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「親鸞」(下)を読みました(3月19日)

「親鸞」(下)を読みました(3月19日)_d0021786_22374613.jpg六角堂での百日参籠があと五日で百日になるという九十五日夜目の深夜、ふと衣ずれの音がして女の影が近づいてきた。最初に範宴が子どものみにくい腫れ物を前にして立ちすくんでいたときに手巾を投げ入れてくれた紫野だった。彼女は胸を病んで、療養のために越後へ帰ることになったが、もう二度と会えないかもしれないのでお別れに来たと言う。そして彼に法然上人のいる吉水へ行くようにと言う。

その日から範宴の新しい生活が始まった。一般の人にまじって念仏し、法然の語る言葉を聞く。そんなある日、若い娘に声をかけられる。紫野の腹違いの妹の鹿野という健康そうな娘だった。そして鹿野は自分が差配している烏丸へ来るようにと言う。

やがて範宴は法然上人に会うことができたが、その場で法然の教えを「危うい教え」だと言う。その後範宴は綽空と改名する。そして鹿野は綽空に心を打ち明けるのだが、綽空はまだ紫野のことを思い続けていると答える。打ちのめされた鹿野は法然の弟子で美しい声で念仏を唱え、女性に人気のある遵西のもとへいくのだった。

しばらくして紫野が、病が癒えたといって戻ってくる。彼女は恵信と名乗っていた。一方鹿野の行方は知れず、法然の弟子・遵西と行空は黒面法師と組んで、比叡山と対決しようとする。

そんな時、善信と名を改めた綽空の下へ、鹿野が法勝寺の八角九重塔でまっているという。駆けつけた善信を待っていたのは黒面法師で、二人を縛って、火をつけるという。だが鹿野はおなかに遵西の子がいると告白し、居合わせた遵西は彼女を助けようとする。結局、行空と黒面法師が焼け死んだが、この事件が法然弾圧の契機となった。遵西と住蓮は死罪を言い渡され、遵西は六条河原で斬首された。法然は土佐へ、善信は恵信の故郷、越後への流罪となった。

流罪を前に善信は名を親鸞と改め、越後へと旅立つのだった。

「親鸞」(下) 五木寛之著 講談社 2010年1月1日発行 1500円+税
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by irkutsk | 2014-03-19 22:38 | | Comments(0)