「終わらざる夏」(下)を読みました(2月25日)
下巻では函館の女学校を繰上げ卒業のあと、シュムシュ島の缶詰工場に勤労動員で送られた若い娘たち400名の話から始まった。
また疎開先から抜け出して、東京の父や母の元へ帰ろうとする静代と片岡の息子譲との苦難に満ちた道中が描かれている。小学6年生の静代は母がなくなったという手紙を見て、戦争で障害者となった父親と妹たちの面倒を見なければという思いで脱走したのだった。譲はやはり父親が出征したという手紙をもらって、脱走を決意したのだった。道中食べるものもなく、足は疲れ、地元の子どもたちに見つけられたときにはどうなることかと思っていたが、見逃してくれたうえ芋までくれた。また老婆の一人住まいのうちに一晩泊めてもらったりしながら軽井沢までやってきたのだった。
そして、そこで終戦の玉音放送があったのだった。もちろん二人はそんなものは聞いていなかった。ちょうど下りの列車には刑務所から徴兵に応じ入営するために松本へ向かっていたやくざの岩井萬助はこの駅で終戦の玉音放送を聴き、東京へ帰ることにする。そして上り列車の便所に隠れていた二人を東京まで連れて行くことにした。
ソ連の兵隊も描かれており、ヨーロッパ戦線でヒトラーを倒し、ふるさとへ帰れると思っていたサーシャはそれが偽装作戦で、シベリア鉄道に10日間乗せられ、更に船に乗ってカムチャッカ半島の先端ペトロパーブロフスク・カムチャツキーに到着する。だが、戦略物資が届かないためにすぐに千島を攻撃することができず、しばらく待機することになった。しかし8月15日が訪れ、国際法上は戦争をできない状況になった。終戦をアメリカの放送で聞いてそれを上官に伝えた通信兵は殺され、カムチャッカの兵隊たちには戦争はまだ終わっていない、8月16日にはシュムシュ島を攻略するという命令が下る。
だが戦力的にはソ連側は圧倒的に劣っており、ソ連軍8,800人に対し日本軍は23,000人もいた。しかも日本軍には満州から転属となった戦車一個連隊、独立歩兵12個大隊、47ミリ速射砲18門を有する速射砲隊、山砲と野砲の11個中隊から鳴る第一砲兵隊、重砲九個中隊からなる第二砲兵隊、高射砲一個大隊半を有する防空隊などがあった。
「戦争の結果としての平和はかくも虚しく、勝とうが負けようが喪われた命は帰ってこないのだとわかるでしょう。やがては軍隊そのものが地球上から消滅し、戦争とは無縁の社会からも全暴力が排斥され、人間は寛容と対話の新しい時代の開幕を迎えるはずです。」これはシュムシュ島で終戦のニュースを聞き、片岡が妻の久子へ宛てた手紙の中で書いたものである。
そして8月18日未明、ソ連軍はシュムシュ島の竹田浜に上陸しました。日本軍は反撃し、上陸地点の竹田浜までソ連軍を追い落とす状態であったが、日本軍は第五方面軍の戦闘停止命令に従い、停戦交渉を行い24日に停戦が成立した。この戦いで日本側約600人、ソ連側やく3000人が亡くなりました。
武装解除された日本軍はシベリアへ送られることになり、そこでまた多くの命が喪われることになるのであった。悲惨な戦闘であったが、シュムシュ島の缶詰工場にいた娘たちが戦闘が始まった8月18日、いくつかの船に分乗し、無事北海道へ帰ることができたのは嬉しいことだった。
浅田次郎の描いた終戦後に始まったシュムシュ島での戦闘と、そこで命を落とすことになった人達のふつうの生活、そして戦争は勝っても負けても不幸をもたらすということ、普段人を殺すと刑務所行きだが、戦争で人を殺せば勲章がもらえるという理不尽など戦争について考えさせられる読み応えのある本でした。
「終わらざる夏」 浅田次郎著 集英社2010年7月10日発行 1700円+税