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「日航機123便墜落の新事実」を読みました(8月12日)

d0021786_8441851.jpg今から32年前の8月12日、羽田を飛び立った大阪行き日航123便は18時56分、群馬県上野村の御巣鷹山の尾根に衝突して、乗客・乗員524名中、520名が亡くなるという大惨事が起こりました。

この本は元日本航空国際線客室乗務員で、国内線時代に事故機のクルーと同じグループで乗務した青山透子さんが書いたものです。

4人の生存者の一人、非番でこの飛行機に乗っていた日本航空客室乗務員・落合由美さんの証言によると、「墜落直後ヘリコプターがやってきた。これで助かる」と思い、かろうじて動く右手を振るが、ヘリコプターは遠ざかっていった。周りからも、はあはあと荒い息遣いが聞こえてくる。「おかあさん」「早く来て」「ようし、僕は頑張るぞ」そんな声も聞こえていた。

落合さんが地元の消防団によって発見、救助されたのは翌13日午前10時54分だった。

当時の上野村村長・黒澤丈夫氏によると「12日の晩に墜落現場は自分たちの村だとわかり、村民にも村内放送をして情報提供を呼びかけた。上野村に落ちたと政府関係者や県に連絡しても、まったくテレビに反映されず、長野県やら小倉山やら偽の情報が流れていた」という。

超低空飛行していた日航機を2基のファントムが追尾していたのを多くの村人や子どもたち、非番の自衛隊員が目撃している。低空飛行をしていた日航機の機体腹部付近に赤色で塗った楕円か円筒形に見えるものがあったという。

墜落後、ジェット機の燃料とは異なる成分のものが山中にまかれていた可能性がある。遺体は炭のような状態になっていた。筋肉や骨の中まで完全に炭化してボロボロと取れるほどの塊となっていた。救助に当たった消防団員は、「朝までくずぶって燃えていた、ガソリンとタールの混ざったような蒸した臭いがしていた」と証言している。

重要な証拠物の圧力隔壁が現場でほぼそのままの形で見つかったにもかかわらず、遺体収容や搬出困難といった理由で日米合同事故調査委員が来る前日の15日に自衛隊が大型電動カッターで5分割にしてしまった。

テレビや新幹線のニューステロップで「自衛隊員2名が射殺された模様」と流れたが、その数分後、誤報だったというニュースが流れた.。

上野村小学校の文集「小さな目は見た」と上野村中学校の文集「かんな川5」に子どもたちが書いた作文が残っている。これは事故直後、記憶が鮮明なうちに書かれたものである。
その文集に書かれた子供たちの証言に共通するものは次のようなものである。
1、墜落前に大きい飛行機と小さいジェット機二機が追いかけっこ状態であった。
2、真っ赤な飛行機が飛んでいた。
3、墜落前後、稲光のような閃光と大きな音を見聞きした。
4、墜落場所は上野村と特定できて報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所不明、または他の地名を放送し続けていた。
5、墜落後、多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車などを目撃した。
6、ヘリコプターは墜落場所をサーチライトのような強い明りで照らしながら、多数行き来していた。
7、煙と炎の上がった山頂付近をぐるぐると回りながら、何かをしている何機ものヘリコプターがブンブン飛んでいた。

日航機は横田基地に着陸しようとしていたが、横田を目の前にして、急に進路を左にとり、群馬県の山中へと方向を変えているのだろうか。

多くの証言をつなぎ合わせると、ミサイルによる誤射の可能性が高いと著者は言っている。当日、習志野駐屯地の第一空挺団も待機命令で準備をして行ける状態だった。米軍海兵隊はすぐさま行動を起こし、墜落現場の真上までヘリコプターでたどり着いていたにもかかわらず、「日本側が救助に行ったから」という命令が出されて、帰還していた。しかし、日本側の救助の飛行機が来たという発表はない。もし、自衛隊機が来たのであれば、墜落現場は特定されて、すぐ救助を開始していなければおかしい。しかし、上野村の子どもたちにも多数目撃された自衛隊のヘリや飛行機は、山頂で何かを上げたり、下げたり、サーチライトを照らしながら何らかの作業をしていたという。墜落現場がわかっていたにもかかわらず、人命救助をせずに、一晩中隠ぺい工作をしなければならなかったとすれば、その突発的事態とは何なんだろうか。

事故機の高浜機長はスコーク7700という緊急事態信号を出したその少し前からミサイルの存在を知っていたのではないか。低空飛行をしても、右に旋回してもついてくる。静岡を過ぎ、大月上空でぐるりと回ってみたもののさらについてくる。ファントム機のパイロットにも目視での確認を願ったところ、何らかのミサイルと思われるものが機体に付きまとっていると報告を受けたのではないかだろうか。そして「これはだめかもわからんね」とつぶやき、横田基地に着陸できないことを悟ったのではないだろうか。

赤い物体の存在が複数あった可能性もある。したがってその一つが日航123便の垂直尾翼に何らかの形で接触して一部を破壊し、もう一つが付きまとっていたとも考えられる。

32年前の520人が亡くなるという大惨事にもかかわらず、その全容が明らかでない。もし救助が速やかに行われていえば、もっと助かった人は多かったと思われるのに。事故直後自衛隊や機動隊は事故現場で何をしていたのか?上野村の村人が目撃している2基のジェット機の発進記録は残っていないという。どうして?上野村の村長が国や県や報道機関に墜落場所を連絡したのに、どうしてそれが速やかに報道されず、行方不明だとか別の場所を報道したりしたのか?謎だらけである。

政府は自分たちに都合の悪いものは隠す。そしてなかったことにする。その隠ぺい体質は今も森友学園問題、加計学園問題、防衛省の日報問題などを見れば明らかである。都合の悪いものはなかったことにする。人の命よりも自分たちの保身の方が大事という体質はいつまで続くのか。

「日航機123便墜落の新事実」 青山透子著 河出書房新社 2017年7月30日発行 1600円+税
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by irkutsk | 2017-08-12 18:54 | | Comments(0)