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「地獄の日本兵」を読みました(1月23日)

「地獄の日本兵」を読みました(1月23日)_d0021786_20332620.jpg昭和18年海軍民政府職員としてニューギニア島へ上陸した著者の体験やニューギニアで凄惨な体験をした人たちの体験記録をもとに、ニューギニア戦線での戦いの実態を著した1冊である。

「はじめに」で彼は次のように書いている。「太平洋戦争中の戦死者数で最も多い死者は敵と撃ち合って死んだ兵士ではなく、日本から遠く離れた戦地で置き去りにされ、飢え死にするしかなかった兵士たちなのです」と言っている。

ニューギニアは当時オランダの植民地であった。南はすぐにオーストラリアである。ニューギニアの東方にガダルカナル島があった。昭和17年9月にオランダの植民地軍が降伏し、太平洋戦争初期に攻略したラバウルを保持するために、ニューギニアの確保も不可欠だった。

17年8月に日本はニューギニアから東に千キロ離れたガダルカナル島に飛行場を完成させたが、すぐにアメリカの83隻の艦艇と2万人の大部隊の上陸でガダルカナル島を占領された。当時ガダルカナル島には2600人の作業部隊と250名の陸戦隊がいただけだった。その後ガダルカナル奪還を目指して、800名、6000名と兵を送るが奪還はならず、17年10月28000名の大兵力を投入することを決定した。だがすでに制空権を奪われており、輸送船団は敵機の空襲を受け半数が沈没。1か月後に繰り出された輸送船団も11隻中7隻が撃沈された。

熱帯雨林には食べる物がなく、兵士たちはマラリアやアメーバ赤痢に襲われた。

18年2月、1万名の兵士が救出され、ガダルカナルから撤収した。3万1000名投入したうち2万800人(67%)が死亡した。

その後、ニューギニアのポートモレスビー攻略のため新たに18軍が編成しされ、ニューギニア戦線へ投入された。だが連合軍はニューギニアを東から西へと攻め上がり、日本軍はひたすら西へ進み退却していった。退却先に連合軍が上陸して挟み撃ちになることもあり、日本軍は山の中を進まざるを得なかった。当然食料の補給もなく、蛇、トカゲ、バッタ、蛭、カタツムリ、百足、毛虫、蝶々、蟻、蜘蛛、ミミズまで食べながらの行軍だった。

「ヤマザキ、天皇を撃て!」の著者、奥崎健三もこのニューギニアで悲惨な体験をしていた。

最後に本書の「おわりに」で著者はこう語っている。
「この酷いとも凄惨とも喩えようのない最期を若者たちに強いたことを、戦後の日本人の大多数は、知らないまま過ごしてきました。この事実を知らずに、靖国問題についていくら議論をしても虚しいばかりだと私は思います。」
「嫌なことには目を向けたくない習性が、人間にはあります。嫌なことを忘れることによって、人間は生き延び得るのかもしれません。この習性は個人には許されても、国家や民族には許されません。六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧するからです。今日の日本を覆う腐敗や犯罪をもたらしている禍根は、ここに淵源していると私は考えています。」

70年前の戦争が、どのようなものだったのか。いったい誰のせいで死なずともよかった多くの若者が人間の極限の状況に置かれて死んでいったのか。先の大戦の総括をすることなく、一億総懺悔で事を済ませて誰も責任を取ろうとしない。同じことが福島原発事故でも繰り返されている。いったいあの事故の責任を今までに誰が取っただろうか。責任を取るどころか、廃炉費用や賠償金、除染費用などを現在の電力利用者すべてに押し付け、あるいはまた国民の税金を投入させてきた。このような巨悪に対してだれも責任を取らないシステムこそが、大きな過ちを繰り返すことにつながっていると思う。

「地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相」 飯田進著 新潮新書 2008年7月20日発行 680円+税
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by irkutsk | 2017-01-23 20:30 | | Comments(0)