「運命の法則 「幸運の女神」とつきあうための15章」を読みました(1月24日)
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1960年代に、シカゴ大学心理学科の教授だったチクセントミハイが「フロー理論」というのを提唱した。当時は行動主義心理学が勢力を伸ばしてきており人間の行動に対する動機付けの理論も外部から理論的に観察できるものに限定した。つまり人間は金銭、地位、名誉などに対する期待や、処罰や不名誉に対する恐れなどによって動機付けられるとした。これは今日でも私たちの間で暗黙の信念となり、広く一般的な社会常識として受け入れられている。
一方、内発的報酬はこみ上げてくる喜びや楽しさが行動の動機付けとなっている。しかし今の社会では“内発的報酬”がほとんど無視されている。私たちは幼少の頃から他人と優劣が比較され、競争の勝者のみが価値を認められる環境の中で長年過ごしてきている。金銭、地位、名誉あるいはマイホームを目指して必死に努力することが正しい人生だと信じている。
私たちの身の回りの物質的な世界。発生する出来事に一喜一憂する人生。あるいは怒り狂ったり、嘆き悲しんだりする私たちの精神状態。「こうしたい」「ああなりたい」という思いや目的意識。そういったものを一切超越して、宇宙の底の方に音を立てて滔滔と流れる「運命の流れ」が確かに存在するのだ。
内側からこみ上げてくる情熱にまかせ、自分で発想し、コントロールできる状態で準備すると、はじめて幸運につながるのだ。それが「大河の流れ」なのだ。
人生においては一見すると「幸運」あるいは「不運」に見えることが次々にやって来る。だがそれを簡単に「いい」「悪い」とかいうふうに判別できるほど「運命の法則」は単純なものではない。要するに「いい運命」も「悪い運命」もないのだ。出来事はすべて中立で、それについて私たちが単に「いい」「悪い」のレッテルを貼っているだけと解釈するか、あるいはいっそのこと、すべてが「幸運」と割り切ってしまうほうが生きやすいだろう。
大河の流れが見えると、流れに逆らって泳がなくなる。歯を食いしばって努力する人生とは無縁になる。「運命を変えよう」と思わなくなる。身の回りに起こること、出会う人のすべてに感謝できる。つまらないことにクヨクヨ悩んだり、いたずらに未来に不安を感じたり、思い通りにならない周囲の状況にイライラしたりするのをやめて、もっと大きな力のはからいに身をゆだねなさい。
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自分が熱中できるものに集中し、楽しんでそれをやっていると自然と道は開けてくる。まるで神が助けの手を差し伸べてくれているかのように。そして周りの人に感謝し、起こったことに一喜一憂せずに、すべて自分にとって必要だから起こったことだと思えば楽に生きられる。もう金も地位も名誉も要らなくなった立場になって、初めて自分は好きなことをやるために生まれてきたんだということがわかりました。
「運命の法則 「幸運の女神」とつきあうための15章」 天外伺朗著 飛鳥新社 2004年11月25日発行 1400円+税