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ロシアとMacと日本語

11月10日から伏見ミリオン座でロシア映画「この道は母へとつづく」が上映されます。2006年の作品で、久しぶりの新しいロシア映画です。23日に試写会があり、一足先に映画を見てきました。

現在のロシアが舞台で、孤児院にいる6歳の男の子ワーニャはイタリア人夫婦に養子にもらわれていくことが決まります。他の孤児からは「イタリア人」と呼ばれ、うらやましがられます。しかし、しばらくして同じように外国人に養子としてもらわれていった子のお母さんが尋ねてきます。でも孤児院からは剣もほろろに追い返され、その日の夜、彼女は列車に飛び込んで自殺してしまいます。この話を聞いてワーニャは、自分の母親がもし自分がいなくなってから自分を迎えにきたらと思うと、いてもたってもいられなくなります。自分の書類を盗み見して、以前にいた孤児院を探り当てます。そこに行けばお母さんのことがわかるかもしれない。そして孤児院を抜け出します。同じ孤児院にいる年上の女の子が一緒について来てくれますが、駅で彼女は時計を盗んだ相手に見つかり、警察に連れて行かれます。そしてワーニャのたった一人の旅が始まります。はたして彼は母親に会えるのでしょうか。

現在のロシアの状況が生き生きと描かれている傑作です。孤児院の子供達はアルバイトをして小遣いを稼ぎ、みんなの財産としてそれを管理している年長者の若者、孤児院の子供達を外国へ養子に出すことで、儲ける孤児院の院長や仲介業者など。
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by irkutsk | 2007-10-25 14:07 | ロシア | Comments(1)

日本に帰ってきて、早5日目。ロシアの生活ははるか彼方のような気がする。時々ジェレズノゴルスクからメールが来ると思い出すが、あまりにも環境が違いすぎると、二つの生活の間につながりが感じられない。

でも道路を渡るときは、左を見て、右を見てわたる癖が付いているし、車が左折、右折してくるとついつい止まってしまう。ロシアは車優先、日本のように歩行者優先だからと堂々と渡っているとはねられてしまう。横断歩道を渡るときもできるだけロシア人の後ろについて渡るようにしている。

名古屋は連日、20度を超す暖かさだが、ジェレズノゴルスクでは20度を超す気温は夏だけである。夏と言っても8月はもう秋の始まりで、本当の夏は6月、7月だけと短い。湖で泳げるかと水泳パンツを持っていったが、一緒に行く人がいなくて泳げなかった。暑い日は何日かあったのだが……。

日本に帰ってきて、一番ホットするのはトイレ。紙も流せるし、シャワートイレだし、外へ行ってもあちこちにきれいな公衆トイレがあるし。ロシアの便器は構造上、大きな欠陥を持っている。便器の前に穴があり後ろから水が流れる。だから使用後は毎回ブラシで便器を掃除しなければならない。だからと言うわけではないかもしれないが、ロシアのトイレには必ずトイレ用のブラシが置いてある。水も日本のトイレのように便器の周りからは水がでない。後ろから出るだけだ。

でもトイレの高さが日本のトイレは低い。ロシアのトイレの高さになれていると尻餅をつきそうになる。洗面所の洗面器も日本のは低すぎる。かなり腰を曲げて使わなければならない。住んでいるマンションは26年前に建てられたものだから、今は洗面器の高さも、もっと高くなっているかもしれないが。
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by irkutsk | 2007-10-17 13:30 | 日本語 | Comments(0)

1時前に空港に着いたが、チェックインが始まったのは1時半だった。荷物を名古屋まで預かってくれるかと聞いたら、ペキンまでだと言われる。一度入国審査を通って、荷物を受け取って、また出国審査を受けなければならない。ロシアの出国審査は無事に通過でき、セキュリティーチェックもペットボトルを取られただけでパス。ロシアでは全員上着を脱いで、靴を脱いでかごに入れてレントゲン審査を受けなければならない。ズボンのベルトも外さなければならない。だだっ広い搭乗待合室で飛行機の搭乗案内を待つ。眠たい!椅子は金属製の固いいすなので、長時間座っているのも疲れる。出発時間が近づいても一向に飛行機に乗せてくれない。またイルクーツクからの飛行機が遅れるのかとハラハラ、ドキドキ。

出発時間の3時55分を過ぎてようやく飛行機に乗せてもらえる。このときも一切案内はなく、係員が二人、出口の扉のカギを持って来たのを見て、みんな出口のほうへ集まるという超原始的な方法だ。この時間出発便は北京行きしかないので、他の便の人が間違えて出て行くということはないから、これでもいいのかも。外に出ると寒い!タラップの下までバスで運ばれ、そこで待たされる。しばらくしておばさんが降りてきて、第一サロンの人からと言う。私は5Aで第一サロンなので先に乗せてもらえた。私の座席は窓際で、横には1人で1.5人分くらいの席を占める大関級のおばさんが来て、私は小さくなっていた。飛行機は30分遅れで出発。上に上がると機内食が出たが、スヴェータのお母さんのところとイーラのところでたらふくご馳走になった後だったし、眠たかったので断ったが、隣の大関はしっかり食べていた。だから太るのだ。ロシア人に太った人が多いのは食べ過ぎが原因だ。肥満防止キャンペーを政府がやれば良いのに。ロシアも人口減少国なのだから。

北京の気温は20度という案内放送があった。暖かい!北京まで2時間25分。約30分遅れて4時25分に出発したので、北京空港に着いたのは6時50分(北京とイルクーツクは+1時間の時差がある)。8時25分の名古屋行きまで1時間35分しかない。イルクーツクで預けたスーツケースをもらうために中国に入国しなければならず、あせる。飛行機に乗せるのは第一サロンからだったが、降りるのは第二サロンからと言われ、おまけに隣の席の大関が動かないことには私は出られない。ほぼ最後に出ることになった。北京空港はターミナルビルまで直接飛行機から入れるようになっている。日本では一般的な形だが、ロシアではまだモスクワのシェレメチェボ空港でしか見たことがない。

北京空港はわかりやすく、明るくて近代的な新しい空港だった。入出国カードを記入し、入国審査を受ける。長い行列ができていたが、一人当たり約20秒で進んでいたので5分くらいの待ち時間で通過できた。そのあと入国検疫申告書を書いて提出し、手荷物受取へ急ぐ。ところが8つくらいある手荷物受取の場所で荷物が回っているのは2つだけ。それもモスクワとどこかヨーロッパの国からで、イルクーツクからのがない。男の係員に聞くが、あせっているのでついついロシア語で聞くが分からない、383便を中国語読みで「サンパーサン」といってもわからない。英語で言ってくれといわれる。ちょっと落ち着いてロシア語を英語に頭の中で翻訳して、やっとイルクーツクからの383便の荷物はどこかと言うことを聞くことができたが、彼はわからないのであちらのカウンターで聞いてくれと言われた。カウンターに行くと誰もいないので奥の部屋をのぞくと係員が出てきた。もう一度説明して、彼女が調べに行ってくれた。待っている間に他の職員が来て、「ニー・ハオ」と挨拶してくれて、「どうしましたか」というしぐさをしてくれたが、もう頼んであるとやはりしぐさで答え、話は通じた。調べてくれていた係員が戻ってきて「2番テーブルから出ている」と教えてくれた。そこに行ってみると荷物が回っていて、私のスーツケースもあった。入国税関申告書を書いて提出し、出口へ。

今度は出発ロビーへ行かなければならない。案内板に飛行機が飛び立っている絵があったので2階が出発ロビーだとすぐに分かった。エスカレーターで2階に上がりチェックインカウンターに並んだが、イルクーツクで荷物を預ける時に20.3キロだったのを思い出し、スーツケースを開けてスヴェータのお母さんがくれたチョコレートをリュックに移した。イーラにイルクーツクの税関で取られるかもしれないのでスーツケースに入れたほうが良いと言われて入れたものだ。おかげでスーツケースは19.7キロで追加料金を払わずにすんだ(イルクーツク-北京は35キロまで無料だったが、北京―名古屋は20キロ)。次にセキュリティチェック。リュックからパソコンを出してもう一度通してくれと言われる。そして財布やケータイ・カギを出してゲートを通ると警告音が鳴り、棒で身体をチェックされるがなにもなくてOK。ようやく出国審査の行列に並ぶ。ここも長い列ができていたが、スムーズに流れていた。ようやく搭乗口までいけたのは出発1時間前の7時25分だった。

ホッとして旅の日記を付けていると、周りで日本語が飛び交っており、ようやくもうすぐ日本だという実感がわいてきた。すぐに搭乗案内が始まり、8時には飛行機に乗る。飛行機はボーイング737でロシアのTU-154より幅が広く座席はゆったりしているが、前の座席との間隔は日本の飛行機に比べると狭い。定刻になっても飛行機は停まったまま。少し動いたがまた動かなくなる。離着陸の飛行機が多くて混んでいるという案内が大分たってからあった。ようやく離陸できたのは1時間遅れの9時20分だった。機内食はサンドイッチ、ザーサイ、おかゆ又はパン、果物の缶詰、水という質素な内容だった。朝ごはんだからなのか。1時間遅れて出発したにもかかわらず、名古屋に着いたのは30分遅れの12時50分だった。入国審査は簡単に済み、荷物の受取に行くが、まだ出ていなかった。しばらく待って動き始めるとすぐに私のスーツケースが出てきた。税関申告のところでは「旅行先は北京でしたか」と聞かれたが、説明するのが面倒なので「はい」と言って通過。出口を出ると妻と兄と母が迎えに来てくれていた。お昼は空港内の店でかき揚げ天丼を食べる。サクサクに揚がっていておいしかった。久しぶりに日本の味を味わい、暑くなった。昨日までは0度前後のところにいたので、シャツの上にセーターを着て、更にロシアで買った暖かいジャンバーを着ていたが、名古屋では暑い。半袖を着ている人もいる。さすがにジャンバーは手に持っていたが、セーターは着たままで、車に乗ってから脱いだ。1時間足らずで我が家に到着。1月の正月明けまで長~い休みだ。
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by irkutsk | 2007-10-14 21:47 | 日本語 | Comments(0)

明るくなって目が覚めたが、まだ横になっていた。大分明るくなってきたところで時計を見ると、7時半だったので起きることにした。トイレに行くととてもきれいだった。アレクセイさんにおどかされていたので、覚悟していたが大丈夫だ。洗面器には石鹸も置いてあったので、それを使って顔を洗った。上の人が起きてくるかと思ってしばらく待っていたが、一向に起きてこないので朝ご飯を食べることにした。昨日買ったばかりのカップにティーバッグを入れて車掌室の前にある給湯器からお湯をもらった。飲み水も反対側にあった。1.25リットルの水のペットボトルを持ってきたが、必要なかった。おにぎりを食べ、紅茶を飲み、りんごを食べて、本を読んでいると上の段の中年の女の人が起きてきた。挨拶はしたが、あまりしゃべらない人でしばらく補助いすを出してコーヒーを飲みながら本を読んでいたが、またベッドへ上がって行って本を読んでいた。

列車の窓から見える景色は枯れた野原、葉がほとんど落ちてしまった白樺と松の林が広がる単調なもので、カメラを出して数枚写真を撮ったが美しい風景ではない。大学の日本センターにあった武者小路実篤の「愛と死」(宇宙飛行士学校の私の前々任者が残していった本)を借りてきて、列車の中で読んだ。前々任者の書き込みがあちこちにしてあり、小説そのものよりもこの書き込みのほうが面白かった。

時々駅に止まるが、案内放送もないし、日本のようにホームに駅名の表示板もないので、今どこに停まっているのかわからない。ある駅で列車が停まった時に、東洋人が数人ホームに下りてタバコを吸ったり、しゃべっているのを発見。日本人ではない。中国人のようだ。
1時にまた大きな駅に停まる。たくさんの人が降りて、ホームでピロシキやジュース、ビールをおばさん、おばあさんから買っている。私も買いたかったが、食料をいっぱい買い込んでいたので買えなくて残念だった。車掌にこの駅の名前を聞くと「ジマー」(冬と言う意味のロシア語)だという。時間があったのでホームに出て列車を見ていると、19号車まであるが、間がとんでいて、実際には10両ぐらいしかつないでいない。私が乗っている18号車と最後尾の19号車はウラン・ウデ行きで、前の8両ぐらいがモスクワ-ハバロフスクを走っている。次はどこという案内放送もないので、降りる人は車掌にここはどこと聞いてから降りている。

同室のおばさんが、列車が4時間も遅れているというので、びっくりした。7時45分到着予定が11時45分になってしまう。空港へは1時まで行かなければならないので、イーラのうちへ寄っている時間はなくなってしまう。ところがこの情報は間違っていて、列車は遅れているが1時間くらいだということを車掌に聞いた。19時45分に着く予定だったが、着いたのは20時45分だった。ホームに降りるとイーラが迎えに来ていた。2年前に免許を取り、車を買ったそうだ。イーラは日本に留学していて知り合いになったスヴェトラーナの友達で、14年前にわたしと家族がイルクーツクに行った時、バイカル湖へ案内してくれた女性で、現在は大学で英語の先生をしている。車の中で彼女の娘のマーシャ(11歳)が待っていた。マーシャに会うのは5年ぶりで、ずいぶん背が伸びていて、きれいになっていてびっくりした。マーシャは5年生で数学・物理コースで学んでいるという。英語の成績は良くないとイーラがこぼしていた。イーラの車の運転は下手で、横に乗っていてもひやひやしていた。

まずスヴェータのお母さんのところへ行ってごちそうになった。スヴェータは現在、日本で働いている。スヴェータのお母さんは魚のフライや、サラダ、鮭の燻製、イクラのオープンサンドなどを作って待っていてくれていた。お腹がいっぱいになり、今度はイーラの家へ。お母さんが料理を作ってくれているという。町の中を通って彼女の家まで行ったが、町がきれいになっていた。そして街路灯がむちゃくちゃ多くなって、明るくなっていた。イーラの家ではスイカを食べ、キエフ風カツレツを出してくれ、イーラがサハリンで買ってきた(10月5日まで出張でユジノサハリンスクへ行っていたそうだ)大粒のイクラをパンにのせて出してくれた。彼女の家は扉や床、壁、天井、台所などを改修してすっかりきれいになっていた。ソファーも新しい物になっていた。マーシャは明日も学校があると言って12時には寝た。

12時半にタクシーを呼んでもらって、空港へ。
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by irkutsk | 2007-10-14 21:46 | 日本語 | Comments(0)

今朝も気温は-5度。でもお天気は快晴で、バス停でバスを待っていても、日なたにいると暖かい。今日は今年最後の授業で、1年生のひらがなとカタカナの総仕上げだったが、聞き取りをやらせたら、いまいちだった。ちょっと残念。ジェーニャがやはりネックで、読みもジェーニャのところで時間がかかるし、その間他の学生は退屈そうにしたり、イライラしたりしている。授業風景を写真に撮り、最後にみんなで記念写真を撮って終わった。授業の後でユーリャにいぼいぼのついた健康サンダルを頼まれた。マーシャには和露辞典を頼まれた。

手伝ってほしいといっていた車関係の会社の人が来て、車で店まで連れて行かれた。パソコンのことで日本語が分からないのでというので、そこまで行かなければならなかった。車の部品を扱っている店で、トヨタから部品のカタログをダウンロードしていたのだが、うまくいかないらしくて、エラーが出る。これは日本語の問題というよりもコンピュータの問題なのでせっかく行ったけど、役に立たなかったようだ。

「シュコーリナイ」の近くだったので、列車の中で食べるものや飲むものを買った。ナジェージュダに時間が長いから食べるものを買っておかないとと言われたので。

晩御飯はご飯を炊いて、人参ジャガイモを千切りにして炒めて卵を入れて食べた。明日の朝ご飯用におにぎりを作って、プラ容器に入れて、持って行くことにした。リュックの中はノートパソコン、イーラへのお土産、列車の中で食べる食料で一杯になった。2日間風呂に入れないので、シャワーを浴びることにした。9時を過ぎると何もすることはないし、眠たくなってベッドの上でウトウトしていた。

11時15分に部屋を出ると丁度ナジェージュダが来た。「電話しても出なかった」と言うが、電話はならなかった。彼女の夫の運転するマツダの車でクラスノヤルスク駅へ出発。夜は車も少なく、1時間あまりで着いた。駅の案内板を見ると、12時30分に列車が到着すると表示されていたので、荷物を持って来て、しばらく待つと列車が来るとの案内放送があり、ホームへ出る。18号車は後から2両目で、乗るときにチケットとパスポートを車掌に見せて乗り込む。ロシアの駅には改札がないので、プラットホームまでは自由に入れる。だから列車の入り口で車掌がチケットを調べる。プラットホームは日本のように高くないのでスーツケースを列車に運び上げるのは大変だったが、ナジェージュダが手伝ってくれた。私の座席は37で車掌室の隣の2人部屋だった。クペーは4人部屋だが、端っこで4人分の場所が取れなかったので2人部屋になったようだ。上段にもう中年の女性が寝ていた。どうして中年の女性だと分かったかというと、壁にかけてあったコートからだ。ナジェージュダと、彼女の夫と別れの挨拶をして彼らは帰って行った。列車が動き出すと、車掌が切符を見に来て、回収していった。そしてすぐにシーツ類を持ってきた。シーツを敷いて、枕カバーをかけて、毛布にカバーをかけて寝る。頭の方(窓際)からすきま風が入ってきて寒い。もちろん暖房は入っているが‥‥。
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by irkutsk | 2007-10-11 17:29 | 日本語 | Comments(2)

今朝はなんと5時に目が覚めてしまった。まだ早いのでもう一度寝たら、次に目が覚めたのは7時10分だった。外の温度計を見ると-5度だった。今年一番の冷え込みだ。お腹が冷えたのか朝から3回もトイレに通う。お腹が痛いわけではなく、お腹がゆるい感じですぐにトイレに行きたくなる。昨日の夜は豚の脂身の燻製と卵を混ぜて焼いて食べ、日曜日の残りのサラダを食べ、パンをふた切れ食べただけだし、夜中にお腹が痛くなったわけでもないので食あたりではない。まあ、とにかく朝ご飯を食べに行くことにした。朝ごはんはトゥボルクを焼いたのにコンデンスミルクをかけたもの、パン、バター、チーズ、ミルクコーヒー。

朝ごはんのあとはメールの確認とブログのアップ。今日も無事にパソコンが動いてくれたことに感謝。あと1日よろしくと頼んできた。昨日は9時20分過ぎに出て、30分もバスを待って寒かったので、今日は少し早めに出かけた。今日は朝の気温は低いが、風がなくお天気で日が当たっていたので、日向にいるとさほど寒さを感じない。バスは10分ほどで来たけど、久しぶりに料金徴収係のおばさんが乗っていた。

バスの窓から外を見ていると、つい先日まで黄金の秋で全てが黄金色に輝いていたのに、今は木々の葉が舞い落ち、裸になった木の枝が冬の寒さを思わせる。バスを降りて歩いていると、花壇に植えてあった花が霜にやられて、全部刈り取られていた。道路の水たまりは凍っている。大学まで歩くのに手を出していると寒い。手袋を買わなくては。温かいミトンを持っているが、もうスーツケースに入れてしまったので。

大学に行くと、またジェーニャがやって来て、中国語の学習CDをやろうとしていたので、日本語の同じシリーズのCDがあると言って見せたら、それをやり始めた。10時15分になったので教室に行くと、アンナが一人で待っていた。クシューシャはさっき大学の入り口で見かけたのにどこへ行ったんだろう。少し待ってみたが来ないので、昨日ドミートリーとクシューシャに教えた、「ない形」の作り方と、それを使った文型を教えた。彼女に筆ペンをあげて、彼女から画集をもらった。3時間目も彼女は出席で、17課の問題2まで終わることができた。次から授業をやってくれるアリョーナには18課からやってもらうことにしよう。

授業が終わって、市場によってキーシュ・ミーシュを買って宇宙飛行士学校へ戻った。今日もバスがなかなか来なくて、宇宙飛行士学校に着いたのは3時だった。3時半から2年生で、今日から新しく入ったダーシャという女の子がいた。やっぱり女の子はかわいい。今日は筆ペンを渡して、字を書かせたり、新聞紙でかみでっぽうを作ったり、折り紙で手裏剣や飛行機を作って遊んだ、次に3年生の部屋に行き、日本の琴の音楽を聞かせ、筆ペンを渡して字を書かせた。デジカメで記念写真を撮ろうと思って持っていったが、それを子どもたちが見つけて、撮りまくっていた。落として壊さないかと心配していたが無事だった。子どもたちが撮った写真ばかりなので、ピントがいまいちあってなかったり、手振れしていたりで、いい写真は少なかった。

授業が終わって部屋に戻ってくると、カーチャから電話で晩御飯のあと学校の403の教室でお茶会をやるから、カギを借りて、カップを持って来るようにとのことだった。ちょこれーと菓子を持って、カギを借りて403に行くと、ナスチャやカーチャがカップを持ってきた。自分のカップを持ってこなければならなかったのに気がついて、部屋に取りに戻った。ついでにキーシュ・ミーシュも洗って持って行った。部屋に行くと、ケーキが買ってきてあり、紅茶を入れて、みんなで食べた。ロシアに住んでみることは私の夢だったが、みんなの夢を順番に聞かせてと頼んだら、ほとんどの子が外国に行きたいと言っていた。アメリカやフランス、エジプト、イタリア、ギリシャ。カーチャは英語と日本語を勉強してスチュワーデスになりたいといっていた。日本についての質問や、ロシアは気に入ったかとか、どんなところに驚いたか、子どもは何人いるかとか、いろいろと質問してきた。そのあと写真を撮って、終わった。

今回は生徒たちとはわずか1ヶ月しかいなかったが、去年の生徒たちよりも仲良くできたような気がする。1月が楽しみだ。

10時に風呂に入っていると、ドアをノックする音がする。風呂に入っているから放っておけばまた来ると思って無視していたら、ノックの音が大きくなってくる。しかたないので身体を拭いてパジャマを着てドアを開けると、寮のジェジュールナヤと技師のおじさんで、明日発つそうだねと言って、なにやら見に来るが良いかというので、いいと言って待っていたが、一向に来ない。今日ではなくて明日来るということだったのか。
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by irkutsk | 2007-10-11 17:27 | 日本語 | Comments(0)

今日は、10時15分から2年生の授業を二コマやり、1時45分に終わって、アレクセイさんが4時に来ると言っていたので、宇宙飛行士学校にもどらずそのまま大学にいることにしたので、朝、宇宙飛行士学校でメールの確認をしてから行った。

9時20分過ぎにバス停に行くと誰もいなくて、どうもバスが行った後だったようだ。そして待つこと30分。気温はマイナス3度くらい。寒い!あと少しで日本に帰るのに、今風邪を引いてしまっては大変だ。マフラーや手袋も欲しいが、スーツケースに入れてしまった。ようやく来たバスに乗って、大学に着いたのは10時15分だった。急いで荷物を研究室において、教室に行くと、ドミートリーとクシューシャが待っていた。アンナはどうしたかと聞くと、病気だと言っていた。今日の授業は16課の問題をやった後、17課に入った。「ない形」の導入と、ない形を使った文型を教えて、文を作らせた。わたしが帰った後のアリョーナの授業も「みんなの日本語」を使うからと言って、「みんなの日本語Ⅱ」を二人に売りつけた。クシューシャは次の時間20分後に出て行っても良いかと言って帰っていったので、あとはドミートリーとマンツーマンになり、彼も疲れたようだ。18課までやるとアリョーナに言ったが、終われるかどうか危なくなってきた。2時間目の授業が終わる頃にターニャがやって来て、列車のキップを買いに行くから、パスポートとお金をくれといってきた。切符代は1450ルーブル(9750円)。次の授業が終わる頃に買って戻ってきた。時間は最初に言っていた時間と少し変わっていた。クラスノヤルスク発は12日の1時3分、イルクーツクに着くのは19時45分(イルクーツク時間)。18号車37番の席だ。

ターニャに近くのスーパーの入り口に置いてある機械で携帯のお金の追加の仕方を教えてもらって、200ルーブル追加した。そのあと部屋に戻って、アレクセイが来るのを本を読みながら待った。2年生で中国語を選択していて、前にアパートに招待してくれたジェーニャが中国語学習ソフトで勉強していた。4時にアレクセイがやって来て、ノボシビルスクの剣道大会の写真をCDに入れて持って来てくれた。彼は今回初段を取ったそうだ。クラスノヤルスク地方では2段が2人、初段が2人しかいないそうだ。彼に列車の中で気をつけなければならないことを聞いた。貴重品はやはり肌につけて持っておかなければならないそうだ。何か良い方法を考えなくては。

5時過ぎに彼は帰って行き、私は晩ごはんを食べに「シビーリ」に行った。サラダ、ボルシチ、ロシア風牛肉という料理、付け合せはポテト、パンと紅茶で88ルーブル70カペイカだった。

大学に戻ってきて、イルクーツクのイーラに電話をして、列車番号や車両番号、到着時間を知らせた。ホームまで迎えに来てくれるそうだ。

最後の市民日本語の授業は8人だった。17課の「ない形」を使った文型の練習をした。8時半に終わって、サーシャ、ロマンと3人で歩いてスパルタークまで行った。わたしが帰った後の授業はナターシャがやるそうだが、彼女は出張で中国へ行くそうだ。期間もどのくらいになるのかわからないらしい。宇宙飛行士学校に帰ってきたのは9時20分だった。お腹がすいていたので、また晩ごはんを食べた。
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by irkutsk | 2007-10-10 09:28 | 日本語 | Comments(0)

毎日6時に目が覚めるが、まだ外は真っ暗。トイレに行って水を飲んでまた寝る。何か音がする。またねずみが出てこようとして、かじっているのかと思ったが違った。雨が降っていた。10月3日、4日と降った雪はもう完全に融けてしまった。降っては融け、降っては融けを繰り返し、融けなくなるのは11月下旬だそうだ。

昨日の晩御飯が遅かったし、たくさん食べたので朝はまだ食欲がない。昨日みんなが置いて行ったサラダやブリヌイ、ピローグ、サーロ(豚の油身の燻製)があるので、食堂には行かずに朝はそれを食べることにした。ブリヌイをフライパンで温めて、ジャムや蜂蜜をつけて食べた。そしてピローグと紅茶という朝ごはんを8時半頃に食べた。

今日は部屋を掃除して、シーツ類を取り替えてくれる日なので、出かけなくてはならない。9時前にナジェージュダから電話があり、今日、1年生はどこかへ出かけているから授業はないよと教えてくれた。学生たちから聞いて知っていたけど、ちゃんと電話をかけてくれるところがいかにもナジェージュダらしい。彼女はドイツ語を教えているが、几帳面でよく気がつき、ちょっと普通のロシア人とは違うところが日本人のわたしにとっては大変ありがたい。

10時前に雨の中、傘をさして出かけたが、雨は秋特有のシトシト雨で傘をさしていない人もいる。バスはすぐに来て、スパルタークから10分ほど歩いて大学へ。大学に着いてまずコピーをとりに行ったが、コピー機があるマリーナの部屋もナターシャの部屋もカギがかかっていた。部屋に戻ってインターネットをしようと電源を入れたら、最初のウインドウズに入る画面のところで、今まで使っていたオーリガのアイコンがなくなって、ジーマと2階にいるユーリヤのアイコンになっていた。ターニャに聞いてみたが、他の人の暗証番号は知らないので2階のパソコンを使ったらと言ってついてきてくれた。パスワードなしで入れるところから入って、代わってくれた。メールとブログを無事送ることができた。明日からのことはまたジーマに聞けばよい。

部屋で「五体不満足」を1時間ほど読んで11時半過ぎに、マリーナのところへコピーをとりに行くと今度は開いていて、コピーすることができた。今日は給料日でみんな給料を取りに来ていた。私の給料もあるよと言われて、もらったが、なんと今月は15000ルーブル(75000円)もあった。授業のコマ数が多いからなのかな?それとも10月分も入っているのかもしれない。とにかくたくさんもらえてうれしくなった。

1時過ぎに大学を出て、レーニン通りにあるお土産やさんに寄って、白樺の皮で作った箱を3つ買った。そしてスパルタークの方へ歩いていくと交通事故があったようで、道路の真ん中に車を止めて、警察が事情を聞いているところだった。どうもベンツにロシアの古い車が追突したようで、ベンツはほとんど目立たないくらいしかへこんでなかったが、ロシア車は前のボンネットが真ん中で曲がっていたし、かなりひどい状況だった。バスがなかなか来なかったが、事故処理を見ていたので退屈はしなかった。

宇宙飛行士学校に戻り、きれいに掃除され、シーツが交換された部屋に入り、感謝。
お昼ごはんはサラダとブリヌイ、ピローグ。ブリヌイにはジャム、蜂蜜、豚の脂身を入れて食べた。結構おいしかった。

今日は一日中雨が降っていた。気温は3度~5度で外は寒かったが、部屋の中は25度と暖かい。
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by irkutsk | 2007-10-09 09:23 | 日本語 | Comments(0)

今日も朝から曇っていて、外は寒そうだった。食料を片付けたのは良いが、水と米がなくなってきたので、スーパー「シュコーリナイ」に買いに行った。気温は6度で、日本の冬のようで、セーターを着て、その上にジャンバーを着て出かけた。前を空けておくと寒い。日曜日の朝ということで、バスは行きも帰りも空いていた。

2時少し前に、宇宙飛行士学校の玄関に迎えに行くと、ナターシャとパーシャ、トーリャが来ていた。そしてレーナとスタース、マリーナが来て、オーリガとラリーサも来た。ロマンは少し遅れてきたが、私の狭い部屋は超満員になった。今日は生徒たちがいろいろと作って持って来てくれた。ペリメニ、セリョートゥカ・パドゥ・シューバイというサラダ、そして大きなピローグ、ブリヌイ。ペリメニは大きくて塩味が適度についていておいしかった。サラダもおいしくてお代わりをして食べた。サラダとピローグはレーナが作って持って来てくれたそうで、ブリヌイはナターシャのおばあさんが焼いてくれたそうだ。

d0021786_11404628.jpg生徒たちから白樺で作ったお皿、コップ、栞をお土産にもらった。うれしいことだ。楽しいひと時だったが、あまり日本語が出ないのがちょと気になった。せっかく日本語を勉強して、半年以上になるので、少しでも日本語で話しができるとよかった。日本語でこちらから話しかけなければとちょっと反省。

満腹になった後は囲碁を少しして、生徒たちはばらばらと帰っていき、最後にロマン、スタース、オーリガが5時ごろ帰っていった。

6時からの晩御飯はとても入らないのでパスして、9時過ぎにペリメニとサラダを食べた。ペリメニは半分はスメタナをかけ、あとは酢をかけて食べたらおいしかった。日本の強い酢ではなくて、シャシリーク用の酢をかけたので、おいしかったのかもしれない。
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by irkutsk | 2007-10-08 11:40 | 日本語 | Comments(0)

今日は宇宙飛行士学校の授業。10時10分に教室に行くが、まだアリョーナが来ない。少し遅れてやって来たので授業を始める。アリョーナは教室の後でカーチャに「みんなの日本語」で教えている。わたしは5人の生徒にがぎぐげご、ざじずぜぞを教える。今日はクシューシャは家に帰っていて欠席、ニキータは不明、代わりにナターシャが来ていた。前半は字や単語を教えたり、黒板に書かせたりして、後半は「今、何時ですか」「ナースチャさんは何歳ですか」「あの人はタイーシヤさんですか」などの会話練習をした。そして最後にひらがな単語のカルタ取り3回戦をやって、少し日本語を知っているナターシャが優勝した。

アリョーナを呼んでお昼ご飯を一緒に食べた。今週の水曜日に来れなかったのはジェレズノゴルスクに入る許可証がなくて、検問所を通してもらえなくて帰っていったそうだ。月曜日も許可証がなかったのだが、他の先生と一緒にドィルカ(穴)から入ったそうだ。でも水曜日は一人だったので怖くて穴から入らずに帰って行ったそうだ。

国際交流基金の日本語教材寄贈の申請書を渡して、校長のサインをもらって、コピーをとって日本大使館に送ってもらうように頼んだ。この申請が通れば教科書や文法解説書を授業の時に学生に貸せるので授業がやりやすくなる。

3時からはサーシャとマーシャの市民日本語講座。何の連絡もなく催促メールを送ったら、3時半頃にやって来た。日本語の漢字の本や文法解説書などをたくさん買い込んでいた。日本の昔話が解説・翻訳付きでのっている本もありなかなか面白かった。今日もあまり進まず、7課のやりもらいの動詞を少しやって終わった。

ナターシャからメールで明日のお昼は用意して持って行くから何も作らないでくださいというメールがあった。何を持って来てくれるか楽しみだ。
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by irkutsk | 2007-10-07 10:20 | 日本語 | Comments(0)