「9歳の人生」を読みました(1月3日)
両親を亡くし、姉と二人で暮らしている男の子・キジョン。彼はやや妄想癖があり、平気でウソをつくのだが、ヨミンは最初彼の言っていることを信じていて、彼とはその後仲良しになり、姉が片腕の屑屋・ハ軍曹(ベトナム戦争で片腕を失くしてしまった)と結婚して、彼もいっしょにこの町を離れるまでいろんなことを教えてもらい、ともに体験するのでした。
また「洞窟ばあさん」と呼ばれるひとり暮らしのおばあさんが住んでいて、ヨミンのお父さんはそのおばあさんのために毎日水汲みを手伝ってやっていた。そのおばあさんについて「貧乏だからって誰もがかわいそうなわけじゃないわ。貧乏ってのは、ただ貧乏なだけ。いちばんかわいそうなのは、自分で自分がかわいそうだと思い込んでいる人ね」というヨミンのお母さんの言葉が印象的でした。
貧民屈で暮らしている子どもたちは、自分がかわいそうな子どもだとは全然思っていない。雨が降れば、雨漏りで寝られないという苦労はあるけど、だから自分はかわいそうだとは思っていない。
またお父さんの言葉で印象に残ったのは、次のような言葉です。「死とか別れってのは、もその人のために何もしてあげられなくなるから悲しいんだ。いいことだろうが悪いことだろうが、去ってしまった人には何もしてやれないだろう…。愛する人が自分の手の届かないところにいる、そのことが悲しいんだよ…」
また町には「引きこもり哲学者」という人がいて、彼は母親と二人暮らしで、母親は彼が将来りっぱな職業に就く、そのために今は勉強しているんだと思い込んでいたが、結局彼は首をつって死んでしまった。彼のことを巡って著者は次のように書いている。「人間の持つ欲望は無限に広がってゆく。乞食は王子になりたがり、王子は王になりたがり、王は神になりたがる。だがすべての欲望が現実となるわけではない。現実とうまく折り合わなかった欲望は、どうなってしまうのだろう。それは、僕らの心に巣食って腐り、わだかまりとなって干からび、しわくちゃになって、ついには傲慢や錯覚や妄想や虚栄や冷笑や悲しみや絶望や憂鬱や優越感や劣等感となって立ち現れる。こうした性格破綻の危機を避けるためには、二つの方法のうち一つを選択しなければならない。現実に合わせて欲望を変えるか、欲望に合わせて現実を変えるか…。」
この本の舞台となったソウルの「山の町」はその後の開発の中で撤去され、住民たちは周辺部へ追いやられ、周辺部の開発が進むとさらにその周辺部へと追い立てられた。ソウルオリンピック準備の過程でも「山の町」撤去は進み、2004年にはその面影はほとんど残っていないという。
「9歳の人生」 ウィ・ギチョル著 清水由希子訳 河出書房新社 2004年9月30日発行 1400円+税