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「朽ちていった命」を読みました(6月26日)

「朽ちていった命」を読みました(6月26日)_d0021786_10133271.jpgNHK「東海村治療83日間の記録」取材班の「朽ちていった命」-被曝治療83日間の記録―を読みました。1999年9月30日、東海村の核燃料加工施設JCO東海事業所で臨界事故が発生した。この日、大内久さん(35歳)は高速実証炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業中だった。大内さんはウラン溶液を注ぐロウトを支えていた。そして最後の7杯目のウラン溶液を篠原さんが流し込み始めた時、パシッという音とともに青い光を見た。臨界に達した時に放たれる「チェレンコフの光」だった。その瞬間放射線の中でももっともエネルギーの大きい中性子線が大内さんと篠原さんの身体を突き抜けた。

大内さんの被曝量は20シーベルト。現在よく耳にするミリシーベルトの2万倍の放射線量だ。8シーベルトの被曝で致死率は100%だ。だが被曝当初、嘔吐や一時意識を失うなどの症状があったが、その後は見たところそんな重病患者には見えなかったと看護婦たちも言っていた。看護婦たちは山内さんと会話も普通にできていた。

しかし、山内さんの身体の中では被曝による身体状況の悪化がすでに始まっていた。被曝によって細胞の中の遺伝子がバラバラに切断されていたのだ。つまり、今後新しい細胞が作り出せない状況になっていた。病気が起きて、徐々に悪くなっていくのではなくて、被曝の瞬間に遺伝子がズタズタに切断されてしまったのだった。そのことによる症状が徐々に現れてくるのだった。

身体の前面から被曝したため、身体の前面の皮膚が再生されなくなり、絆創膏を剥がすと皮膚も一緒に剥がれてくるのだった。そして最終的には身体の前面の皮膚が全部剥がれてしまった。「朽ちていった命」を読みました(6月26日)_d0021786_10294541.jpg

そんななか家族は病院側が用意した部屋に待機して、面会時間には彼のそばに行き声をかけていた。

医師たちもこのような被曝事故患者への対処は初めてであり、あらゆる可能性を模索し、医療を続けていた。

被曝10日目、呼吸困難になり人工呼吸器をつけることになるが、そうなるとしゃべれなくなる。大内さんは奥さんにやさしい口調で少し笑いながらニックネームで妻を呼び、「愛しているよ」と言った。これが、大内さんが奥さんに言った最後の言葉だった。

病院の看護婦たちも、山内さんに声をかけて、いろんなことを話していた。彼に聞こえているはずだと信じて。

しかし、12月21日大内さんは亡くなりました。

放射線被曝というものの怖さが、本を読んでいてひしひしと伝わってきました。そしてまた彼を取り巻く家族、医者、看護婦たちの献身的な看病に心を打たれる本でした。自分のような被曝者をこれ以上出して欲しくないというのが大内さんの気持ちだったのではないだろうか。

いま原発を再稼動させないと、経済活動に大きな支障が出るとか、交付金が減るとか言って、原発の再稼動を要求している人たちがいますが、その人たちに是非読んでいただきたい本です。経済活動と人の命とどちらが重いのでしょうか。

「朽ちていった命」-被曝治療83日間の記録- 2006年10月1日発行
NHK「東海村治療83日間の記録」取材班著  新潮文庫  438円+税
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by irkutsk | 2011-06-26 10:13 | | Comments(0)