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「おかあさんの木」を見に行きました(6月12日)

「おかあさんの木」を見に行きました(6月12日)_d0021786_17494437.jpgピカデリーへ「おかあさんの木」を見に行きました。

映画は現在の土地整備事業が進むのどかな田園地帯から始まる。凛と佇む7本の桐の木。そこは私有地のため、伐採の許可を得るために役所の職員二人が向かった先は、美しい老人ホーム。彼らを待っていた一人の老女・サユリ(奈良岡朋子)は、初期認知症でと庵意識がもうろうとするが、静かに呟く。「あの木を切ってはならん。あれはおかあさんの木じゃ」。そして彼女はあの木にまつわる義母の話を始めた…。

今から100年ほど前の長野県の小さな田舎での話。ミツはかねてから思いを寄せていた謙次郎(平岳大)とめでたく祝言をあげた。ミツは一郎、二郎、三郎、四郎、五郎と次々に男の子を生む。決して裕福とは言えない暮らしだったが、夫と子供たちに囲まれた幸せな生活を過ごしていた。六男は子どものいない姉夫婦に養子にと懇願され、生まれてすぐに養子に出した。名前も姉夫婦が誠と名付けた。さらに末っ子・六郎が生まれ家の中は賑やかだった。

しかし幸せな生活は長くは続かなかった。夫の謙次郎が心臓発作で急逝したのだ。愛する夫の突然の死に呆然とするミツを支えたのは6人の子どもたちだった。

それから数年後、すっかり青年に成長した子どもたちを今度は戦争が奪っていく。一郎、二郎と、「お国のために」という名目で華々しく出征してゆく息子たちを複雑な思いで見送りながら、息子たちが出征するたびに桐の木を庭に植えていく。そしてその木に「一郎、二郎、元気でいるかい」と話しかけるのだった。三男の三郎は目が悪く乙種合格だったが、彼のもとにも召集令状が届き、戦地へと発っていった。

そんな彼女をいつも気づかいし、心配しているのは郵便局員の夫の上司だった昌平とその娘・サユリだった。サユリは五郎に恋心を抱いていたが、自分の気持ちを言い出せず勤労奉仕に動員されていく。そして五郎にも召集令状が来て、彼も出征することになるが、3人の子どもを戦争で亡くしたミツは、五郎の出征の見送りはしないと言っていたが、やはり矢も楯もたまらなくなり、野良着姿のまま駅へ駆けつける。そして五郎の足にしがみつき、彼を引き留めるのだった。警察や憲兵がミツを足蹴にして、五郎から引き離した。

養子に出した誠も出征すると言って、あいさつに来た。そして六郎も戦地へ送られ、ミツは一人ぼっちになり、桐の木に話換えながら、息子たちの帰りを待っていた。

1945年8月、戦争に負けて外地から復員してくる人たちがいたが、ミツの息子たちは五郎が行方不明、残りの6人は戦死との通知を受け取っていた。それでも息子たちが帰ってくるかもしれないとミツは待ち続けていたのだった。そして1946年の冬、行方不明だった五郎が傷だらけの姿で帰ってくる。夢にまで見た懐かしい我が家、そして愛しい母を思い傷付いた足を引きずり、思わず駆け出す五郎。「おかあさん!五郎は今、生きて帰ってきました!」。やっとの思いでたどり着いた五郎が見たものは…。

五郎はサユリと結婚し、数年前に亡くなっていた。すべてを語り終えたサユリは疲れたように瞳を閉じる。そしてうわごとのように、再びあの言葉を繰り返すのだった。「あの木を切ってはならん…。あれはおかあさんの木じゃ…」。

7人もの男の子を生み、幸せに暮らしてミツは戦争によって6人の子どもを失い、生き残った五郎に会うこともなく死んでいった。国策遂行のために国民を洗脳し、多くの愛する人を家族のもとから引き離し殺していった国家とは一体何だったのか。死んでいった彼らは無謀な戦争に狩り立てられ、何のために死んでいったのか。

またぞろ安倍首相は自衛隊員は国のために危険を承知で任務に就いていると言い、彼らを戦地へと送り出そうとしている。安倍首相にこそ見てほしい映画である。

「おかあさんの木」 2015年日本 114分 監督:磯村一路 出演:鈴木京香、志田未来、三浦貴大、平岳大、田辺誠一、波岡一喜、市川知宏、松金よね子、有薗芳記、奈良岡朋子ほか
「おかあさんの木」公式HP
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by irkutsk | 2015-06-12 17:48 | 映画 | Comments(0)