りもそろそろ終わりでした。菊川の酒蔵で試飲をさせてもらい、五平餅を食べ、鵜沼宿駅へ向かいました。今日は各務原まで行くつもりで、各務原15:07分の電車で犬山へ向かうつもりだったので、その電車に鵜沼宿から乗ろうと思っていたら、その電車は急行で鵜沼宿には止まらず、15:27分の普通電車を待たなければなりませんでした。
犬山、上小田井で乗り換え、千種には4時半過ぎに到着。