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「日本辺境論」を読みました(4月28日)

「日本辺境論」を読みました(4月28日)_d0021786_21283314.jpg内田樹の「日本辺境論」を読みました。

内田氏は、本書における彼の主張は要約すると次のようなものことだといって梅棹忠夫の「文明の生態史観」を引用しています。

「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなく劣っているという意識である。おそらくこれは、はじめから自分自身を中心としてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族ひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」

私たちは変化する。けれども変化の仕方は変化しない。世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びつく。おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる。

明治維新後は欧米を新たな「中華」とした。世界標準に追いつくことはできるが、世界の範となることはできない。日本の右翼も左翼も、すでに存在する「模範」と比したときの相対的劣位だけが彼らの思念を占めている。

では、どうやって「世界標準」の呪縛から解放されるか?
「そんなことを言う人は今のところ私のほかには誰もいないけれど、私はそう思う」と言う態度です。自分の発信するメッセージの正しさや有用性を保証する「外部」や「上位審級」は存在しない。そのようなものに「正しさ」を保証してもらわなくても、私はこれが正しいと思うといいうるということです。その「正しさ」は今ある現実のうちにではなく、これから構築される未来のうちに保証人を求めるからです。

第2章では「学び」について辺境人は「虎の威を借る狐」で、なんだかよくわからないものに出くわしたら、とりあえずそれに宥和的な態度をとる。そして私たちが日ごろ口にしている意見のほとんどが誰かからの「借り物」なんです。

第3章では「機」の思想について書かれています。宗教においても辺境人は自らを霊的辺境としている。そういう立場をとっていれば、自身の卑小さや無能は、伝えている当の伝承の価値を少しも毀損することがない。辺境人の最大の弱点は「私は辺境人であるが、ゆえに未熟であり、それゆえ正しく導かれなければならない」という論理的形式を手放せない点にある。これは「学び」「師弟関係」「道」的プログラムの成功につながっている。しかし、「小成は大成を妨げる」で絶対的な信の成立を妨げている。

第4章では日本語との関係について述べています。

「日本辺境論」 内田樹著 新潮新書 2009年11月20日発行 740円+税
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by irkutsk | 2014-04-28 21:28 | | Comments(0)