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「親鸞激動篇」(上)を読みました(3月29日)

「親鸞激動篇」(上)を読みました(3月29日)_d0021786_972970.jpg越後へ流罪となり妻・恵信とともに国府の港に着いたのは1年前のことだった。

流罪になった者は一般に1年から3年の役というものが課せられ、親鸞の場合は1年だった。その役を終えると配所の戸籍にくわえられ、刑期を終えるまで自活することになる。百姓と同じように田畠をたがやし、年貢その他の租をおさめて働くのだ。そのための種籾は役所から貸し与えられ、男は2反、女は1反120歩ほどの田も支給される。しかし収穫の後には、借りた種籾に利子をつけて返さなければならず、さらに年貢もおさめなければならない。

幼い頃に親鸞に学問を教えた伯父の日野宗業が、その後、どういう手蔓をもちいたのか、去年、突然、越後権介という役目に就いたということで、国司も親鸞を粗末にはあつかえず、国司の館の一角にある郡司の詰め所の裏庭の物置を手直ししてそこに住まわせていた。

そこで雑役につけ、崩れかかった塀や風除けの柵の修理、瓦がはがれた屋根、荒れ放題の庭、根太の腐った床、水の枯れかかった井戸などをやらせたが、親鸞はそれらをすべて巧みにこなしたのだった。

その1年の役が3日前に明けたばかりの親鸞は恵信とともに小高い丘の上から海の方を眺めていた。すると奇妙な行列が見えた。行列の先頭には白い旗がひるがえり、旗の後に数頭の牛、その牛に続いて長い長い行列が蛇行している。恵信に効くと「権現さまのご一行」だという。世間では「ゲドイン」さまとよんでいるそうだ。

「外道院金剛大権現」を名乗るこの男は、本人の言によると大和の大寺の下人の子だという。神童と言われるくらいに頭がよかったので、役僧が陰陽道を学ばせたら、これが大当たり。その吉凶を占うところことごとく的中した。ついに朝廷の陰陽寮にまで招かれ、陰陽博士も目の前というところで惜しくも失脚した。競争相手の陰陽師が、彼の身元をさぐり、下人の子だとばらしたらしい。朝廷をだました罪として、額に「下」の焼印を押されて追放されたという。その後、葛城山にこもって木食、峰歩き、窟ごもりなど山の暮らしをしたあげく、自然に修験道の道に入ったそうだ。そして本人は役の行者の声をきいたと言っている。

その行列が近づくと男も女もひざまずく。そして道端に土下座した人々は「外道院さま、ご勧進。ご勧進-」と言って大きなざるを持って歩く男たちに銭や干魚、餅や米、野菜の束を差し出す。その行列を見ていた親鸞は、生き仏などはいないと、ひざまずくことなく、立ったままその行列を見ていた。

突っ立っている親鸞に対して「そなたは、なぜ立っておる」と問われるが、親鸞は答えなかった。「外道院さまは、即身成仏なされた当代、ただお一人の生き仏であらせられる。そなたもひざまずいて、ありがたく拝むがよい」と言われるが、「人は、浄土に迎えられて仏となるのだ。この世に、生き仏などというものはない」と答える。

そして行列には乞食や病人、目や足の不自由なもの、気のふれたものも多数いた。やがて白覆面姿の大男が人々を前に朗々としゃべり始めた。「よいか、皆の衆。今ここを行くかたがたを、ようく見るがよい。世のお偉いお坊さまがたは、つねに業ということを説かれておる。前世の業。現世の業。身・口・意の三業だ。それらの悪業のむくいとして人は悲惨な目にあうというのだ。しかし、それはちがう。これらの人々は、そなたたち世間の者たちの業を背おって、病み、貧にあえぎ、苦しみを受けているのだぞ。世の中でもっとも心やさしく、汚れなき者たちが、そなたたちの身代わりとして、業を引き受けているのだ。これを代業という。」

翌日、外道院から親鸞に来るようにとの使いが来た。そして外道院のところへ行く途中、人買いの現場に立ち会う。人買いの現場を見るのは初めてだった。外道院の住む廃船に着き、人が人を売っている光景を見たので怒っていると外道院に言うと、外道院は英彦山坊にすぐに行けと命じる。親鸞も自分も行くと、ついて行く。そして白覆面の名香坊宗源が人買いの用心棒を倒すと、先生と呼ばれる男が現れた。親鸞は先ほどこの場所で下人の競りを他人事のように見過ごした自分が許せず、彼の前に立つ。そして念仏を唱え始めると先生は奇妙な咳をし、血を吐いてひざまずいた。偶然のこととはいえ、見ていた者たちは親鸞が念仏で倒したと思い込んだ。

その後、守護代による娘の誘拐を外道院たちと協力して助け出すという事件もあった。

この本での最大の山場は寒くて、雨が降らない夏に雨乞いの祈祷をやってくれと頼まれ、いったんは断るが、何度も頼まれ、断りきれずに引き受けることになる。飲まず、食わずで7日間、念仏を唱え続けるが雨は降らず、守護代は彼を殺そうとするが、その時雨が降り出す。今回も偶然によって助けられた。

親鸞は念仏を唱えればどんな悪人も浄土へいけると説いていたが、現世の苦しみを解決できない自分自身に疑問を感じ始めるのだった。外道院を見ることによってこのことに気付いたのだった。

親鸞激動篇(上) 五木寛之著 講談社 2012年1月14日 1500円+税
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by irkutsk | 2014-03-29 22:55 | | Comments(0)