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「孔子の教え」を見に行きました(11月29日)

「孔子の教え」を見に行きました(11月29日)_d0021786_1081444.jpg名演小劇場へ「孔子の教え」を見に行きました。

紀元前501年。周王朝の没落が迫り、諸侯国が覇権争いを繰り広げていた中国。魯国の没落貴族の家に生まれ育った孔子は乱世を憂い魯国に仕官した。大国である晋・斉(せい)・楚の3国に隣接している小国・魯(ろ)は、三桓(さんかん)と呼ばれる三つの分家が権力を握り、国政はたびたび混乱していた。安定した国を築こうとした魯の君主・定公(ていこう)は、孔子に大司寇(だいしこう)の位を授け、その活躍に大きな期待を寄せていた。そして、孔子はそれに応えるように、次々と改革を進めていった。殉葬(主君の死後にその家来も一緒に埋葬すること)などの古い慣習を撤廃させ、国に新しい礼節を敷いたり、隣国・斉との同盟条約を無血で締結させ、外交面でもその手腕を発揮した。

盤石の国造りを進める孔子の非凡なる才と知恵は、次第に各国に伝わり、他国の為政者の関心を引くようになる。中でも、衛(えい)の君主・霊公の妻で、絶世の美貌を持つ実質的な権力者である南子(なんし)は、とりわけ孔子を気に入り、何とか自国に引き込もうと画策する。

その後、魯には、衛や斉から、孔子を招聘したいとの書簡が次々と届き、孔子の功績は、季孫斯(きそんし)を初めとする三桓にも認められ、紀元前498年、孔子は国相代理に任命される。

国相代理となった孔子は、魯に及ぼしている三桓の影響力をいよいよ弱めるために水面下で動き出すのだが、孔子の弟子の一人である公(こう)伯寮(はくりょう)の密告により、三桓の知るところとなる。三桓は暗躍し、今まで孔子を寵愛していた定公を抱き込み、孔子を魯から追い出すことに成功する。

家族を残し、一人旅に出た孔子だったが、顔回(がんかい)や子路(しろ)をはじめ多くの弟子たちが、孔子と共にすることを決意し、合流する。こうして、諸国巡遊の旅に出た孔子と弟子たち一行だったのだが、その旅路の先には、得難き出会いと耐えがたき別れが待ち受けていた…。(以上公式HPより引用)

リーダー不足の今の日本に孔子ほどの人物が現れれば、何とかなるのではないか。弱肉強食、権謀術策が渦巻く時代に生きた孔子は、時代の荒波に翻弄され、彼のもつ力を十分発揮できなかったことであろう。しかし、彼の著書によりその思想は残されている。だが仏典と同様、勝手な解釈が行なわれているような気がする。本当の彼の思想がどのようなものだったのか、勉強してみるのもいいかもしれない。

「孔子の教え」 2009年中国 125分 監督:胡玫 出演:周潤發、周迅ほか
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by irkutsk | 2011-11-30 10:08 | 映画 | Comments(0)