「小さいおうち」を読みました(2月21日)
この本のなかで最初の奉公先の作家・小中先生と町で偶然会って、カフェに入って話をする場面でその小中先生が次のように言っている。「なにがどうというんでもないが、僕だって一生懸命やっている。僕だって、岸田だって、菊池だって、よくやっている。国を思う気持ちも人後に落ちないつもりだ。しかし、その我々をすら、非難する者があらわれる。文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなってくる。そうはしたくない。しかし、しなければこっちの身が危ない。そんなこんなで身を削るあまり、体を壊すものもあらわれる。そうはなりたくない。家族もある。ここが問題だ。」
なんとなく今の日本の状況と似ているような気がして、ぞっとしたのは私だけだろうか。
女中として住み込んだタキが見てきた、平井家の様子を描くなかで、タキと時子の関係、そして新たにあらわれた板倉と奥様の関係、時節柄二人の関係が表沙汰になることは避けなければならない。でも奥様の気持ちも、そして奥様によせる自分の気持もあり、タキは悩む。板倉が出征するために郷里の弘前へ戻る前日、時子は板倉の下宿を訪ねようとする。それをタキは押しとどめ、自分が板倉に手紙を届けるので、明日こちらへ来るようにという手紙を書いてくれと言う。そしてその手紙を持って出かけたタキは、それを板倉に届けず、終生自分の手元にしまっておいたのだった。
タキが亡くなった後、その手紙は甥の息子・健史によって時子の息子・恭一に渡されることになった。奥様と旦那様は昭和20年5月の空襲で防空壕の中で亡くなっていた。たまたま友達の家に行っていた息子の恭一は助かり、福井の親戚に引き取られたという。
映画を見た後で、本を読んだが、どちらもとてもいい出来でした。
「小さいおうち」 中島京子著 文芸春秋 2010年5月30日発行 1581円+税