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by irkutsk
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「親鸞激動篇」(下)を読みました(4月12日)

「親鸞激動篇」(下)を読みました(4月12日)_d0021786_610387.jpg 親鸞は「自分の心の底の底に、どす黒い、よどんだものがおりのようにたまっている。人間だれしもがかかえている煩悩といえば、そうかもしれないが、もっと暗く、もっと重いものなのだよ。だから、海を見ていると、その自分の内側のふかい淵をのぞきこんでいるような気がしてきて、慄然とするのだ。法然上人には、そういう気配はなかった。春の海のようになごやかで、接する者の心まで温めてくださるような安らかさがあった。わたしには、それがない」と悩んでいた。

 親鸞の弟子の鉄丈は、あるお坊さまは、自分にこういわれた。「悪因悪果、その病は、そなたの前世の悪行が病となってあらわれたのだ。みずからの業の深さを悔いるがよい」と。だが鉄丈は、重い病をえるだけでもつらいのに、さらにその人の心までを苦しめるのが、はたして仏の教えであろうかと考えた。

 また鉄丈は親鸞に「信じて念仏すれば救われる、といいますが、救う、というのは、どういうことでございますか」と問うている。親鸞もまた、「地獄のおそろしさを説き、そこから逃れる道が念仏だと教えることは、はたして本当に意味のあることなのだろうか」と疑問に思うのだった。

 親鸞のもとへ関東の香原崎浄寛から手紙が来て、関東に来るようにとすすめられた。親鸞は彼のすすめに応じて妻の恵信とともに関東へ行くことを決心する。途中善光寺でしばらく滞在することになる。そこで人々が何をもとめて善光寺にやってきているのかを観察していた。一つは病気平癒、つぎは、商売繁盛、そして三つ目は家内安全だった。人が幸せに生きるためには、臨終のときを待たねばならないのか。

 親鸞は常陸の国、小島に身を落ち着けた。粗末なうちの前からは筑波山が見え親鸞は気に入っていた。道場で人々に念仏についての話をするのだった。その話のなかに次のような話があった。「念仏をしても、決して背負った荷の重さが軽くなるわけではない。行き先までの道のりがちぢまるわけでもない。自分がこの場所にいる、この道を行けばよい、そしてむこうに行き先の灯が見える。その心強さだけで弱虫のわたしはたちあがり、歩きだすことができた。念仏とは、わたしにとってそういうものだった。」

 妻・恵信の妹・鹿野の残した娘・小野は口を聞くことができないこどもだった。その小野も大きくなり、親鸞の弟子・性信房を好きになる。それを親鸞は「とんでもないことだ、許せぬ。性信房はすでに妻子もある中年の男ではないか。そんな相手に心をうばわれるとは、なんたること。まして言葉さえ発せぬあわれな娘ではないか。恋したところでどうなるというのだ」と言う。だが恵信は「どうなるものでもございません。しかし、いまの親鸞さまのお言葉こそ、わたくしは許せませぬ。言葉さえ不自由な娘は、人を思うてはならないのですか。人を好きになること、はいけないことなのですか」、「さきほど小野のことを、許せぬとおっしゃったではありませんか。よほどご自分を高いところにおいていなければ、吐けぬ言葉でございましょう」と答えるのだった。

 やがて親鸞は「見えない阿弥陀仏を心から信じ、念仏するものは、いま、そのとき新しい人間に生まれ変わるのだ。無間の闇におびえて生きてきた自分が、実は無限の光に照らされている、阿弥陀仏という仏に抱きしめられて浄土へ往生する身なのだ、と確信できたとき、人は臨終をまつことなくすくわれる。しかし、念仏と出会わなかったあわれな人びとは、死んでのちにすくわれるのだ。だが信をえたとき、その人は生きたまま、ただちにすくわれる。そう思う。ひとしく往生するとしても、そこがちがうのではあるまいか」と考えるようになる。

 常陸の国へやって来たのは親鸞42歳のときであった。そしてこの地で20年を過ごし、いままた京へ行くことを決意する。都では大きな嵐が吹き荒れており、<法然上人の遺教いまあやうし>という状況を聞き、都へ行く決意をするのだった。

 「あとがき」で書かれているが、親鸞の生涯は、おおまかに3つの時期に分けることができる。幼児のころから30代にいたる放浪、勉学の時代。そして流刑者として越後へ送られ、やがて関東で家族とともに暮らした時代。最後が京都へもどっての60代から享年90までの生涯である。この激動編は越後と関東で家族と暮らしながら、念仏を広め、自分自身が念仏とは何かを考えてきた時期の親鸞が描かれている。

親鸞激動篇(下) 五木寛之著 講談社 2012年1月14日 1500円+税
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by irkutsk | 2014-04-13 06:10 | | Comments(0)