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「442日系部隊」を見に行きました(12月20日)

「442日系部隊」を見に行きました(12月20日)_d0021786_959535.jpg名古屋シネマテークに「442日系部隊」を見に行きました。
この映画はアメリカの日系人だけによって編成された部隊で第二次世界大戦を戦った兵士たちの(すでにみな80歳以上の高齢である)インタビューと戦争当時の記録映画で作られたドキュメンタリー映画だった。

1941年日本がハワイ真珠湾を攻撃してからアメリカに住む日系人は差別を受け、財産を没収され、強制収容されることになった。そして1943年日系人による連隊規模の部隊が編成されることになり、強制収容所の中でも志願兵の募集が始められた。

そして1943年9月、日系人部隊はイタリアのサレルノに上陸し、ドイツ軍の防衛線グスタフ・ライン、カエサル・ラインの突破にも貢献したが、ローマを目前にして停止命令が出され、後続の白人部隊がローマに入城して解放の栄誉を手にした。日系人部隊はローマを迂回させられ、フランス東部のブリュイエールへ。ドイツ軍との戦闘の末、この町を解放した。戦後この町のとおりにはこの日系人部隊の活躍を記念して「第442連隊通り」という名称がつけられた。

また、日系人捕虜収容所から出征した兵士がユダヤ人捕虜収容所も解放しているという皮肉な事実もあった。

終戦後トルーマン大統領から「諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、勝ったのだ」と賛辞を送られたが、戦後の彼らの生活は相変わらずの日本人差別に苦しめられ、苦難の連続であった。1960年代になりようやく人権意識、公民権運動の高まりの中で、日系人は「模範的マイノリティー」として賞賛されるようになった。

この映画はアメリカ軍人として勇敢に戦い、最も多くの勲章を得た日系人部隊の記録であるが、インタビューの中で、従軍した元兵士たちは、たとえ戦争でも人を殺すということは非人間的なことであり、戦後もずっと夢に見てうなされ、夜中に目を覚ますことがあったと語っていた。また戦争のことを家族には話さなかったという。人殺しをしてきたことを家族には話せないという。

戦争はどんな戦争でも、人殺しである。暴力で問題を解決しようというのは絶対に許されないという思いを新たにしました。

「442日系部隊」 2010年日米合作 97分 監督:すずきじゅんいち
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by irkutsk | 2010-12-21 09:59 | 映画 | Comments(0)