「桶狭間は晴れ、のち豪雨でしょう」を読みました(2月25日)
6つの事件について書かれており、最初は元寇にについて。文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2度にわたる元の大艦隊による来襲を神風が吹いて退散させたというのは本当かという話。文永の役は旧暦の10月20日(新暦では11月26日)ですが、この時期には九州に台風が来ることはない。元と高麗軍が撤退したのは、元の指揮官が「疲れた兵士たちで、日に日に多くなる敵と戦うのは得策ではない」と撤退を主張して撤退したためであり、帰還の途中に活発な低気圧に遭遇しておきな被害を受けたというのが実態ではないかと言っています。また神風説が学校で教えられるようになったのは、昭和18年の国民学校初等科5・6年生用の「初等科國史」からであったそうだ。
第2章ではこの本のタイトル「桶狭間の合戦」について書かれています。日付は新暦の6月22日。梅雨の最中ですが、朝から晴れて太平洋高気圧が張り出し、上昇気流が生じゲリラ豪雨のような雨が降った。しかもその雨は西から東へと移動し最初に織田軍を襲い、雨が上がったあと織田軍は雨を追いかけるようにして今川軍に攻め込んだ。今川軍は突然の雨で視界もきかず、織田軍の攻撃に気がつくのが遅れたというのが実態ではないかという。
第3章では壇ノ浦での源平の戦いで平家はどうして負けたのかが、関門海峡の潮の流れから明らかにしています。第4章は島津の琉球入りの話、第5章は2・26事件について。2・26事件が起こった背景にあった東北地方の冷害による凶作のメカニズムを解明しています。第6章では台風についてかかれており、第1章の元寇の弘安の役の台風がどのような進路を取ったか、そして元・高麗軍はどうして多くの船を台風でなくしたのかを解明しています。
当時の気象状況を歴史書を元に復元し、天気が歴史的大事件にどのように関わっていたかを興味深く解説してある本でした。
「桶狭間は晴れ、のち豪雨でしょう」 松島憲昭著
メディアファクトリー新書 2011年10月31日発行 740円+税