カテゴリ:日本語( 357 )

「何」の読み方(2月1日)

漢字「何」の読み方にはいろいろあるが、日本語学習者がまちがえやすいのが「なん」と読むときと「なに」と読むとき。この「なん」と「なに」の読み方はルールがあるので、それを教えると納得して、覚えてくれる。

「なん」と読むときは、「何」の次の文字が「た行」「だ行」「な行」のときと、助数詞の場合。
(例) 何でいきますか。 それは何の本ですか。 日本語で何と言いますか。 何台、何本、何人、何階、何枚など

「なに」と読むときは、「何」の次の文字が上記以外。
(例)何を食べますか。 何からはじめましょうか。 何が好きですか。 何色ですか。

ところが例外もあるんです。
「何曜日」は「何」のあとが「よ」ですが「なん」と読みます。でもこれは助数詞っぽいので「なん」と言ってもいいかな?

前回の授業で「何ら」が出てきたときには困りました。辞書を見ると「なにら」の音変化と書いてあるのですが、学習者にもともとは「なにら」だったと言っても、現在は「なんら」としか読まないので、例外として覚えてもらうしかないですね。

他にも「何人(なんびと)」というのもありますが、これも「なにびと」の音変化でした。
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by irkutsk | 2014-02-01 11:48 | 日本語 | Comments(0)

「おきに」の使い方(2月1日)

ボランティアで教えている日本語教室で、「一週間おきにN1の問題集と慣用句や読み物をやるから」と言って、「おきに」の説明をしたが、漢字を調べてみると「置きに」と書く。「2mおきにコーンを置いてください」、「10分おきにバスが出ます」など距離や時間で間を置いて繰り返すときに使うと辞書には書いてある。だが私が言ったのは、今週はN1問題集をやったので、来週は読み物や慣用句、再来週がN1の問題集ということである。

そこで「日本語文型辞典」(くろしお出版)で調べてみたら、「おもに時間や距離を表す言葉について、「それだけの間をおいて」という意味を表し、「ごとに」と置き換えられる。ただし、1という数の場合は、次の例のように「おきに」を「ごとに」に変えると意味が変わる。
(例)1年おきに大会が開かれる。(2年に1回)
(例)1年ごとに大会が開かれる。(1年に1回)

この解説を読んで、モヤモヤしていたものがすっきりしました。
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by irkutsk | 2014-02-01 11:12 | 日本語 | Comments(0)

黒川日本語教室学習者募集中(9月23日)

わたしがボランティアをしている黒川日本語教室で学習者を募集しています。日本語を母語としない方なら、誰でも勉強できます。毎週木曜日18時30分~20時15分まで北区黒川の総合福祉会館6階(北区役所と同じ建物です)でやっています。

学習者のレベルに合わせてクラスを作ります。日本語を勉強したい方は是非連絡ください。また、近くに日本語を勉強したい外国人がいましたら、紹介してあげてください。
黒川日本語教室のホームページはこちらから見ることができます。
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by irkutsk | 2012-09-23 21:33 | 日本語 | Comments(0)

黒川日本語教室学習者募集中!!(4月2日)

私がボランティアをしている黒川日本語教室では現在学習者を募集しています。日本語を母語としない方ならどなたでも本教室で学習することができます。週一回、木曜日の18:30から20:15までと月1回火曜日の同じ時間に開催しています。学習費は4月~9月(20回)で5,000円です。(教科書代は別途実費負担)

黒川日本語教室のホームページはこちらです。日本語を勉強したいという外国人の方が近くにいましたら紹介してください。

4月12日(木)が2012年度上期のスタートです。
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by irkutsk | 2012-04-02 21:35 | 日本語 | Comments(0)

「一」の読み方(10月20日)

昨日の授業の中で「一」のつくことばの読み方が気になり、何か法則らしきものはないのだろうかと帰る道すがら考えました。そして次のような仮説を立ててみました。ご意見があればお聞かせください。

「一」に続く文字が
あ行 「いち」 一位、一期一会、一握の砂、
か行 「いっ」 一回、一揆、一句、一軒、一個
さ行 「いっ」 一切、一生、一睡、一石、一層
た行 「いっ」 一旦、一朝一夕、一対、一定、一途
な行 「いち」 一難、一人区、一年
は行 「いち」「いっ」と読む続きのは行の文字がない。「ひと」と読むものならある。
   一片(ひとひら)、一ひねり、一筆
ま行 「いち」 一枚、一味、一面、一毛
や行 「いち」 一夜、一躍、一様、一葉、一翼
ら行 「いち」 一覧、一輪、一縷、一列、一路
わ行 「いち」 一羽、
が行 「いち」 一概、一隅、一見、一期一会、一号
ざ行 「いち」 一座、一次、一途、一膳、一族
だ行 「いち」 一段、一同
ば行 「いち」 一番、一部、一瞥、一望
ぱ行 「いっ」 一般、一匹、一分、一編、一本

まとめると「いっ」と読むのは次の文字が「か行」、「さ行」、「た行」、「ぱ行」の4つ。その他は「いち」と読む。例外として「は行」に続くときは「ひと」と読む。
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by irkutsk | 2011-10-20 09:47 | 日本語 | Comments(0)

「公」の解字(10月6日)

d0021786_90997.jpg昨日の日本語の授業の中で新聞記事を読んでいて「公」という漢字が出てきて、その読みを「おおやけ」と教えたのだが、どうして「公」という字が公という意味を持つのか気になって、家に帰って漢和辞典を調べてみた。すると「「公」は指示文字で「八」は開くの意味とも、「行」の甲骨文・金文の上半分と同形で、通路の象形ともいう。「口」は場所を示す。みなが共にする広場のさまから、公の意味を示す。常用漢字は口の部分がムに変形して公となった。」とのことである。

確かに甲骨文(こうこつぶん)・金文(きんぶん)・篆文(てんぶん)を見ると、道があって広場があると読める。広場はみんなが集まるところで、おおやけの場ということになったようだ。漢和辞典の解字(字の成り立ちの意味が書いてある)の欄を見るとどうしてこの漢字ができ、どういう意味を持っているのかがよく分かる。学校でただ闇雲に漢字を何回も書かせて覚えさせるよりも、その文字ができてきた成り立ちから教えると記憶に残るのではないだろうか。

引用 「新版漢語林」 大修館書店発行(1995年4月1日発行) より
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by irkutsk | 2011-10-06 09:00 | 日本語 | Comments(0)

「ニホン語日記2」を読みました(8月3日)

d0021786_1312499.jpg井上ひさしさんの「ニホン語日記2」を読みました。ちょっと古い本で井上ひさしさんが1992年7月から1995年9月に書いたものです。今から16~20年前のことも書かれていて懐かしく読めました。1993年は冷夏で米が不作で、外米を食べた年でした。青島東京都知事が誕生し、都議会である議員からの質問で「ハローワーク」を知っているかと聞かれ、知らないと答え、それを都市博中止に絡めて追及された話とか。若者のポケベル文法について、数字を使っていろんな言葉を表現する若者に感心していたり。子どもの名前を「悪魔」にするという届けが出され、受理するかしないかでもめたこともありました。

「常用漢字表」や「音訓表」、「字体表」、「筆順指導の手びき」などが子どもたちを苦しめ、漢字嫌いにさせている。そして学校教育では明治以来読み書き平行が行なわれており、読める漢字は書けなくてはいけないと指導している。大人でも日常使用している漢字は4000文字くらいで、それは読めるけど、書ける漢字となるとそれよりもぐっと少なくなる。それでなに不自由なく生活できるのだから、それでいいのだ。子どもには振り仮名付きの漢字をたくさん読ませ、読める漢字を増やすことが大事だ。

また言葉は常に変化しているもので、それを乱れと取るか、変化と取るか、それは歴史が決めてくれる。「全然」とくれば否定形になるというのが最近では「全然かっこいい」(とてもかっこいい)と使っている。これに対して言葉の乱れだと憤慨する方もいるが、「とても」もかつては否定文にしか使われていなかった(高くてとても買えない)が、「とてもきれい」などと肯定文にも使われるようになり、今ではだれもおかしいと異議を唱える人はいません。

さいごに「小股の切れ上がったいい女」とはどんな女か。小股とはどこのことか。ちょっと知ったかぶりの人はこの言葉で相手を馬鹿にして喜びます。「小股」の「小」は「ちょっと」という意味で、「股が人よりもちょっと切れ上がっている女」、つまり「足が長くてすらりとした女の人」のことをいいます。

日本語に関する短い話がその時々の話題と共に語られていて、おもしろくて懐かしい本でした。

「ニホン語日記2」 井上ひさし著 文芸春秋 1996年12月20日発行 1200円+税
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by irkutsk | 2011-08-03 13:01 | 日本語 | Comments(0)

「日本語教室」を読みました(7月13日)

d0021786_2043870.jpg井上ひさしさんの「日本語教室」を読みました。この本は2001年10月から毎月1回、4回にわたって上智大学で行なわれた講演「日本語講座」を本にしたものです。

第一講では「日本語はどうなっているか」と題して、ちゃんと日本語を勉強していないと、外国語を勉強する時に、第一言語(つまり日本人にとっては日本語)の範囲内でしか外国語は習得できないということを言っていました。

第一講でなるほどと思ったのは次の個所でした。
「小学校で英語を教えようということになったときに、ぼくは本当に危ないと思いました。すべてそうやって言葉は消えていくのです。言葉は実体がない。人間がそれを話すまでは、ないのと同じです。人間がそれぞれ持っている精神を、言葉というものに託したときに、つまり、人間がいてこそ言葉は生きていくわけです。人間がいなくなったら、言葉は消えるのです。」

第二講では「日本語はどうつくられたか」で、原縄文語は東北弁みたいなものだった。それが中国や朝鮮から技術を持った人が来て、だんだんとアクセントができてくる。そして稲が入ってくることによって、縄文時代は終わり、米が貯えられるようになると各地に豪族が生まれ、合従連衡して大和の豪族ができあがった。

「やまとことば」には「ン」という撥音、「ッ」の促音、「キュ、シュ」などの拗音はなかったし、母音もかつては8個あったが、7個、5個と減っていった。

第二講でよかったと思ったところは次の個所です。
「完璧な国などない。必ずどこかで間違いを犯します。その間違いを自分で気がついて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を他の国民が見たとき、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれるわけです。」

第三講「日本語はどのように話されるか」では五つの母音のうち口の一番前で音が出されるのが「い」で「えあおう」の順に口の奥で音を出すようになると言っていました。芝居の時に銀行名を出す時は「みつびし」でiが3つもあるので良く聞こえるが、「すみとも」は最初の「す」がuの音なので聞こえづらく「みとも」と聞こえてしまうので使わないということでした。

第三講でなるほどと思ったのは、連濁のところで「茶畑」は濁るが、「田畑」は濁らない。それは茶畑が畑の説明、茶の畑という関係にあるときは後ろの名詞が濁り、「田畑」は「田」と「畑」という並列の意味なので濁らないということでした。
また、日本人が余裕を持ってきちんと発音できるのは12音で、それが俳句の五七五や短歌の五七五七七に生かされているというところも、なるほどと思わされました。

第四講「日本語はどのように表現されるか」ではチョムスキーの「普遍的な文法の基礎の基礎は生まれたばかりの赤ん坊の脳にもすでに取り込まれている」という理論の紹介がしてありました。そして、日本語は南方系の言葉から派生してきたのではないかと言われていたが、北方系のウラル・アルタイ語族の中の一つであるという説が正しいのではないかと言っています。

また日本語を勉強する外国人にとって難しいのは数の数え方が二つあるということ、助数詞がたくさんあるということだという指摘は参考になりました。

講演をまとめた本なので、すらすらと読めました。もっと井上ひさしさんの日本語についての考え方を知りたくなりました。

「日本語教室」 井上ひさし著 新潮選書 2011年3月20日発行 680円+税
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by irkutsk | 2011-07-13 20:04 | 日本語 | Comments(0)

「日本語の再発見」を読みました(7月9日)

d0021786_21349.jpg石井勲さんの「日本語の再発見」を読みました。

文字がいつ作られ、それがどのように世界に広がっていったのか。紀元前3000年、チグリス、ユーフラテス川にはさまれた地域に住むスメール人によって初めて文字が作られた。そしてそれに触発されエジプト人、インド人、中国人がスメール後を手本に自分たちの文字を作った。フェニキア、ギリシヤ、ローマは音韻文字を借り入れるにあたっては、必要なものだけを借り、不要なものは借りなかった。そして必要なのにないものについては、自分で作り、新たにそれを組み入れた。イギリスやフランス、ドイツはそういう努力をせずにそのままそっくり取り入れた。

漢字の起源は紀元前1300年、殷王朝の時で、甲骨文が発見されている。漢字の欠陥は発音記号を創作しなかったことである。そのため文字の学習が困難であった。

国語教育についても書かれており、「幼児の頭の中で自然と働く帰納的思考や演繹的思考というものは思考の材料である言葉が豊富に頭の中に蓄えられていて初めて自然に働く作用であって、言葉がなくては頭は働きようがない。だから幼児期の国語教育の基本は「幼児に対する言葉の語りかけ」の一言に尽きる」と言っています。

また戦後教育最大の誤りは従来の読み中心の教育から、話す、聞く、読む、書くという四本柱にしたことである指摘しています。

文字の起源、漢字の起源、漢字はどうやって作られたか、日本の文字、日本の心、国語教育などについて筆者の奥深い研究がこの一冊にまとめられており、とても勉強になる一冊でした。

古い本なので新品の本はなく、アマゾンで中古本を買いました。10円という破格の値段でしたが、送料が250円で結局260円でした。

「日本語の再発見」 石井勲著 日本教文社 1988年9月1日発行 1400円+税
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by irkutsk | 2011-07-09 21:03 | 日本語 | Comments(0)

「連想式漢字記憶術」を読みました(6月29日)

d0021786_1252615.jpg石井さんは大正8年、山梨県甲府市に生まれ、大東文化学院で6年間漢文学を学びました。卒業後は高等学校の先生をしていましたが、その後中学校へ移り、その後小学校で1967年3月まで14年間勤務しました。小学校退職後は大東文化大学付属幼稚園長、松下政経塾個展専門講師として活躍され、2004年11月4日、85歳でご逝去されました。

石井さんの考えは漢字力が読書力につながり、読書力があらゆる学問をやる上で基礎となるので、まず漢字力をつけなければならない。ところが今の学校教育ではなかなか漢字力がつかない。ということで、大脳生理学的にも3歳から9歳までの間にたくさんの漢字を教え、本を読む楽しさを教えることが大切だといって、自ら小学校で実践し、成果を上げてこられました。

この本は、漢字学習をする上で、やみくもに暗記させるのではなくて、漢字というのは部首の組み合わせでできているので、それを説明して教えれば楽しく漢字学習ができるという石井さんの理論によって、漢字の部首を説明し、そこから派生する漢字の意味を説明している辞書的なものです。読んでみて、なるほど、この部首はそういう意味だったのか。だからこの漢字に使われているのだとか、新たな発見が次々と出てきます。日本語を教えている私にとっても目からうろこの一冊でした。

この本の最初の部分で漢字について書かれている部分があるのですが、そこで石井さんは「表音文字は、文字を創作できなかった民族が先進民族の文字を借りる時に必ず生ずる用法で、表語文字の代用品です。不便なのは当然であり、不便を承知で表音という手段に頼っているのです。」

「仮名は中国からの帰化人に教えられたものであることは事実ですが、教えられなかったとしても、また、日本人が優秀でなくても、日本人は仮名を作り出しただろうと思います。表音文字は外国の文字を借りるときに必然的に生ずる用法であって、全ての後進民族が例外なしに作り出しているものですから。」

「それに比べると、山をやまと読む用法は、今まで当然のことのように考えられていて、これに特別の価値を認める人がありませんでしたが、これこそは大いに誇ってよいことなのです。」

日本が漢字と同じ意味を持つ和語の読みを当てる訓読みを発明したことこそが、誇ることのできることだ言っています。

「連想式漢字記憶術」 石井勲著 朝日ソノラマ 1973年10月31日発行 650円
*この本は絶版になっていて新しい本を入手することは困難です。中古品はアマゾンで売っています。
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by irkutsk | 2011-06-29 12:05 | 日本語 | Comments(0)