「崖っぷち国家日本の決断」を読みました(4月21日)
内容は、第1章「真実を伝えない日本のメディア」では、日本のマスメディアは霞が関の省庁と密着しており、省庁からの情報でどこの新聞やテレビも同じようなことを書いていると批判しています。
第2章「日米・既得権益勢力の策謀」ではアメリカは軍産複合体が彼らの利益となるためにあちこちで紛争を引き起こしている。アメリカには『原子力村』ならぬ「安全保障村」があり、アメリカという国はこの村に乗っ取られているかのように見えるとファクラー氏は言っています。
第3章「戦争参加への道を拓く安倍外交の正体」では集団的自衛権について、それはアメリカを守るためのものであり、ファクラー氏は次のように言っています。「今、問われている集団的自衛権の行使は、抽象的なことではなく、日本がどういう国になってほしいかという方向性の問題です。今の平和憲法を守り米軍を帰還させて、本物の平和外交の国になるか、または平和憲法を変えて軍隊を持つような普通の国になるか、つまり、平和外交に専念し、本物の平和国家になるか、または一人前のアメリカの連合国になるかという、日本には二つの選択肢があるわけです。問題はそういう議論が全くなされていないことにあると思います。」
第4章「日本を崩壊させる安倍政権の行方」では「アベノミクス」はすでに崩壊しており第1の矢の金融緩和で円安にすることにより輸出が増えるだろう思われていたが、日本の産業界はすでに空洞化しており、輸出を増やせるような企業はみんな外に出てしまっている。そのため輸出は思ったほど増えなかった。第2の矢の公共投資は1年目に大盤振る舞いをし、当初の起爆剤としては有効だったが、2~3年も続けられないから2014年は減少した。第3の矢の成長戦略は消費税を8%に上げるという政策的な間違いを犯したことにより、庶民は、今は消費をしているタイミングではなく、できるだけ貯蓄の方に回さなければいけないという不安に陥りました。そのため、需要を押し上げる力は当然なくなり、今度は企業の投資の方も減ってくる。ということで、日本経済は恐らくマイナスの方に歯車が動き始めたのではないかと思います」と孫崎氏が述べています。
第5章「沖縄の独立から始まる日本の胎動」では日本と沖縄の関係、沖縄はかつては琉球王国として独立していたこと、最初の日本の植民地であったこと、沖縄の米軍駐留は昭和天皇の意思だったことなどが述べられています。そして、孫崎氏が「今、日本は再びだまされる時代に入ってきた」と言っています。映画監督伊丹万作の著書「戦争責任者の問題」を次のように引用しています。「奴隷状態を存続せしめた責任を、軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。『騙されていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう」
第6章「日本に求められる「平和国家」の役割」では、ファクラー氏は「「あの戦争はなんだったのか」とはっきり議論し合わないとだめだ。「あの戦争はなぜ起きて、本当にあれでよかったのか」と。今の日本社会は、70年経っても一所懸命、本質を見ないようにしているとしか思えない」と言っています。また天皇は「平和と民主主義を護持していくためには憲法を守らなければいけない」と発言するなど、機会あるごとに平和の尊さを発信している。今の日本で最もリベラルな存在であるとも言っています。
現在の日本の危機的状況を日米双方の立場から分析した本です。日本人の中に、北朝鮮と同じような洗脳支配が70年前には日本でも行われていたという事実、そして戦争を遂行した人たちが、一時期「戦犯」として公職追放を受けたが、朝鮮戦争開始後、「追放解除」され、政権の中枢を占めるようになってきたということが忘れられている、あるいは教えられていないのではないか。
ドイツと日本の違いはさきの大戦を遂行した勢力をきちんと追いはらうことができたかどうかの違いだと思う。日本では、それができなかったからこそ、過去の戦争を美化し、再び同じことを繰り返そうとする者たちを権力の座に就かせてしまったように思われる。
「崖っぷち国家日本の決断」 孫崎享、マーティン・ファクラー著 日本文芸社 2015年2月28日発行 1500円+税