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「望郷の鐘」を見に行きました(1月17日)

d0021786_2221688.jpg緑文化小劇場へ「望郷の鐘」を見に行きました。

この映画の主人公である山本慈昭は長野県阿智村にある長岳寺の住職であり、国民学校の先生でもありました。3つの村の村長から、満蒙開拓団の一員として満州へ渡って教師をしてほしいと説得されて、昭和20年5月1日にソ連国境の近くの満州へ渡りました。

その3か月後、突然、日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が攻めてきたのです。慈昭達一行は、何としてでも日本に帰ろうと、必死に逃げました。しかしソ連兵に捕まってしまい、勃利の街の収容所に入れられ、16歳以上の男は全員シベリアへ連れていかれたのでした。

妻や娘たちと離ればなれとなり、シベリアでの過酷な労働をさせられた慈昭は、奇跡的に1年半後に日本へ帰国することができました。

しかし、長岳寺にたどり着くと妻と子どもたちは日本に帰ってくることができず、満州で亡くなったと知らされたのでした。

世の中が民主主義となり、大きく変わりつつある頃、慈昭は開拓団の仲間たちのたどった運命を「阿智村・死没者名簿」としてまとめました。その後、満州にたくさんの孤児になった日本人の子どもたちがいることを知ったのです。それは、慈昭のもとに届いた中国からの1通の手紙でした。

手紙は中国人に育てられた日本人孤児からのもので、戦争で離れ離れになってしまった子どもたちが、両親を恋しく思い、再会したいという気持ちが詳しく書いてあったのです。「子どもたちは生きていた!」慈昭は、中国でたくさんの日本人が優しい中国人によって育てられていることを知り、孤児たちの日本帰国救済運動に生涯を捧げたのでした。

国策で国民を満州へ送っておきながら、慈昭が求めた孤児たちの帰国や、里帰りに対して何ら動こうとせずに、たらい回しにしていた政府でしたが、日中国交回復後ようやく残留孤児の調査、帰国、里帰りが実現しました。慈昭の下の娘・冬子もそうした残留孤児で、父親との再会を果たすことができました。

満蒙開拓団がどのようにして送り出されていき、中国では中国人の土地を取り上げ、そこに日本人を入植させたのでした。満州に行けば徴兵されないと言っていたのに、戦局が悪化してくると現地召集され、開拓団には年寄りと女、子どもしか残っていませんでした。関東軍将校たちは自分たちの家族はいち早く帰国させ、関東軍は南方戦線へ移動していったのでした。

送り出された27万人の満蒙開拓団のうち、日本へ帰国できたものは半数であった。シベリアへ抑留されて過酷な強制労働のために亡くなったり、逃避行のあいだにソ連兵に殺されたり、発疹チフスで亡くなったり、飢えと寒さで亡くなったり、まさに地獄の逃避行であった。

いい映画だったが、画面が暗く見にくかったのは残念だった。

「望郷の鐘」 2014年日本 102分 監督:山田火砂子 出演:内藤剛志、渡辺梓、小倉一郎、李麗仙ほか

「望郷の鐘」公式サイト
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by irkutsk | 2016-01-17 22:16 | 映画 | Comments(0)