「出口のない海」を読みました(9月5日)
そんな並木だったが、もう一度投げられるようになりたいとがんばるのだが、かつての速球は投げられず、彼は魔球を編み出すことに専念する。そんな彼らの元にも戦争の足音が押し寄せ、学生の徴兵猶予が停止され、学徒動員が始まった。
並木は海軍に入隊し、2ヶ月の海兵団暮らしの後、久里浜にある対潜学校に入った。そしてある日、対潜学校の生徒500人が講堂に集められ、特殊兵器に乗って戦闘に参加したければ名前と二重丸を書け、希望しないものは名前だけを書いて出せと言われる。特殊兵器については「挺身肉薄一撃必殺、特に危険を伴う特殊兵器」という説明だけだった。
並木は二重丸をつけて志願し、山口県光市にある「光基地」に配属された。そこでようやく自分たちが乗る秘密兵器とは人間魚雷「回天」だということがわかった。回天には自爆装置はあるが、脱出装置はない。出撃すれば必ず死んでくるという兵器だった。
潜水艦に接続されて敵艦の近くまで行って、そこで回天に乗り込み、切り離されて、目標の敵艦を特眼鏡で確認し、方向を定めて海中を突進するのだ。並木の最初の出撃のとき潜水艦に6基の回天が装備されて出撃したが、途中で敵の駆潜艦にソナーで感知され、爆雷が次々に投下され、爆発した。この攻撃で6基の回天のうち2基が使用不能になった。そして、敵の輸送船を発見し、いざ出撃となった時、2基の回天が故障で発進できず、佐久間の乗る6号艇が発信し、敵輸送船に命中し、撃沈させた。ところが敵の輸送船は1隻だけだったので、並木の出撃は一旦なくなった。ところがさらに敵艦を発見し、回天に再度出撃命令が出され、並木が乗り込み、出撃しようとしたが、燃料に点火せず発進できなかった。基地に戻り、上官からはスクリューを手で回してでも出撃せよと怒鳴られる。
並木は「俺は人間魚雷という兵器がこの世に存在したことを伝えたい。人間が兵器の一部になったことの動かしがたい事実として残る。それでいい。俺はそのために死ぬ」と後輩の沖田に語るのだった。
昭和20年5月8日、出撃前の連合訓練が行なわれ、潜水艦から発進した並木の訓練艇が行方不明となった。海底の土砂に突っ込んで動けなくなったようだ。回天には後退する機能はなかった。
戦争が終わって、枕崎台風が過ぎ去った後、回天が波間に浮かんでいた。
回天は昭和19年11月から終戦まで31回出撃し、出撃隊員、事故による殉職者、搭乗整備員ら145名が回天と運命をともにした。その戦果も不明となっている。
飛行機による特攻や回天など人を武器として使う非人間的な作戦が行なわれていた。死をもって戦闘行為を遂行するという状況におかれた人間が、何を思い、残された時間をどう過ごしたのかが書かれており、大変参考になった。しかし、二度とこのようなことが繰り返されてはならないと思う。
「出口のない海」 横山秀夫著 講談社文庫 2006年7月14日発行 590円+税