「あんぽん 孫正義伝」を読みました(11月2日)
孫正義の祖父・孫鐘慶は大邱から日本へ、祖母・李元照は江原道から日本へやってきて1934年に結婚し、7人の子どもをもうけた。その3人目の子どもで長男の三憲が孫正義の父である。
孫正義は佐賀県鳥栖市の鳥栖駅近くの朝鮮部落で生まれた。祖母の李元照はリヤカーを引いて駅前の食堂を回って残飯を集めていた。これは飼っていた豚のえさにするのだった。父・三憲は密造酒を作って売りに回っていた。
そして正義が小学校にあがるころ、北九州市八幡西区に引っ越した、三憲は八幡製作所の社員を相手に今でいうサラ金を始めたのである。さらに正義が10歳のころパチンコ屋を始め、1980年代初めには孫一族で福岡、佐賀に56軒のパチンコ屋を持っていた。パチンコが成功し、八幡に豪邸を建て、また鳥栖市郊外にも900坪の土地に豪邸を建てた。
孫正義は北九州市立引野小学校に入り、金持ちの子で、勉強も学年で1,2だった。引野中学に進むが、その後進学校である福岡市の城南中学校へ転校している。高校は久留米大敷設高校に入るが、1974年2月、16歳で彼はアメリカに留学する。
1975年ホーリー・ネームズ・カレッジに入学し、大学入試検定試験に合格し、2年でここを修了している。ここで妻となる大野優美と知り合い、交際を始めた。孫はカリフォルニア大学バークレー校経済学部3年に編入し、1980年バークレーを卒業後、大野優美と結婚した。
孫は「商売は安く買って、高く売ること。事業家は鉄道や道路、電力会社など国家の礎を作るものだ」と言っている。また彼が自信を持てたのは「父親の三憲が際限のないレベルで僕を褒めてくれたからでしょう」と言っている。
孫はユニソン・ワールドというソフト卸の会社を立ち上げるのだが、その時「孫」の名前で会社を興そうとするが、家族や、親戚は元の日本名「安本」にするようにと猛反対した。そのとき彼は「孫という名前を捨ててまで金を稼いでどうするんだ。俺は人間としてのプライドのほうを優先したい」と言ったのだった。「何十万人といる在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている。でも在日韓国人であろうが、日本人と同じだけの正義感があって、能力がある。それを自分が事業で成功して、証明しなきゃならないと思った」とも言っている。
スティーブ・ジョブズの死にあたって、「彼の姿勢を見ていると、仕事のためとか、お金のためとか、そういう臭いはいささかも感じさせなかった。スティーブからは成功というより、一回限りの人生で何をなしたか、何をなそうとして精一杯生きたかということの方がはるかに大切だ」ということを感じたという。
3・11のとき、被災者に100億円の個人義捐金を寄付し、10億円の資材を投じて原発に代わる自然エネルギー財団を設立したのだった。
この本では筆者の佐野が孫正義の親族のもとを訪ね、彼や彼の両親のことについて詳細な取材を重ねているが、人によって言うことが180度違っていて、どちらの言っていることが正しいのか判断に苦しむ点もあるが、佐野が状況から判断して本当はこうではないかと推測している。
これからの日本経済に大きな影響を持つであろう孫正義のルーツを知ることによって、彼の生き方を垣間見ることができる一冊だった。
本書の題名にもなっている「あんぽん」は「間が抜けていて、愚かなこと」で、彼の日本名「安本」を音読みすると「あんぽん」になる。
「あんぽん 孫正義伝」 佐野眞一著 株式会社小学館 2012年1月15日発行 1600円+税