「「戦後」の墓碑銘」を読みました(2月25 日)
戦前「鬼畜米英」、本土決戦と言っていた政府や軍部は、ソ連が参戦し、広島・長崎に原爆を落とされ、彼らが国民に言っていた「本土決戦」を行えば、国体が護持できなくなる恐れが出てきた。そこで8月14日、国体護持を図るためにポツダム宣言を受け入れた。そして8月15日の玉音放送となるのだが、国民には「敗戦」ではなく「終戦」という意識を刷り込んだ。敗戦ならばその責任者は誰なのかを明らかにせねばならないが、敗戦とすることで戦争をまるで支援災害か何かのように扱い、だれも責任を負うことはなかった。
戦後の世界には米ソの冷戦構造があり、世界の国々は米ソどちらかの陣営に着くこととなり、日本は鬼畜の一角であったアメリカに従属することになる。鬼畜に占領された日本政府の中には面従腹背を貫くつもりだった政治家もいたが、アメリカは戦前の天皇と同様国体のようにされ、日本の政治家や官僚たちはアメリカの意思という装いのもとに自分たちの利害を入れていったのであった。
日本は、表向きは憲法を頂点とする法体系が整備されているが、実際には国民の目から隔離された米日密約による裏の決まりごとの体系によって支配されている。基地問題では日米地位協定が、原発問題では日米原子力協定が憲法を含む国内法の上位に位置している。
国内やアジア諸国に対しては敗戦の事実を最大限に曖昧化し、否認すらしている。かたやアメリカに対しては敗北を無制限に認めている。日本国内で好きなように米軍基地を作らせ、永続使用させ、経済分野でもアメリカの要求に対して、国民の利益を守るという観点は全くなく、日本の国富を言われるがままに貢いでいる。冷戦構造下では日本は庇護の対象であったが、冷戦が終結したにもかかわらず、日本の指導層は相変わらず対米隷属を続けている。現在のアメリカにとって日本は収奪の対象である。「年次構造改革要望書」やTPPなどを見れば明らかである。
「戦後レジームからの脱却」を言うのであれば、アメリカ従属から抜け出し、自立国家として対等な日米関係に変更するということこそ、一番にやらなければならないことである。
また白井氏は最近の国政選挙の投票率の低さについて、日本国民の「消費者化」であると言っている。レストランで食事をすることと選挙で投票することの区別がついていない。普通選挙が実施されるまでにどれだけの犠牲が払われてきたかを考えなければならない。保革対立を超えて永続敗戦レジームと戦う戦線を構築できない政治家などは存在意義がない。共産党を含む反自民統一戦線(沖縄では作られている)を作り上げることが重要だと言っている。
最後に白井氏は「永続敗戦レジーム」を「敗戦にもかかわらず、維持された権力は、勝者に媚びへつらう、つまり負け続ける一方、一般国民に対しては敗戦の意味を曖昧化し、最小限化することで自らを支えてきた」と言っている。
「戦後」の墓碑銘 白井聡著 金曜日発行 2015年10月15日 1400円+税