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「白い夏の墓標」を読みました(9月3日)

「白い夏の墓標」を読みました(9月3日)_d0021786_103861.jpg北東大学医学部の佐伯教授は第6回肝炎ウィルス国際会議で講演するためにパリへやってきていた。自分の講演が終わった後、ポーチに立ち尽くしていた佐伯に70歳を超えると思われる老紳士が声をかけてきた。そして彼に「ドクター・クロダをご存知ですか」と聞いてきた。この老人はベルナールと言って、かつて北東大学細菌学研究室で佐伯と一緒にはたらいていた黒田は彼の部下だったと言う。そして今夜一緒に食事をしてもらえないかと申し出た。佐伯はこの老人と夕食をともにし、黒田の死の事実を聞かされる。彼の話によると黒田の死は事故ではなく、自殺だったと言う。

そして黒田の墓はアリエージェ県のウストという町にあるという。そして佐伯に墓参りをして、墓の世話をしてくれているヴィヴ夫人に封筒を渡してくれと言った。

黒田の郷里は佐賀で、ただ一人の身内である兄は精神病院に入っていた。巡査だった父は酒の勢いで上司を殴り、免職になってから定職につかなかった。一家はある篤農家の納屋の二間を間借りしていた。この家は油屋を営んでいて、黒田の父は油作りの工場で人夫みたいなことをしていたが大酒飲みで、3年余りで吐血して亡くなっていた。黒田が熊本の学校を出て、東京の専門学校に行ってから油屋の奥さんと関係し、それが露見し、奥さんはかみそりで手首を切り、危篤状態で入院した。その日に黒田の母親は首をつって亡くなったのである。奥様は命をとりとめたが。

昭和27年3月、北東大学産婦人科で新生児病棟に急患が入った。生後1週の赤ん坊で、感冒様の症状を呈していた母親から感染したらしく、気管支肺炎を併発して瀕死の状態であった。同じ病室には6人の新生児が収容されており、赤ん坊たちは翌日から次々と肺炎症状を示し始めた。その後、新生児病棟全体に蔓延し、17例が発症、11例が死亡したのである。11例のうち9例を剖検に付すことになり、北東大学細菌学教室のK講師に任された。その助手を黒田がつとめることになった。いかし、K講師は実際の仕事をすべて黒田に押し付けてしまった。そして黒田はこの剖検をやる中で、その年の12月に「仙台型肺炎ウィルスによるエーリッヒ腫瘍細胞の融合」と題する英語の論文を「北東医報」に発表した。彼は英語は得意ではなく、佐伯に英訳を依頼していた。

その論文が発表されてまもなく、翌28年の年が明けて早々米軍のジープが基礎研究棟の玄関に横付けされた。黒田を米国の研究所に招きたいという話だった。

黒田はその誘いを受け入れ米国に渡ることになった。だが彼が実際に仕事をしたのはアメリカではなくピレネー山中のアンドールという小国だった。そこで細菌兵器を作る仕事をさせられたのだった。

佐伯はベルナール老人の依頼を受け、黒田の墓のあるウストへと向かった。そして黒田の墓参りをした後、彼から預かった封筒を渡すためにヴィヴ夫人に会いに行くのだが…。彼女はベルナールという人を知らないし、黒田のお墓と私は何の関係もないと言って追い返されてしまった。

ところがホテルへ彼女からの手紙が届けられ、先ほどの無礼をわび、明朝黒田の墓の前で会って話したいと書かれていた。

彼女はかつて看護婦をしていて、その病院に黒田が精神疾患で入院してきて、彼女がその世話をしていたのだと言う。ところが彼の病気は仮病で、彼はヴィヴと二人で山を越えてフランスへ逃げる計画を立て、実行したのだった。ところがその計画は最後のところで追っ手に発見された。

黒田は事故で死んだと日本には伝えられていたが、ここでは自殺したということになっている。しかしヴィヴの話によると自殺はしていないと。

はっきりとは書かれていないが、黒田は生きているんじゃないかと思わせられる内容だった。黒田とヴィヴの間にできた女の子・クレールとも会い、佐伯は日本へ帰って行った。

この本の中で素晴らしいと思ったところは
「生まれて、病んで、死んでいく、その繰り返し。それでいいと思うよ。ところが医者は仏頂面してそれを妨害している。生命の尊厳などという訳のわからないものを看板にしてね。足掻き、のた打ち回って、生にしがみつくのがなんで生命の尊厳なものか」

「ここでは医学がひっくりかえっている。病気を癒すのが世間でいう医学だとすれば、僕を含めてここにいる人間は病気を後押しするための医学をめざしている。まさに逆立ちした科学。(中略)逆立ちした科学は坂をころがってくる石に加速度をつけるだけですむのに、まっとうな科学は突進してくる医師の前に立ちはだかって停止させなければならないのだ」

主人公は形式上は佐伯なのだが、本当の主人公は不遇の科学者・黒田武彦である。飲んだくれの父親、そして貧困。篤志家の油屋のおかげで学校を出してもらいながら、その奥さんと関係してしまう。病院に入った後も貧困と下積みの生活を送ってきた彼に、突如アメリカで研究してみないかとの誘い。だがその内実は細菌兵器の開発で、彼はさらに苦悩するのだった。

30年以上前に書かれた作品であるが、いまでも人目につかないところで“逆立ちした科学”に従事している人間がいるだろうということは容易に想像できる。

「白い夏の墓標」 帚木蓬生著 新潮社 1979年4月5日発行 900円
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by irkutsk | 2014-09-03 10:37 | | Comments(0)