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「その日東京駅五時二五分発」を読みました(2月6日)

「その日東京駅五時二五分発」を読みました(2月6日)_d0021786_17401935.jpg筆者の西川美和はあとがきで次のように言っている。「この物語は私の伯父の体験がもとになっています。2010年の夏、私は家族から父方の伯父が書いて親戚に配ったというA4用紙十数頁の手記を手渡されました。それには、一九四五年の春に召集されてから終戦を迎えるまでの約三カ月、陸軍の特種情報部の傘下で通信兵として訓練を受けたという伯父の体験が、ただ淡々と、簡素な文体でつづられていました。」

広島に住む「ぼく」は飛行機好きの少年だったが、体が小さく徴兵検査では「第二乙種」だった。それでも一九四五年の春には召集され、大阪の陸軍通信隊に入営した。そして数日後、東京の通信隊本部への転属を命じられた。

カトリック教会の修練院の一部を軍が借り上げていた。そこでモールス信号による送受信の練習を繰り返す生活が始まった。

そして八月十四日、兵舎を壊し、大きな穴をいくつも掘って書類を始めあらゆるものを燃やし、大きな穴に埋めた。そして最後に襟章と軍隊手帳を燃やすように言われ、その通りにした。一人400円ずつもらい、部隊は解散すると言われた。

入隊時からの友人・益岡と二人で、東京から大阪行きの始発列車に乗ろうと東京駅までやって来て、夜が明けるのを待っていた。そして列車に乗り込み、正午には駅に泊まっている列車から、駐在所に人々が集まり玉音放送を聞いているのを見た。大阪に着いたのは夜で、そこで益岡とは別れ、門司行きの列車に乗る。広島に着いたのは翌朝五時前だった。駅を降りてみると、自分が知っている広島の街はなく、ほんの少しの留守の間に変わり果ててしまっていた。ぼくは街から完全に背を向けられているような気がした。ぼく自身も、こんな街は自分の生まれたところではないと思った。

気温が上昇するにつれて鳴き出したツクツクボウシの声を聞きながら、彼は不運な男だと思った。長いこと冷たい土の中でこの時を待っていたのに、やっと地上に上がってこられたその夏は、この世の終わりのような風景に支配されていたのだから。しかしそれが彼の知る唯一の「世界」である。彼はただ自らの鳴くべき鳴き方で、短い生涯をこの夏に賭して迷いなく鳴いている。鳴くことをやめさえしなければ、彼と同じ声を持つものが再びこの土の中に宿り、いつの日か地上にその声をとどろかす日も来るだろう。いや、そう信じなければ、ぼくはこの破滅の中に生きていきようがない。

この本の中で、印象に残った部分を紹介します。
「兵隊にとられることが死に直結していくことという実感はもてない。何の根拠もないが、自分だけは何とかうまくやれるんじゃないかという気がして」

「なぜ戦わなくてはいけないのかはよくわかっていない。僕は一度もまじめにそれについて考えていない。戦うのも、訓練に耐えるのも、徴兵検査で肛門を開いて見せたのも、全部そうしろと言われたからにすぎない。何一つ、自分でしようと思っていたことじゃない。」

「ぼくは国家とか民族とか、そんなものにほぼ何の関心も無い。ただ、怖い目にあわずに、小さな安全を確保された場所で、ひっそりと自分の生活を守っていられればそれでいい。」

「この国の戦後に生を享けた限り、あの戦争の残した翳りとは決して無関係には生きていけないわけですが、それでいながら、実際に経験した世代との間にも「知るもの/知らぬもの」という絶対的な壁が永久に立ちはだかっているのでした。」

西川美和の手によって、是非とも映画化してほしい作品である。

「その日東京駅五時二五分発」 西川美和著 新潮文庫 2015年1月1日発行 400円+税
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by irkutsk | 2016-02-06 17:40 | | Comments(0)