人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ロシアとMacと日本語 irkutsk.exblog.jp

関心のあるいろんなこと書きます


by irkutsk
カレンダー

「愛しきソナ」を見てきました(5月2日)

「愛しきソナ」を見てきました(5月2日)_d0021786_1428319.jpg名古屋駅西にあるミニシアター名古屋シネマスコーレに「愛しきソナ」を見に行きました。今日は過去1年間で6回スタンプがたまったので無料で見ることができました。

この映画は在日二世のヤン・ヨンヒ監督が大阪に住む自分の両親と北朝鮮に渡り、ピョンヤンに住む3人の兄、そしてその子どもたちをビデオカメラで撮ったドキュメンタリー映画である。

監督のヤン・ヨンヒの父親は済州島の出身で戦争中に日本へ渡ってきた。そして戦後は朝鮮総連幹部として子どもたちにも民族教育を受けさせてきた。そして1972年から始まった北朝鮮への帰国事業で3人の息子たちを北朝鮮へ送り出したのであった。当時日本では朝鮮人差別があり、夢の楽園と言われていた北朝鮮に渡って思い切り働きたいと希望に胸を膨らませて北朝鮮へ渡った3人兄弟であった。その時監督の兄たちは18歳、16歳、14歳であった。そして監督はまだ6歳であったため両親と共に大阪に残った。

ヤン・ヨンヒ監督はピョンヤンを訪れるたびにビデオカメラで兄たちの家族を撮っていた。姪のソナは一番上の兄の二人目の妻との間にできた女の子で、彼女がまだ3歳のときの可愛くあどけない女の子の映像が観客の目をひきつけた。ソナの母はソナが6歳の時に亡くなり、兄は3人目の妻を迎えることになった。その時の結婚式の様子もビデオに記録されていた。また一番上の兄が住んでいるアパートの様子も記録されていた。ボウリング場に行って遊んだり、外貨専用のレストランや、お店に行けるので子どもたちは監督がやってくるのを楽しみにしていたようだ。

ソナが学校へ行く時、父親と手をつないで歩いているのを見て、ヤン・ヨンヒ監督まるで自分と父親が手をつないで歩いているように感じたのだった。そして校門の前で他の子供たちがたくさんビデオの前に集まってきて珍しそうにカメラに写っていた。しかし、監督は校内に入ることができず、ソナ一人学校へ入っていく後姿を見て、ソナはこの国で生きており、自分はあくまで訪問者だということを感じたのだった。

訪問のたびにソナは大きくなり16歳のソナと会って以来、監督が作った「ディア・ピョンヤン」という映画のために北朝鮮当局から入国を禁止され、会えなくなってしまった。彼女は現在金日成総合大学の英米科で学んでいる。

ヤン・ヨンヒ監督の父親が脳梗塞で倒れ、左半身マヒになり、数年後大阪で亡くなっている。息子たちを北へ送り出した父と”夢の楽園“を夢見て北朝鮮に渡った息子たち。親子で散歩していても交わす言葉は少なかった。

北朝鮮ピョンヤンの映像がたくさんあり、また庶民の生活(彼女の兄はそれなりの地位があるようで生活は決して貧しくはなかった)や町の様子がたくさん撮られている貴重な映像だった。そして何より可愛いソナが今後どうなるのか?

「愛しきソナ」 2009年韓国・日本 82分 監督:梁英姫(ヤン・ヨンヒ)
名前
URL
削除用パスワード
by irkutsk | 2011-05-02 14:28 | 映画 | Comments(0)