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ロシアとMacと日本語

カテゴリ:感動したこと( 116 )

d0021786_548068.jpg名東文化小劇場へ「荻野克典の世界―その6」を聞きに行きました。荻野さんは60歳まで名古屋市立高校で世界史と政経を教えていました。定年前からシャンソンを学び始め、2009年からは毎年のようにソロコンサートを企画し、今回はその6回目でした。

バンドのメンバーも増え、今回からはヴァイオリンの松本一策さん、パーカッションのギヨルギエウ・美郷さんも加わり、荻野さんの歌を盛り上げていました。

前半8曲、後半8曲を歌いましたが、最も感動したのは「風に立つライオン」でした。すでに映画化(2015年3月公開)され、知っている人も多かったのですが、私は初めてでした。アフリカのナイロビへ赴任する若き医師の話で、彼は日本に恋人を残し、3年間アフリカのナイロビで治療に当たるのでした。一方彼女は父がやっていた離島の診療所のあとを継いでいました。そして3年目、彼女からの別れの手紙に対する返事を歌にしたのが、この曲でした。私も妻と母を残し、ロシアへ日本語を教えに行ったのですが、その時の体験と重なり目頭が熱くなりました。

もう一つ感動したのは「帰らんちゃよか」という歌で、熊本の両親が出て行った息子に対して、話しかけるような歌詞の歌です。自分たちのことは気にせず、また自分たちのことを口実にせず、自分がやりたいことをやりなさいという親の優しい気持ちがあふれた感動的な歌でした。

会場は開場前から長い行列ができていて、ほぼ満員でした。今後の活躍が期待されます。
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by irkutsk | 2017-05-20 18:00 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_2146491.jpg東文化小劇場へ戦争を語り継ぐ演劇公演「約束」を見に行きました。

1944年満州の開拓村へ少年義勇兵として赴任した丸山少年と開拓団の人々の物語。彼の赴任先はソ連国境に近い村だった。そこの団長は「五族協和」「王道楽土」のスローガン通りを実践していて、現地の満州人の信頼を得ていた。身寄りを亡くした丸山少年に団長の奥さんはやさしくしてくれて、自分が母親になってやると言う。満蒙開拓団で満州に行けば召集免除されるということでやって来た若い夫婦もいた。

ところが、戦況が悪化し開拓団の男たちにも召集令状が来て、45歳以下の男は根こそぎ召集されることになった。開拓団には女、子どもと老人だけが残された。守ってくれると思っていた関東軍に見捨てられ、ソ連軍の侵攻、恨みを持つ満州人による襲撃で、婦女子は自決を強いられた。母親たちは子ども自らの手で殺し、自らも命を絶った。丸山少年は団長の奥さんの死の介錯をした。「立派に死んでいったと郷里の人に伝えてほしい」という彼女との約束を果たすため、丸山少年は逃避行の道を選ぶ。

国策により満州へと送られた人々がソ連侵攻後、自決したり、悲惨な逃避行を強いられ多くの人々が日本へ帰ることができずに、命を落とした。この濃飛開拓団も47名全員が異国の地で命を落とし、帰郷は叶わなかった。

このような戦争で悲惨な死を遂げた人たちのことを、きちんと教育の場で次の世代に伝えていくことが大切なことだと思う。戦争とは人間を狂わせるものだということもきちんと教えてほしい。
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by irkutsk | 2017-05-06 17:45 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_11481694.jpg東文化小劇場へ戦争を語り継ぐ演劇公演「噂」を見に行きました。

舞台は日本三景の一つ、「天橋立」。軍事機密法の適用がどんどん拡大されて、天気予報までが軍事機密となった太平洋戦争のころ。新たに見つかったニッケル鉱山からニッケルを運び出すために、天橋立を200mに渡って切り、船が通れるようにするという計画が軍から近隣町村長を集めた会合で持ち出された。この件については軍事機密であるから一切他言は無用ということで、誰にも話せなかった。宮津町長だった三井長右衛門は他の町村長の一任を取り付け、自分一人が責任を負おうと覚悟し、天橋立切断に反対した。

その後、長右衛門は非国民で国賊だという噂が流れた。しかし、長右衛門は家業の薬問屋にあった金や品物を戦争で家族を亡くした家族に分け与えた。そして天橋立切断計画については軍事機密であるがゆえに妻にすら固く口を閉ざし、非国民という噂を立てられたまま、肺結核で亡くなった。

夫を信じ、夫亡き後も貧しい人々や、困難にある人々を助けてきた強い女性・奈賀。

当日はこの三井長右衛門・元宮津町長の娘さん、息子さんもこの劇を観劇に来ておられました。

戦争中の軍部の横暴、そして善良な市民が噂を広げ、天橋立を守ろうとした町長を苦境に陥れる。しかしそのような苦境の中でも町民を非難せず、戦争の犠牲となった家族を助ける。このような町長がいたということも、何の記録にも残されていないのが残念であるが、今回の劇によって見事に記録されることになったと思う。
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by irkutsk | 2017-04-29 17:44 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_5514922.jpg愛知県芸術劇場・コンサートホールは由紀さおり・安田祥子ファミリーコンサートを聴きに行きました。今回はファミリーコンサートを始めて30周年になるということでした。

第1部では「あの時、この時」、「みかんの花咲く丘」、「早春賦」、「おぼろ月夜」、「花かげ」、「里ごころ」、「朝はどこから」、「ぞうさん」、「ふしぎなポケット」、「ドロップスのうた」を若い男性デュオの「はもりべ」もゲスト参加して歌いました。1部の最後は歌とピアノで綴る“ゆりかごのロンド”で「ゆりかごのうた」から始まり、子どもがだんだん大きくなり、恋をし、結婚し、そしてまた母になり、「ゆりかごのうた」を歌うというストーリーで作られていました。この中で「思い出のアルバム」が歌われたときは、子どもの保育園の卒園式で子どもたちがこの歌を歌っていたのを思い出し、30数年前の光景がよみがえりました。ちなみにこの歌は次のような歌詞で始まります。


いつのことだか 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう
うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない
春のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう
ぽかぽかお庭で仲よく遊(あそ)んだ きれいな花も咲いていた
(以下省略)

第2部は「あしたへ贈る歌」、「花嫁人形」、「雨降りお月さん雲の蔭」、「緑のそよ風」、「涙くんさよなら」、「えんぴつが一本」、「翼」、「あのすばらしい愛をもう一度」、リクエストコーナー、「ソレアード~子どもたちが生れる時~」、「大きな古時計」、「トルコ行進曲」を歌いました。

由紀さおりの軽妙な語りと二人のすばらしい歌声で、歌のすばらしさを感じた2時間半でした。
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by irkutsk | 2016-05-29 18:48 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_13531276.jpg天白文化小劇場へ「双人変面ショー」と「荻野克典の世界」を見に行きました。今年、荻野さんからもらった年賀状にこのショーのことが書いてあったので、すぐに電話をして申し込みました。

ショーはまず劉東風、劉研夫妻による「京劇」、「西遊記より孫悟空大戦白骨精から始まり、変面の見事さに会場からはため息が出ていました。

その後は、鬼頭ひかる(ピアノ)、黄善花(チャンゴ)の伴奏で荻野克典さんが「百万本のバラ」、「ラ・ボエーム」、「汽車は8時に出る」、「愛は限りなく」、「グラナダ」、「望郷じょんから」の6曲を歌いました。

休憩をはさんで、第2部は鬼頭光さんのピアノ演奏、「星空のピアニスト」と「ハンガリー舞曲第5番」、そして黄善花さんの韓国舞踊「サルプリの舞」が演じられました。

そして最後に劉東風、劉研夫妻による「変面ショー」が行われ、二人合わせて30以上の面が次々と瞬時に変わる見事さに会場全員が驚嘆していました。二人は舞台からステージに降りてきて、観客のすぐそばで変面を見せてくれましたが、ちょっと首を振るだけで面が変わり、その見事さに息をのんでいました。

初めて生の変面ショーを見ましたが、本当にどうやって変面しているのか全くわかりませんでした。
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by irkutsk | 2016-04-24 17:51 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_8571770.jpg愛知県芸術劇場コンサートホールへ「辻井伸行×三浦文彰 究極の協奏曲コンサート」を聴きに行きました。

プログラムはまず、三浦文彰のヴァイオリンでベートーヴェンの「ロマンス第2番 作品50」、続いてメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」。

休憩の後、辻井伸行のピアノでリストの「コンソレーション 第3番」、「ラ・カンパネラ」、続いてラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18」でした。

二人とも若く、演奏も若々しい力強さを感じました。今後の活躍が期待されます。辻井伸行のピアノはなかかなかチケットが手に入らず、聴きに行けませんでしたが、初めて聞くことができ、感動しました。
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by irkutsk | 2016-02-17 21:56 | 感動したこと | Comments(0)

2007年、ロシアのジェレズノゴルスクにある「宇宙飛行士学校」で日本語を教えていたときの教え子・ナースチャが出張で豊田市に来ているということで、名古屋まで会いに来てくれました。

サンクト・ペテルブルグで日本語通訳として働いていて、今回も仕事でやって来たそうです。名古屋名物「ひつまぶし」を食べながら、お互いの近況を話し、楽しいひと時でした。

たくさんのお土産をいただきました。
袋もサンクト・ペテルブルグの絵がプリントされていました。
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ロシアでも高級な部類のチョコレートです
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わたしがリクエストしたチョコは製造中止になっていて、同じ会社のチョコレートを買ってきてくれました。
美味しかったです。
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サンクト・ペテルブルグの絵もいただきました。
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これは裏にマグネットがついていて、貼ることができます。10㎝×11㎝
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ほかに紅茶もいただきました。

サンクト・ペテルブルグからはフィンランドのヘルシンキ経由でフィンエアーで来たそうです。
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by irkutsk | 2016-02-16 21:30 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_06060465.jpg愛知県芸術劇場コンサートホールへヴァレリー・ポリャンスキーの指揮するロシア国立交響楽団を聴きに行きました。プログラムはチャイコフスキーの交響曲第4番、第5番、第6番でした。

満員のコンサートホールのステージに現れたのはいろいろな民族、年代、男女の楽団員たちでした。彼らのすばらしい演奏はチャイコフスキーの聞きなれたメロディーが、すごい迫力で迫ってきました。磨き上げられた演奏技術、ロシア人の演奏するチャイコフスキーはさすがでした。CDでは味わえない至福のひと時を味わいました。

それぞれの交響曲は1時間近くかかり、2回の休憩(各20分)を挟んで演奏され、13時開演、終了は425分でした。演奏終了後は鳴りやまぬ拍手と、ブラボーの声でした。


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by irkutsk | 2015-07-19 17:04 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_224239.jpg愛知県芸術劇場コンサートホールへ由紀さおり&安田祥子ファミリーコンサートを聴きに行きました。今年はHAMORI-BEという男性二人のグループも参加しました。
第一部では「あしたへ贈る歌」、「故郷」、「故郷の空」、「旅愁」、「ビリーブ」、「この道」、最新のCD「花コレクション」にも収められている「花のメドレー」を、第二部では「風」、「四つの季節の歌」、会場からのリクエストに応えて数曲、最後は「ソレアード~子供たちが生まれる時~」、「トルコ行進曲」、「赤とんぼ」を歌いました。

由紀さおりのトークも味わい深く、保育園に行ったとき「若いお母さんたちに100人ぐらいいた中で、子どもに子守歌を歌って寝かしつけているお母さんは5人だけだった。読み聞かせをしているおかあさんを加えると15人。あとのお母さんたちは何をしているんでしょうね」という話だったり、日本には子どものための童謡や唱歌がたくさんあり、これは外国にはない貴重な財産だということでした。

「ソレアード~子供たちが生まれる時~」の歌詞は次のようなもので、感動的な歌でした。
子供は新しい光をつれてくる
青空に虹をかけ 夜空に星を生む
子供は人々に夜明けを告げに来る
争いや憎しみは
もうこれで終わりだと
すべてが
すべてが
バラ色に
輝く
輝く
この世界
この世界
忘れてた
忘れてた
やすらぎを
やすらぎを
教える
教える
子供たち

私たちは待っている
すばらしい子供たちを
白い肌、黒い肌、黄色い肌
みんな同じ 未来からの天使たちを
涙をほほえみに 憎しみを愛に
戦いを平和に変え
すべての人々を兄弟にしてしまう
子供たちを
それはまだ夢だけど
見果てぬ夢だけど
いつの日かきっと来る
その夢のかなう日が
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by irkutsk | 2015-04-11 17:03 | 感動したこと | Comments(0)

d0021786_936124.jpg内田樹氏が「建国記念日不承認 2・11愛知県民のつどい」で講演するということを友人から教えてもらい、聞きに行きました。講演の題名は「グローバル資本主義の終焉と、来るべき世界」でした。

建国ストーリーはどこの国にもあるという話から始まり、彼の専門がフランス現代思想なので、フランスについての例が多く出され、「フランスは実は戦勝国ではなく敗戦国だ」ということが説明されました。ドイツ軍はフランスの北部を直接統治し、南部はヴィシー政権(イギリス以外の国が承認)が統治し、ドイツの占領政策に協力した。そしてフランスでは戦後ヴィシー政権が行ったことは隠蔽されてきた。また、フランスは階層社会であり、下層の人は文化資本を獲得しなければ上の階層には行けないということです。

敗戦処理について、ドイツはすべての穢れをナチスに押し付け、わたしたちも被害者という立場をとった。そして戦後ずっとナチスに対する完全な禁圧があった。日本では戦後、大東亜共栄圏についての本も自由に出せるし、戦争責任の追及がぬるい。フランスではヴィシー政権のことは教科書にも載っていない。

また内田氏の「若者よマルクスを読もう」が韓国語に翻訳・出版されたことを例に、東アジアでマルクスを研究できたのは日本しかなかったというのが現状だと言っていた。マルクス主義政党があるのは日本とフランスだけだ。だんだんと狭められているが、外国に比べてまだ日本には言論の自由がある。イスラムの風刺画を描いてテロにあったフランスで、言論の自由を求めるデモがあった時、「それはおかしいんじゃない?」ということが言えなかった。

そして日本の明治以後の歴史について、1928年に山形有朋が死んで陸軍の長州閥支配が終わった。そしてかつての賊軍(明治政府成立に反対した藩)の子弟が陸軍の上層部に入っていくようになった。だがまだ戊申戦争の影響は残っている。かつて原敬(盛岡出身)は、「薩長の政府から勲章をなんかもらわない」と言っていたし、靖国神社も明治政府は官軍のみをまつっていた。また食文化や方言にも藩の意識はまだ残っている。

最後に国民国家はもう使えなくなってきた。グローバル資本主義は国民国家の持つ様々な規制を取り払おうとしており、アメリカ主導のグローバル資本主義が世界を席巻するかに見えた。しかしその前に立ちはだかったのがムスリムだった。アフリカから中東、インドネシアまで16億人がムスリムで、食習慣、宗教、言語が同じである。イスラム共同体の平均年齢は29歳である。

そしてどうやって世界の人たちと共生していくのかについても述べ、「国境を越えてつながっていく」、「そのためには国論の統一をしてはいけない」、「外から見たら取りつくしまがある」という状態にしなければならないと言っていました。

かつてアメリカがベトナムと戦争をしていたとき、世界中の若い人たちが反米的だった。そしてアメリカの中にも反権力の若者たちがいて、かれらとは連帯することができた。そういう意味からも国論を統一してはならず、多様な言説のレイヤーを保持していくことが大切だ。

「資本主義はもうすぐ終わるよ」ということをみんなで広めようということで話を結ばれました。

内田氏は今後、講演活動はしないということで、貴重な講演を聞く機会となりました。
会場は主催者の予想を超える参加者で、立ち見の人たちもたくさんいて、冬なのに冷房が欲しいくらいの熱気に包まれていました。
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by irkutsk | 2015-02-11 18:34 | 感動したこと | Comments(0)