ロシアの床屋に行きました(1月13日)

今日は昨日Aさんから送ってもらった「赤いキツネ」を食べ、久しぶりにしょうゆ味を味わいました。昨日からの予定通り、朝一番に床屋へ行くことにしました。8時40分に寮を出てバスを待っていましたが、なかなか来ず、10分くらい待ちました。だいぶ日が昇るが早くなったようで、9時前には少し明るくなっています。バスを降りて7、8分歩いたところに床屋はあり、行ってみるともう先客がいました。仕方なく待っているともう一人のおばさんが出て来てやってくれました。どういう風にするかと聞かれたらどうしようと思っていましたが、何も聞かれずにやってくれました。でもなぜか思い切り短くされました。2ヶ月くらいは来なくてもよさそうなくらいです。ただ刈るだけで、洗髪も顔そりもありません。だから30分もかからずに終わってしまいました。帽子が大きくなったような気がするのは、髪をばっさりと切られたせいです。

運動不足にならないように、歩いて大学まで行きました。凍った道の歩き方にも慣れてきました。学部長さんのご主人のワレーラがペンギンが歩くようにして歩けば転ばないと教えてくれました。道路を渡るときはまだ、左を見て、右を見てという癖がつかず、慎重に両方を見てからわたっています。町の中心の建物はみんなコンクリート製で天井が高く、外観もきれいにペンキが塗られています。色がピンクや淡いグリーン、淡い青、クリーム色などでおとぎの国に来たような気になります。信号はあるけど歩行者は車が来てなければ赤でも渡りますし、怖いのは交差点で右折してくる車です。歩行者は信号が青になったので渡ろうとすると、右折車が来るので気をつけないとぶつかります。

大学までは15分くらいです。ロシアの大学は土曜日もやっていて、休みは日曜日だけです。研究室のカギをもらっているので、入ってパソコンをつけてメールを送りました。その後、近くの電気屋に行って体重計を買おうと思ったら、売り切れたのかありませんでした。ロシアではやはり見つけたときに買っておかないとすぐになくなってしまうというのは昔と変わらないようです。オーブントースターも前に来たときにはあったのに、今日はありませんでした。せっかく餅が届いたのにどうやって焼こうかと思案しました。とりあえず水を2本(2L入り)買って寮へ帰りました。

お昼はもちを食べようと決めましたがどうやって焼くかが問題です。コンロの下のオーブンで焼くには大げさすぎるし、時間もかかるので、最初ちょっとやってみましたがやめました。上のコンロに直接乗せて弱火にしたらどうだろうとやってみました。早いうちにもちをつかんだのでコンロにこびりついてしまいました。それがこげて煙もくもく。でももう1個はうまく焼けました。弱火でじっくり焼けばいいのかなと思います。あわててひっくり返さないようにして、待つことが肝心です。焼けたもちはしょうゆをつけてのりを巻いて食べました。これで私のところにもお正月がやってきました。

昼からはメールの整理をしたり、ブログの原稿を書いたりしていた。夕方になって、月曜日に使う「ひらがなカード」や本を大学にもって行っておけば、明日クラスノヤルスクへ持って行かなくてもいいということに気づき(朝、気がつけばよかったのに)、4時半頃から出かけた。大学は開いているだろうかと心配しながら行ってみると開いていた。研究室に荷物を置いて近くの店にゆでたスパゲッティをあけるざるを買いに行ったが、高級品しかなく300ルーブルもした。丁度隣に時計店があったので、目覚まし時計を300ルーブル=1500円で買った。朝になっても暗いので、ついつい寝過ごしてしまいそうで、早く起きなくてはと思うと夜中に目が覚めてしまう。そんなことも目覚まし時計を買えば解消される。劇場近くの食料品店でペリメニとマヨネーズを買ってきた。前に買ったペリメニはふちがなかなか柔らかくならなかったので、今度は違うものを買った。ペリメニは種類が多くてどれがおいしいかは食べてみないとわからない。

晩御飯のときに久しぶりに外にぶら下げているブルスニーカとゼムリャニーカを食べたが、気温が高いので融けかけていた。ちなみに今日の気温は-2度。
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# by irkutsk | 2007-01-15 14:21 | 日本語 | Comments(0)

日本からの荷物が山のようにやってきた(1月12日)

 朝9時に宇宙飛行士学校の校長室に行くと、手紙と小包が来ているという郵便局からの通知を4枚受け取った。手紙は母からのもので、小包は、2つは自分で12月11日に送ったものだとわかったが、あとの2枚はわからなかった。あとで大学の研究室でよく見てみると、同じ番号だし、同じ重さだし、日付が12月29日と1月5日になっており、取りに行かなかったのでまた催促が来たのだとわかった。大学まで毎日同乗させてくれるジェーニャに言ったら帰りに郵便局に寄ってくれるという。

 今日もそんなに寒くなく、研究室は暑いくらいで、窓を開けていた。10時40分頃に遅れてニキータがやってきた。タイミング悪く学部長さんが呼んでいるというので2階に上がって行ってみると、アリョーナ(クラスノヤルスク大学の4年生で日本語がかなり話せる。ジェレズノゴルスクの学生と宇宙飛行士学校の生徒に日本語を教えている)が来ていて、3月の「ロシアにおける中等、高等教育機関におけるアジア諸国の言語及び歴史教育について」という会議のことや大学で使う教科書のことや、宇宙飛行士学校の授業のことについて話をした。30分くらい話をして、下の研究室に戻るとちゃんとニキータは待っていた。11時15分くらいから1時間ちょっと昨日の復習とひらがなの「な」から「よ」までを教えた。昨日は「あ」から「た」までだったので、自分でも勉強していて、よく覚えていたが、今日のひらがなはまだ覚えていなかったらしく、ひらがなカードを並べてわかるカードを読みながら取らせたら、「な」「に」「ぬ」「ね」「は」「ほ」「ま」「み」「む」「め」が取れなかった。家で「な」から「よ」までを読みながら覚えてくるように行って今日の授業は終わった。やはり1日に20個の文字というのは大変だ。せいぜい10個が限度かな。転入生のイーラにはもっと時間がないので大変だ。今度着たら毎日2時間ずつやらないと追いつけないと言わなくては。

 昼からは特に何もすることがないので、空いていたら床屋で髪を切ってもらおうかと思って行ってみたが待っている人がいたのでやめた。大学へ戻る途中、文房具店を見つけて、ノートと便箋、スティックのりを買った。便箋とはいうもののただの薄いA4の紙で線も引いてないので、買ったノートを下に敷いて書いた。同じ研究室のジーマは帰ったようだった。

 去年のロシアにおける中等、高等教育機関におけるアジア諸国の歴史教育について」という会議の報告集をもらって読んでみたが、辞書なしではとてもわからない。

夕方5時過ぎにジェーニャが帰ろうといってきたので、車に乗せてもらって郵便局へ寄ってもらった。最初は持って行った通知の書類の分だけだと思っていたら、他にもあるということで、何枚も受け取りを書かされた。パスポートの番号、発行日、発行機関、自分の現住所、受け取り年月日、サイン、これだけの項目を7枚も書かされた。ようやく大量の荷物をもらいジェーニャの車に積んで帰った。私が送った小型包装物が2個、妻に送ってもらった小型包装物が1個、友人のAさんからのEMSが4個。日本が雪崩のようにやってきた感じで、しばし、ロシアにいることを忘れそうなくらいだった。

 大量の荷物の整理ですっかり遅くなってしまったので、風呂はやめにして11時半に寝た。やはり夜中は寒くなるようで、ダウンのコートを毛布の上にかけて寝ると、羽根布団を着て寝ているくらい暖かく、朝までぐっすり眠れる。
 
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# by irkutsk | 2007-01-15 14:20 | 日本語 | Comments(0)

補充授業にイーラは来なかった(1/11)

 今朝はおなかの具合が良くない。何回もトイレに行く。昨日のカビの生えたパンが原因かもしれない。それに先月の16日にレーナが買っておいてくれたクリームをはさんだウエハースのお菓子も悪かったかもしれない。でもお腹は空いているし、カップラーメンを食べたがこれも良くなかったようだ。今日は隣のジェーニャが子どものデニスを病院に連れて行くので早く出ると言ってきた。風邪でも引いたのかと思っていたら、毎月の健康診断だそうだ。

10時前に大学に着き、コピーを借りに行ったら、まだ来てなくてできず、ひらがなの練習用紙をプリントしてもらおうとプリンターのある学部長の部屋に行ったが誰も来ておらず、ジェーニャのところに行くと、日本語はプリントできないので学部長さんの部屋を開けてパソコンを起動させてプリントしてくれた。しかし、フォントがなかったようで、教科書体で出力されてなかった。

10時15分になってもイーラは現れず、2階の学部長さんの部屋に行っているかもしれないと何回も見に行ったが、イーラもニキータもいなかった。持って来たノートパソコンを出してブログの原稿を打ち始めたら、ニキータが来た。ニキータは自分で少しは勉強しているので飲み込みも早いが、イーラのほうが心配だ。でもニキータが来ただけでも準備をしたかいがあった。ひらがなの導入で「あ」から「と」までをやった。「あ」と「お」、「さ」と「ち」、「つ」と「て」をよく混同していた。発音では「う」がどうしてもロシア語の「У」になってしまったり、ラ行音がロシア語の巻き舌になったりしてしまうので、注意して直した。

昼からは14日にクラスノヤルスクへ行くバスのキップを買いに行ってきた。ついでに近くの店をのぞいてはさみとCD-Rを買い、理髪店を見つけた。土曜日は9時から15時までと書いてあったので、9時に来てみよう。

大学に戻って部屋にあるパソコンの起動した後のパスワードを教えてもらって、昨日作っておいたメールを送った。5時過ぎまでメールを送ったり、ブログのアップロードをしていた。私がいる部屋は暖房が暑いくらいに効いていて、窓を開けていた。部屋によって暖房が効かないところもあるそうだ。

夕食はお昼を抜いたので、ベトナム米でおかゆを炊いて、缶詰の牛肉と混ぜて食べた。
やっとお腹は治ったようだ。
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# by irkutsk | 2007-01-11 17:37 | 日本語 | Comments(0)

打ち合わせはキャンセルに、そして転入生がやってくる

 朝、食堂で朝食が食べられるかと思っていってみたが、いすがテーブルの上に上げてあり、とても食べられるような状況ではなかったので、部屋に戻ってお茶を入れて、パンを一口かじったら、コーリャ(隣のジェーニャの弟で大学2年生)が今日は1時間目から授業があるので、今から出かけると言ってきた。あわてて用意して出ようとするが、建物から外へ出る扉のカギがかかっていて開かない。中から手を振ってみたが全然気がつかない。仕方なく奥の部屋にいる人に、外へ出る扉のカギを開けてくれるように頼んで開けてもらった。コーリャとその友達が乗っているだけで、ジェーニャはいなかった。しばらくしてジェーニャが出てきて彼の運転で出発した。

8時45分頃に大学に着いたが何もすることがない。今日はアリョーナとナターシャと3人で打ち合わせがあると聞いていたので2階の学部長の部屋に行ってみるとまだ誰も来ていない。しばらく下の自分の部屋にいて、また2階に行くと学部長は来ていたので、アリョーナとナターシャはいつ来るのかと聞いたら、アリョーナに電話していたが、つながらず、結局3人の話し合いはなくなってしまった。

近くのスーパーに買い物に行っていたら、学部長さんから携帯に電話がかかってきたので、すぐに戻っていったらイーラという転入生が母親と来ていて、2月10日までに今の日本語クラスのレベルまで授業をしてほしいということだった。早速明日から水曜日を除く毎日10時15分から11時45分までやることになった。授業がないのに大学に来ているよりも、授業をやっていたほうが気がまぎれてよいので助かった。パソコンを借りて久しぶりにメールを見るとたくさん来ていた。ブログも10日分アップしていたら結構時間がかかってしまって、他の人がその間使えなくて迷惑をかけたようだ。

授業の準備にとコピーを何回も借りに行くと、なんだかあまりいい顔をしないので借りづらい。教科書もないのに、コピーぐらいは自由に使わせてもらわないと。パソコンのプリンターを買っておいて正解だった。でも、本はどうしてもコピーしなければならないので最低限のコピーはしないと授業にならない。ニキータが丁度部屋にやって来たので、イーラと一緒に補充授業を受けるようにと学部長さんに言われていた。

3時半に学部長さんと学校のバスに乗って宇宙飛行士学校の校長先生に会いに行った。私は大学の学長に会いに行くと思っていたので、(名前と父称が同じなので間違えてしまった)部屋で待っていたら、バスに乗っていくので早くコートを着てくるようにといわれた。
校長先生とは3月に当方地域の国々を対象とした会議をやるので、そこで何か発表してくれと言う話だった。ロシアと日本の違いでも良いし、日本の文化についてでも良い、テーマは自由に決めてもらってよいということだった。クラスノヤルスク大学で教えているHさんにもお願いしたいと言っていた。

 夕食はみかんを食べて、買ってきたイチゴジャムをパンにつけて食べていて、残りのパンを見ていたらカビが生えていた。もう10日以上も前のパンなので当然かもしれない。

明日からイーラとニキータのための補充授業があるので、18回でどうやって教えようかと計画を立て、明日の授業の準備をしていたら遅くなってしまい、風呂にも入らずに11時過ぎに寝た。
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# by irkutsk | 2007-01-11 17:36 | 日本語 | Comments(0)

ジェレズノゴルスクへ戻ってきました

1月4日にクラスノヤルスクへ出かけて、6日ぶりにジェレズノゴルスクへ帰ってきました。10時過ぎにジェーニャの家を出て、マーシャの実家によってからジェレズノゴルスクへ出発です。どちらの家でもジャガイモやいろんなものを両親は子供たち夫婦のために持たせる光景は日本もロシアも同じです。

今日は天気がよく、青空に樹氷が美しく、昨日パソコンで桜の写真を見せた後なので、「ロシアの桜です」とジェーニャが言っていた。大きな道路に出ると、きれいな道で車の数も少なく、快適に走ることができました。この道路はウラジオストクからモスクワまで続いているそうで、もし車で行くとしたら何日くらいかかるかと聞いてみたところ、10日ぐらいだと。ウラジオストクからクラスノヤルスクまでは道が悪いし、途中でマフィアがいるので危険だとのこと。クラスノヤルスクからモスクワまでは4昼夜で行けるそうだ。

クラスノヤルスクの市街地には入ることなく、ふちを回ってジェレズノゴルスクへ。1時にカーペー(ジェレズノゴルスクへ入るのをチェックする検問所)に着くとエレーナ・ニェクラーソヴァに電話しておいたが、遅れたので彼女から電話がかかってきた。カーペーについて建物の中に入り、パスポートを見せて、ジェーニャが何か話をして入ることができた。エレーナ・ニェクラーソヴァが通してくれたとジェーニャは言っていたので、彼女が来たか、電話したかしてくれたのだろう。ジェレズノゴルスクに住むのはこの出入りにいつも彼女に頼まなければならないのが面倒だ。バスで入るときには、ここで降りて彼女の車で送ってもらわなければならない。

久しぶりに自分の部屋に戻ってお昼の用意をしたが、燻製の魚も塩漬けにしんも悪くなっていた。みかんも1個カビが生えていたし、レモンもだめになっていた。果物は今日食べてしまって、明日新しいものを買って来よう。
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# by irkutsk | 2007-01-10 16:51 | 日本語 | Comments(1)

ロシアの夜は遅い

 ジェーニャの友達のアントン(若いけど小学校の校長をしているそうだ)とオードリ・ヘプバーンに似た彼の妻がお昼前に帰るというので一緒に写真を撮った。彼の車はラダというロシア製の車だったが、なかなか洗練されたデザインだった。250キロの道を走って帰るといっていた。

 お昼にジェーニャの弟のイワン夫婦が来て、ビールを飲んで食事をした。すっかりお腹が一杯になっていたのに、しばらくするとジェーニャの両親のところに行くという。ジェーニャの両親のところでも食事が出され苦しくなってきた。ペーチカの写真を撮らせてもらって、隣にもっと大きなペーチカがあるといって隣の家に案内してくれた。この家もマーシャの両親の家なのだが、娘が二人とも結婚して出て行ったので、夫婦二人だけでは広すぎるので、小さいほうの家に住んでいるのだそうだ。

 ジェーニャの家に戻ってボーっとテレビを見ていると眠たくなったので10時20分くらいに2階に行って寝ていたら、ジェーニャのお父さんのお姉さんたちが来たので一緒に夕食を食べようとジェーニャが言ってきたので、起きていった。もう食べきれないのに、お父さんがお皿に料理を取ってくれるのでまた食べてしまった。みんながべらべらとしゃべるロシア語はちっともわからない。単語がいくつかわかっても話の内容までわからないので会話に入っていくこともできない。12時過ぎになってようやくお客さんは帰っていった。
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# by irkutsk | 2007-01-10 16:49 | 日本語 | Comments(0)

ロシアでの誕生日

 今日は私の誕生日。朝起きるとジェーニャやジェーニャのお父さんから「おめでとう」と言われた。昼過ぎからジェーニャの妻のマーシャの実家へ行った。昔ながらのペーチカのある家で、ちゃっかり3匹の猫が暖かいペーチカの上を占めていた。私たちが行くとペーチカに薪をいれて部屋を暖かくしてくれた。近くに住んでいるマーシャの妹夫婦も来ていて一緒に食事をした。

 その後ジェーニャの家に戻ると、友達夫婦が遊びに来ていた。彼らにロシアでは誕生日の人を胴上げするんだと言われて胴上げをしてもらった。彼らも一緒に滑り台をすべりに行こうということになりシベリア鉄道のカズーリカ駅前にある滑り台に行った。木で作った滑り台に水を流して作った滑り台で、子供たちがプラスチックの板や、ダンボールを敷いて滑っていた。子供たちが滑らせて写真を撮ったりしていたら、ジェーニャのお父さんと偶然会って、親戚だというおじさんから木の皮でできたクルーシュカ(取っ手のついたかカップ)をもらい、誕生日のお祝いにこれでウォッカを飲もうということになり(ちゃんとウォッカも持っていた)、3人で1杯ずつ(といってもカップは大きいので少しだけ入れて)飲んだ。ウォッカがなくなるまで繰り返されるのかと思って心配していたが、1回だけで終わったのでほっとした。

 家に戻り、夕食のときにも少し飲み、ジェーニャの友達のアントンとお父さんとコーリャの運転で夜10時過ぎにお父さんの職場に行った。お父さんもシベリア鉄道の仕事をしているということでお父さんの職場を見せてもらった。アントンたち夫婦と4歳ぐらいの男の子のワーニャと5ヶ月の赤ちゃんも泊まっていくっということで、2階の寝室にはお父さんたち夫婦も床に寝ることになった。
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# by irkutsk | 2007-01-10 16:48 | 日本語 | Comments(0)

バスでカズーリカへ

 朝起きるともう10時ごろ。学部長さんの夫のワレーラは仕事で10時前に出かけて行ったそうだ。朝食の後、ハガキを出しに近くの郵便局へ連れて行ってもらった。日本まで19ルーブル(95円)。切手がなくて手間取り、10、4、2.5を2枚それぞれのハガキに貼って、郵便局の入り口にある青いポストに投函した。2週間くらいで届く予定。その後ジェーニャの両親のところへ持っていくシャンパンとチョコレートを買った。

 学部長さんの夫のワレーラは昼過ぎに帰ってきて、昼食を食べた後、私をアフタバグザール(バスの駅)まで送ってくれた。途中エニセイ川の川岸をすっと案内してくれた。川の駅(エニセイ川を北のほうへ下る船の発着場。冬の間は運航しておらず、船はホテルやレストランとして使われていた)まで歩いていき、そこからバスに乗ってアフタバグザールへ。バスを降りてあまり雪のないところで滑って転びそうになり、リュックを落としてしまったが、幸いシャンパンの瓶は割れなかった。バスはまだ来ていなくて、キップ売り場でワレーラが聞いてくれたら、10分前にしか来ないということだった。時間があるので近くを散歩した。このアフタバグザールは14、5年前まで空港があったところで、かつて滑走路があった広大な土地には新しい建物が立っていた。この地区を離陸地区と言うそうだ。散歩をした後、バスに乗る前にトイレに行った。有料のトイレで(6ルーブル=30円)、長距離バスに乗る前なので結構繁盛していた。

トイレから出てくると丁度バスが来ていた。ジェレズノゴルスクからクラスノヤルスクにきたときに乗ってきたときのような大型観光バスが来ると思っていたのに、なんとワゴン車を改造したバスだった。幸いハイルーフだったので閉所恐怖症気味の私には何とか耐えられた。キップの座席番号は1番だったが、どこが何番かわからず、みんな勝手に座っていた。空いていたのは後ろの横向き、向かい合わせの席の2人掛けの座席のうちのひとつだった。向かいには夫婦連れらしいカップルが座っており、私の横は10代後半から20代前半の女の子だった。太ったおばさんやおじさんでなくて良かった。ワレーラが運転手に私をカズーリカでおろしてくれるようにと頼んでくれた。日没近くで暗くなりかけていたクラスノヤルスクを16時50分にバスは出発した。すぐに暗くなり、窓ガラスは寒さで凍っていて外はほとんど見えない。眠っていくしかない。向かいの夫婦連れの夫の方はビール瓶とつまみを出して飲み始めた。隣の女の子も何か出して食べていた。バスは一路西へ西へと時速80キロぐらいで走っていく。道路沿いには電灯がともった建物が結構あった。

ウトウトしていて、2時間あまりで着くとワレーラが言っていたので、7時頃には着くと思って、時計を見ようとするが暗くて見えない。携帯を出してみてみても、時間が見にくくて良くわからない。諦めてまたウトウトしているとバスは大きな道路から左折していった。ワレーラの言っていたカズーリカへの道に入ったのかなと思う。しばらく走るとバスが止まりみんな降りていく。荷物を置いたままの人もいるので休憩なのかと思っていたら、ジェーニャが迎えに来てくれたので、ここがカズーリカだとわかった。6時40分だったので時間的にまだだと思っていたが、予定より早く着いたようだ。ジェーニャの車で10分ほど走ると両親の家に着いた。大きな熊のような黒い犬が吠えて歓迎してくれた。

家に着くとすぐに「風呂に入るか」と聞かれ、荷物を置いた後、風呂へ。ロシア式のサウナで焼けた石にお湯を掛けて蒸気を出し、葉っぱのついた枝を束ねたもので、体を叩くというものだ。暑くなったら、外の雪の中に寝転がってまたサウナに入ると言ってジェーニャは外へ出て行ったが、私は手前の部屋でビールを飲んでいた。サウナの後のビールはおいしい。3~4回も繰り返し入った後、シャンプーで髪を洗い、石鹸で体を洗って出てきたが、身体の芯から温まっているので、暖房の聞いた部屋にいると暑いくらいだ。玄関を入ってすぐの部屋で涼んでいたら、「風邪を引く」といって中に入れられた。

両親はまだ若く、お父さんは49歳だという。近くに住んで、シベリア鉄道に勤めている弟のイワンとその妻、彼女の妹たち3人もいてにぎやかだった。1階は居間になっていて、大きなヨールカが立てられていた。天井にも飾り付けがされており、きれいだった。お母さんの趣味で観葉植物の鉢がたくさん置いてあった。2階はジェーニャたちが使っている部屋と大きな寝室があり、多分ここで両親はいつも寝ているのだろうが私のためにこの部屋を提供してくれた。
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# by irkutsk | 2007-01-10 16:47 | 日本語 | Comments(0)

山登りの一日

今朝は-7度。昨日に比べると暖かい。今日はエニセイ川の対岸にある山に登るということでダツィシェンさん、ダツィシェンの娘さんのポリーナさん(クラスノヤルスク大学3年生で日本語を勉強している)、学部長さん、ご主人のワレーラ、ノボシビルスクから遊びに来ている学部長さんの甥のセリョージャと奥さんのオーリガと私の7人で行った。

 バスを乗り継いで、登山口に着いたのは11時半ごろ。広い雪道を早足のダツィシェンさんについて歩いていく。冬というのにたくさんの人が歩いて登っている。彼の娘のポリーナさんが日本語でいろいろと話しかけてくれるので、久しぶりに日本語を話すことができた。時々注意して聞いていないと何を言っているのか良くわからないときがあるが、結構上手に話せる。小柄でかわいい女の子だ。山の上までは2時間くらいかかり、上につくといろんな形をした岩がそそり立っていて、おばあさんの岩、孫の岩、おじいさんの岩、ライオンの岩、鳥の羽の岩などと名づけられた岩を見て回った。頂上についても休憩するわけではなく、岩めぐりをしてやっとライオンの門という岩のところで休憩した。ライオンの門というのは狭い岩の間を通っていくとまた狭い岩の間から下が見下ろせ、ちょっと恐怖である。さらに頭上には大きな岩が橋のようにかかっている。ここで願い事をするとかなうという話だ。コニャックとオープンサンドを出して食べ、軍隊の水筒だといってワレーラが出してくれた水筒の中は暖かい水だった。2時間以上もリュックに入れてきたのに冷たくなってなかった。

その後はまたもと来た道を戻ってバス停へ。バス停まで来たときにはもう薄暗くなっていた。バスに乗って座ると暖かくて、眠たくなる。バスを降りると林の中を歩いて学部長さんの家へ。夕食の後は心地よい疲れですぐに夢の世界へ。
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# by irkutsk | 2007-01-10 16:46 | 日本語 | Comments(0)

『シンデレラ』を観劇

 今日はテレビをつけると-22度だった。目覚まし時計のベルがならないので、今日は早く目が覚めてしまった。というより寝過ごさないようにと思っていると、何回も目が覚めて熟睡できなかった。5時半に起きてしまった。朝は韓国製のカップめんを食べて7時半に寮を出た。バスがすぐに来たので、-22度の中で待つこともなくラッキーだった。まだ外は真っ暗で夜のようだ。アフタバグザール(バスの駅)には7時45分頃に着いてしまった。待合室で本を読んで時間をつぶしていたが、ナターシャは一向に現れない。8時20分になり、バスが来るという案内放送があり、外に出てナターシャを探してもいない。携帯に電話してみても出ない。キップを買いに行かなければならないかと思っていたらようやくやってきて、私にバスのキップをくれた。今回は彼女は行かないようだ。バスに乗って24番の場所に行くと他の人が座っている。ここなんだけどというと、10番だという。10番には他の人が座っているので、仕方なく後ろの空いている席に座っていると、その席の人が来るし。仕方なくまた24番の自分の席に行って「ここは私の席なんだけど」といっても「10番」と言うだけ。座る席がなくて困っているとバスの入り口でキップをチェックしているおばさんが「どうしたの」と言って来て、「ちゃんと自分の席に座りなさい」と言って24番にいた人を10番に移し、10番の人を前のほうの席に移した。やっと自分の席に座ることができて一安心。

 クラスノヤルスクに入って、ラカマチーフでちゃんと降りられるか心配になってくる。前のときはナターシャと一緒だったので、そんなに注意して外を見てなかったので、時間を見ながらまだだと思いながら、マツダやトヨタの自動車の販売店のそばを通っていった。
そのうち見た覚えのある上のほうが丸い高層の建築中のビルが見えてきた。このビルは20年前から作られているというもので、建築がストップしているらしい。そのビルが見えたのでもうすぐだなと思って前のほうの席にいく。スタジアムの照明塔が見えてきたので、ラカマチーフだとわかって降りた。学部長はまだ来ていなかったので、電話してみたらもうすぐ着くからということだった。すぐにやってきて、まだ時間があるからスーリコフの博物館に寄ってから行こうという。
 
 すぐ近くにスーリコフの博物館はあり、建物が3つ建っていたので、全部見るのかと思っていたら、一番手前のひとつだけだった。彼がかつて住んでいた住居がそのまま再現されていた。スーリコフはクラスノヤルスク出身の画家で1848年から1916年まで活躍しており、彼の絵はモスクワのトレチャコフ美術館やペテルブルグのロシア美術館にたくさん保存されているそうだ。2階建ての建物の中を靴の上から履くスリッパを履いて見て回った。きれいなトイレがあったので使わせてもらおうと思ったら、外のトイレを使ってくださいと言われ、屋外にあるトイレに行かされた。

ここから歩いて15分くらいで、クラスノヤルスクバレエ・オペラ劇場に着いた。今日も子供対象の出し物ということでたくさんの親子連れが来ていた。私たちの席ははじっこの壁際の席の最上階だったので2階の自由席のほうに移った。「シンデレラ」はせりふと歌だったので、何を言っているかは所々しかわからなかったが、筋はわかっているので結構楽しめた。休憩のときにホールに出てみるとシンデレラの格好をした女の子や、カウボーイの格好をした男の子、おもちゃの兵隊の格好をした子、動物の着ぐるみを来た子供たちがたくさんいて楽しかった。

劇は1時に終わり、6日に隣のジェーニャの両親のところへ行くバスのキップを買いにアフタバグザールに行った。3時のバスの券は売り切れていて、4時50分のバスの券を買った。2時間半くらいかかるそうだ。それから歩いて近くを散歩しながら途中まで行くことにした。途中ユダヤ教やイスラム教、ロシア正教の墓地を通って教会を見に行った。緑色の屋根をした教会だったが、ロシアの教会の中はどこも同じで代わり映えがしなかった。教会を見た後、クラスノヤルスクの基礎を築いたドゥーベンスキーの像のところで写真を撮った。下のエニセイ川沿いにアクアパークが建設中だった。

ここからバスに乗って学部長さんの家へ向かった。このバスは料金後払いで入り口のところに料金徴収係のお姉さんが乗っていて、降りるときに8ルーブル払って降りた。

学部長さんの家でお昼をご馳走になった後、погреб(パグレープ=食品貯蔵庫)に行くと言うのでついて行った。夫のワレーラが小さなそりを持って延々30分も歩いて行った。エニセイ川の近くまで行った。下の川から吹き上げてくる風がありとても寒かった。地下2mのところにいろんな野菜やジャムなどを保管しておいて、時々取りに来るのだそうだ。そのくらいの深さになると冬でも凍らないそうだ。掘ったのかと聞いたら、掘ったのではなくて、コンクリートを打った後に埋めたのだそうだ。帰りにヨールカのある公園によって、氷の滑り台で滑った。最初は怖かったが慣れてくると楽しいものだ。小学生くらいの女の子が一緒に滑ろうと言ってお尻にしく敷くプラスチックの板を貸してくれて一緒に滑った。頭から滑り降りる子もいてびっくりした。

往復1時間かかって帰ってきて、休憩の後、また少し食べた。肉のにこごりのようなものと取ってきたばかりのキャベツの酢漬け、イチゴのジャムを食べながら紅茶を飲んだ。学部長さんの甥のセリョージャと妻のオーリガにも紹介してもらった。
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# by irkutsk | 2007-01-10 16:44 | 日本語 | Comments(0)