「一神教と国家」を読みました(4月7日)
ムスリムになると日常生活はどんなふうに変わるのか。
中田氏は次のように言っています。「生活のすべてにおいて神に従って生きます。イスラームは、神の意志は預言者ムハンマドによって人間に教えられたと考えますので、ムハンマドが授かった聖典「クルアーン」とムハンマドの言行録「ハディース」を指針に生きていくことになります。天下国家といった大きな話から日常生活の衣食住まですべてがイスラームに照らして生きられることになります」。礼拝は1日5回、豚肉と酒はダメ、服装は男は膝からおへそまでを隠せ、女は手首から先と顔を除く全身をおおう。
日本だって暑いのにスーツを着てネクタイをしている。きまりを守るという点では日本の方がずっと厳しい。
イスラームは限られた資源を共有する文化共同体である。共同体の人々がともに飲み食い、分かち合う文化だ。富者でも富を独占することを許さず、持てる者は貧しいものに喜捨する義務がある。
アメリカは国民国家という枠が自分たちの経済活動に障害となっているから、国民国家を解体し、グローバリズムの名のもとに世界をアメリカ標準にしようとしている。グローバル資本主義が目指すものは、世界市場が単一の言語、単一の通貨、単一の度量衡、単一の商習慣で、世界中の人が同一の商品に対して同一の欲望を抱くという社会である。
ところがそれを阻む大きな障壁がイスラームである。再び中田氏の言葉によると「国家ってのはスルタンのことだろう、カリフみたいなものだろうくらいに思っている。その根底には、究極のところ、この世は神がお決めになった法によって成り立っているのであり、人間の支配などはどうでもいいと考えていることがある。イスラームにとって法人概念が最大の敵、最大の偶像だと思っているのですよ」ということだ。カリフ制のリーダーは個人であって法人ではない。カリフ制には拠点とか相互扶助とかの文化があり、それに支えられた共同体である。政府がなくても、カリフがあればやっていける。
何となく共産主義とアナーキズムを合体させたような感じもします。また神という、人間を超越した存在と一人一人が直接に結びつき、間に権威を持つ教会や聖職者を認めない、神のもとに平等な一人一人が共同体の中で助け合って生きていくというイスラームの考えは、まさに国民国家を否定し、アメリカ式のグローバリズムと対峙していく大きな力だと思う。イスラーム教について知ることができる一冊である。
「一神教と国家」 内田樹・中田考著 集英社新書 2014年2月19日発行 7