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「戦場から女優へ」を読みました(10月10日)

「戦場から女優へ」を読みました(10月10日)_d0021786_10395690.jpgイラン・イラク戦争のとき、ヘルサはイランのクルディスタンの近くにある人口400人ぐらいの小さな町に住んでいた。イラクとの国境近くにあり、いつも紛争が絶えない地域だった。そこに土を塗り固めただけの貧しい家に両親と11人の子どもが住んでおり、ヘルサは11人兄弟の末っ子として1985年に生まれた。

そして1989年2月下旬、イラク軍の空爆がこの村を襲い、ヘルサも家の下敷きになって「お母さん、お父さん」と助けを呼んでも誰も助けてくれない。周りから聞こえていた悲鳴もだんだん聞こえなくなってきた。

そんな彼女を助けてくれたのはボランティアの学生・フローラだった。彼女は裕福な家庭の子で、心理学を学んでいる大学4年生だった。けが人の救助に彼女がクルディスタンへ行ったのは、空爆からすでに丸三日以上が過ぎた4日目の朝だった。いたるところに死体が転がっていて、400人の市民は一瞬にして全滅していた。そんな中でがれきの間に一輪の青い花が目に飛び込み、その青い花のそばに小さな手を見つけた。そしてその手は暖かく、脈打っていた。こうしてヘルサは女子大学生・フローラによって助け出され、応急処置を施された後、テヘランの病院へ運ばれた。

病院で治療を受け、元気になったヘルサは孤児院へ送られた。そしてしばらくたったころ、フローラが面会に来てくれ、その後もしばしば彼女のもとを訪れてくれた。

やがてフローラはヘルサを娘として引き取りたいと申し出、未婚のフローラはヘルサを自分の娘としたのだった。フローラの両親は反対し、二人はフローラのアパートに住むことになった。ヘルサにとっては見るものすべてが初めてのものばかりだったし、孤児院でついた習慣はなかなか直らなかった。結局フローラの両親ともうまくいかず、二人はフローラのフィアンセがいる日本へ行くことに。

日本へ来てみると、彼のアパートはユニットバスの付いた6畳一間のアパートで、彼はまだ学生だった。そしてフローラには働いてくれるようにと言うのです。一週間が過ぎる頃、彼の態度が変わり始め、ヘルサの食べ方(孤児院で習慣化して、がつがつ食べてしまう)や、外で遊んでいたことを怒られ、お風呂場に閉じ込められたり、手を叩かれたり、熱したスプーンを足や背中に押し付けたりした。

母・フローラはヘルサを連れてアパートを出る決心をしたが、行くあてもなく、公園でホームレス生活をすることに。

その後も彼女たち二人の生活は大変なことの連続で、ヘルサは中学でいじめにあうが、母・フローラに心配をかけまいと、それを隠していたのだった。

様々な苦労の末、エルサは高校3年生の時、外国人お笑いコンビ「塩コショー」のベルナール・アッカと出会い、オーディションを受けてラジオJ-WAVEのレポーターの仕事をするようになった。そしてだんだんと仕事も増え、滝川クリステルに似ているということから、滝川クリスヘルという名前で彼女の物まねもしてきた。でも彼女の夢は人のまねではなく、女優になることだった。

サヘルがフローラに言われた言葉を紹介します。
「自分ばかりでなく周囲にまず気を配りなさい。人のために何かをすれば、やがて自分にも還ってくるのです」

「あの人のようになりたい、こういうことができたらいいなと、ポジティブに人をうらやむことは良いこと。でも、どんなことがあっても、あの子さえいなければいいのに、と思っちゃダメ。サヘル、鏡でいまの自分の顔を見なさい。そう思ったときのあなたの顔は最悪。たとえ裏切られても、それを許せる大きな心を持ちなさい」

「人をぜったいに嫌いになってはだめ。はじめてあった人に100点満点をあげると、時間とともに点数をマイナスしなければならないでしょう。だから、最初は0点にしておいて、点数をプラスしていきなさい。こちらの勝手な思い込みでいいイメージを作っておいて、途中で、こんなはずじゃなかったというのは、その人に失礼よ。だから最初はマイナスイメージを持ちなさい。それから徐々にいいところが見えてくるから、人を嫌いにならずに済むのよ」

そして彼女自身が語っていることで印象に残ったところは次のようなところです。
「人を必要以上に怖がることもないし、媚びることも、うらやむことも憎むこともなく、どんな時も自然体でいればよい――それが「素」を出すということ。」

「私はイラク軍の空爆によって家族を失いましたが、そのことでイラク人を憎いと思ったことはありません。確かに愛する人を殺されれば憎いと思うのは当然。しかし憎悪の感情はきわめて個人的なものであって、怒りの矛先を直接関係のない人々に向けるべきではないのです。ところが戦争は、国同士の争いを個人的な憎しみに転化します。」

また自分が生かされている理由を「伝える」ことだと言っています。戦争の悲惨さ、戦争の被害によって孤児院で暮らさなければならない子どもたちの実態、そして孤児院の実態などをたくさんの人に伝えれば、平和な世界が訪れると彼女は信じています。

最後に彼女は次のような感謝の言葉でしめくくっています。
「神さま、私に母を与えてくれてありがとう。
 私に「生きろ」と、力を授けてくれてありがとう。
 人を愛する心、感謝の気持ちを教えてくれてありがとう。
 神さま、私は生きていて、よかった。ほんとうに、よかった。」

国と国の争いで、罪のない人たちが犠牲になり過酷な人生を強いられる世界がまだあちこちにあります。そんな中でたくましく、かつ自分を見失わないで生きてきた彼女の半生に拍手を送りたいと思います。

「戦場から女優へ」 サヘル・ローズ著 文芸春秋 2009年1月30日発行 1238円+税
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by irkutsk | 2014-10-10 10:39 | | Comments(0)