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「春香伝」を読みました(9月17日)

「春香伝」を読みました(9月17日)_d0021786_2215684.jpg韓国の民族的古典「春香伝」を読みました。来月「春香伝」の舞台となった南原へ行くので、是非その前に読んでおきたいと思って読みました。

春香伝は18世紀に作られたもので、その頃庶民に愛されていた演劇はパンソリで演じられており、パンソリ台本として残っている主なものだけでも30数種類もあるということです。

両班の息子・夢龍は父の転任で全羅南道の南原へやって来る。毎日毎日、科挙の勉強に明け暮れていて、外出もままならなかった。そんな中、房子の計らいで気分転換の外出を許された夢龍は南原の名所「広寒楼」に来ていた。そこでブランコに乗る娘を見つけ、彼女と話をしたいと思う。房子を娘の元へやり、楼の上に来るように誘う。その娘こそ春香であった。お互いに一目ぼれした二人は、毎日のごとく春香のうちで逢引をするようになった。そして二人は夫婦の契りを結び、どんなことがあっても離れないという誓書を夢龍は書いた。ところが春香は妓生の娘であった。やがて父が出世し、ソウルへ戻ることが決まる。遊びならいいが、正式に結婚するとなると妓生の娘など絶対にダメだと父に言われ、二人はなくなく離れ離れになるのだった。夢龍は科挙に合格し、両班となって春香を迎えに来るからと言って去っていった。

その後、夢龍の父に代わって南原の府使になってやって来たのは、時の宰相の甥・下学徒だった。彼は宰相の甥というだけで、権勢を振り回し、領民のことなど一切考えず、自分の私腹を肥やし、その地の美人を娘であろうが、他人の妻であろうが皆思いのままにしていた。南原一の美人・春香も目をつけられ、彼の妾になるように強要されるのだった。しかし、しかし、春香は「烈女は二夫にまみえず」と断るのだった。府使は春香を鞭打ち、首に枷をつけて牢屋に放り込んだ。

一方、京で科挙に合格し、両班となった夢龍は宰相に見込まれ、「暗行御使」を命じられる。「暗行御使」とは、地方の役人の不正を摘発し、処刑する権限も持つ役であった。しかし、宰相は自分の身内でない湖南地方の役人の不正を暴いて、その後に自分の息のかかった者を配置しようとしていたのだった。

「暗行御使」はその身分を隠し、内偵した後、その罪状を暴き処分を下すというもので、夢龍も部下とともに貧しい身なりをして、湖南地方へ向かった。そしてそこで初めて、庶民の暮らしがどんなに大変なのかを知ることになった。と同時に南原の美女・春香が自分に操を立て、牢獄につながれていることを知る。

そして、府使の誕生日に乞食の格好で、府使の菅家を訪れ、飲み食いをした。乞食を追い出したい府使は即席に死を作れぬものは退席願おうと提案する。そして夢龍が書いたのは、役人の不正を暴く詩だった。これを見た客の守領たちは先を争って逃げ出した。そこへ「湖南暗行御史出道」の声が響き渡り、御史の正装をした夢龍が登場し、「本府の府使、下学徒の罪状は、十指に尽きない。よって聖旨にもとづき、地方守領の政情を査察する本官は、本府の職を封庫罷職(財産を没収し、免職)とする。下学徒は京に引致し、罪状を糾して処罰されるであろう。また本日、民の膏血を絞った宴席に連なる守領は、追って沙汰あるまで、任地に帰って謹慎致せ」と言った。

勧善懲悪を絵に描いたようなストーリーであるが、弱い一庶民の抵抗精神を表している名作である。次の一節は今でも通用する考えだと思う。「人を苦しめるものは、必ず没落して、苦しむようになり、苦しめられる者は、必ずその苦しみから抜けられるときがくる……。
その、単純な教えが、決して、間違ってないことを、彼女は、深く強く信じていた。ただ弱い者がいつまでも苦しめられているのは、すぐ、あきらめて、降参してしまうからだ。どんなことがあってもあきらめないで、どこまでもたたかう者は、かならず勝つのだ。そして、悪い奴の前に降参する者は、降参する者も悪い者に味方することになるのだ……。」

安倍首相に聞かせてやりたい言葉である。

「新編春香伝」 李殷直著 株式会社高文研発行 2002年4月20日 1,500円+税
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by irkutsk | 2014-09-17 17:00 | | Comments(0)