「宰相A」を読みました(8月9日)
9月の半ば、小説家の主人公TはO町にの教会にあるははの墓参りに出かける。このところ小説のネタが尽きており、母の墓に手を合わせでもすれば何かアイデアが出てくるかもしれない、たとえ出てこなくても、初めての墓参りという事実を、母の思い出を交えて描写すれば、圧倒的な評価は得られないまでも、作家としての浮上の足がかりには十分なるのではないか、と踏んでの出発だった。
列車の中で居眠りをしていて、列車が駅に着くと何となく変だ。ホームに立つ案内板にはOという駅名、一文字だけが書かれている。駅のアナウンスは英語だ。ホーム上にいる乗客のほとんどはアングロサクソンの顔をしている。そしてポケットから切符を取り出し、自動改札機に入れようとするが、切符の投入口がない。他の乗客は改札機の上部の赤く光る部分に手に持った何かをかざして通過する。試しに切符をその赤い部分にかざして通り過ぎようとするが、警報音とともに扉が目の前を閉ざした。
「カムヒア」と駅員に呼ばれる。その駅員も高い鼻で、青い目をしている。そして駅員の着ている服は緑色の軍服風のものだった。乗客たちもみんな同じ服を着ている。彼は「N・Pを持っているか」と英語で聞かれる。駅員同士も英語で話している。「お前を軍に引き渡す。もうすぐ担当者がここへ来てくれるそうだ」と言われ、「アメリカ軍ですか?」と聞くと「日本軍に決まっている」との答え。
軍へ連行され、日本の現状について説明される。それによると、日本はアングロサクソンとか欧米人と呼ばれてきた人種、つまり現在の日本人によって統治されている。かつて日本に居住していたモンゴロイドは旧日本人として扱われている。現在の日本は完全な民主主義国であり、国民の国への関わり方も非常に積極的で、選挙の投票率は100%に近く、「与党は現在に日本が成立して以降一貫して政権を託されており、投票のほとんどすべてが与党に対するものとなっている。
日本のようにきわめて成熟、完成された民主国家において、例えば作家などの芸術家が国の許可なく表現活動を行うことは許されない。というよりも必要とされない。かくまで高度な民主主義国家では、国家とかかわりのない表現などというものは反民主主義的活動以外の何物でもない。
我が国は建国以来、アメリカと手を結び、平和を乱そうとする某国々と戦争状態にある。このため国民は民主主義を守り抜く決意表明として、戦闘服を模した深緑色の制服を着用している。国内でこれを着ようとしないのは民主主義を否定しようとする者たちだけ、旧日本人だけだ。なお、政治体制は日本人(アングロサクソン)によって形成されているが、首相は旧日本人の中から頭脳、人格および民主国日本への忠誠に秀でたものが選ばれる。これは主権を奪われた旧日本人(選挙権は与えられていない)を封じ込めるやり方で、現在の日本国が成立した時から踏襲されている。日本人の数は旧日本人の実に三分の一にも届いておらず、反乱を防止する必要から黒髪の首相を担いでおくというわけだ。
日本国民には出生と同時に漏れなく国からナショナル・パスが発行される。すべての国民はナショナル・パス所持が義務となる。これにはナショナル・ナンバーが記載、入力されている。ナショナル・ナンバーは国民を監視するためのものではなく、各々が各々の立場や環境や職業、知的水準に応じてきちんと生活してゆくための、いわば人格そのものに限りなく近いものである。ナショナル・パス一枚で交通機関の利用、買物、病院の受診、海外渡航、住所変更の手続、公共料金の支払い、さらに選挙における投票等々、あらゆることが可能となる。
日本における旧日本人は通常二つの種類に分けられて考えられている。一つはかつてこのコクドに日本人として生きてきた者たちの末裔。もう一つは、どういう作用によるものか全く別の土地から突然迷い込んでくる者たち。前者を在来者、後者を侵入者と呼ぶ。
世界は我が国のように正義と民主主義が確立された国ばかりではありません。そこでアメリカ主導のもと、他の同盟国の協力も得て、戦争主義的世界的平和主義の精神を掲げ、横暴な反民主主義国家に対し、平和的民主主義戦争を行っているところです。
Tは軍での取り調べのあと、旧日本人の居住区へ送られるのだが、彼を待ち受けていた運命は…。
この小説で描かれている日本に向かって現在の日本が限りなく近づいているように思われるのは私だけではないと思う。宰相Aというのも著者のパロディであると思う。
実際、70年前の日本は、現在の北朝鮮が行っていることと変わらないことを行っていた。国民には国民服を着せ、言論の自由はなく、国民は飢え、天皇陛下は神様で、英語は使用禁止、隣組組織を使って相互監視、軍隊へ行くことが家族を守ることという論理等々。
そして戦後はその反動でアメリカにこびへつらっていれば、出世でき、英語が話せることがステイタス、日本の政治も経済もアメリカに支配され、「全てはアメリカのために」という体制が作られていった。まるでこの小説に描かれているもう一つの「日本」のように。
この小説を笑い話として、笑い飛ばせるといいのだが、ますますこの小説の中の日本に近づこうとしている現状に戦慄を感じる。
「宰相A」 田中慎弥著 新潮社 2015年2月25日発行 1600円+税