「蛇行する月」を読みました(1月25日)
道立湿原高校では音楽も運動もやらない生徒の行き場はなかった。そんな生徒たちのたまり場が図書部だった。その図書部に順子、清美、桃子、美菜恵、直子の5人がいた。高校3年の夏、国語教師の谷川が好きな順子に清美は「雨の日、ずぶ濡れで訪ねて行き、『ここしか来るところがなかったんです』と言ったらどうかという案を出し、順子はそれをやってしまった。しかし、谷川は職員住宅の中には入れてくれず、この騒ぎで谷川は教科担任を外され、順子も1か月近く学校へ出てこられなかった。そして卒業後、一度二人は会ったが、谷川は「もう許してください」と土下座して謝ったという。
順子は札幌の和菓子屋に就職した。そして、しばらくして清美に「これから東京に行くの。子どもができちゃって。仕方ないの。向こうは奥さんがいるから。和菓子屋の職人さんなの。毎日小豆を練っている四十過ぎのおっさん。逃げたいって泣くの。だからもう、ここにはいられないんだ。」と電話をかけてきた。
1990年、桃子はカーフェリー「シーラブ号」の乗務員として働いていた。そして同じカーフェリーの乗務員・北村という妻子持ちの男と付き合っていた。順子から便りが届けられるたびに住所が変わっていた。東京、九州、大阪、名古屋、そして今年東京から来た年賀所には「わたし今、すごくしあわせ。東京に来ることがあったら連絡してください」と書かれていた。桃子は7月の終わり、仕事のついでに順子を訪ねることにした。順子の言う「しあわせ」がどんなものか見たかった。渋谷で待ち合わせた順子は「せっかくだからうちに遊びに来てよ」と電車を3つ乗り継ぎ、さらに歩いて20分の「宝食堂」というラーメン屋に連れてきた。あきらという子どもがいた。
1993年弥生。札幌の和菓子屋「幸福堂」の女主人。腕のいい和菓子塞人と結婚したが、釧路から父親の古い友人の紹介でやって来た順子と二人で居なくなった。夫が行方不明となり、裁判所へ失踪宣告の申し立てを行い審判が下り、あとは市役所に提出するだけとなった。提出期限が数日後に迫ったある日、順子を紹介した父の古い友人から二人の住所が割ったと言ってきた。弥生は離婚届と失踪届をもって二人の元を訪れ、夫の恭一郎にどちらを選ぶか選んでくれというと、彼は失踪届を選んだ。
2000年美菜恵。高校時代、美菜恵も国語教師・谷川が好きだったが、順子のこともあり、言い出せなかった。そして彼女は教師になり湿原高校へ国語教師として戻って来た。谷川はまだ独身だった。美菜恵は谷川と結婚することになったが、順子と谷川のことが引っ掛かっていた。高校卒業後、訪ねてきた順子に谷川は「もう許してください」と土下座して謝ったという。谷川が順子の前で土下座したその教職員住宅で新生活を始めることに違和感を感じていたのだった。
2005年静江。順子の母。彼女は中学を卒業して公務員保養移設の賄い婦になったが、十代で順子を生み、同じ男と結婚したり別れたりを二度した後は、三年、五年と一緒に暮らす相手が変わった。60歳になる今スーパーのレジ係から惣菜部へ配置換えされた。朝早くから冷たい水仕事の惣菜部へ配置転換されたらみんな1年以内に辞めるという辛い職場である。一人ぼっちになり、このまま死んでいくのかと不安に襲われ、順子に電話をかけ、会いに行くことに。順子は保険の外交員をやり、あきらは国立大学の工学部に通っていた。
2009年直子。順子からのクリスマスカードに「12月半ば過ぎに検査入院する」と書かれていた。直子は1月の終わりに順子を訪ねるが、彼女のやせ方は尋常ではなく、皮膚や目には黄疸が出ていた。看護師という職業柄、直子は彼女の死期が近いことを知った。順子は「母が来てくれることになった。春からは自分があきらの目になって、世界を見ることができるのだ」と笑う。「死ぬことを楽しみにしちゃいけないんだろうけど、なんだかやっぱり楽しみなんだよね」。あきらはいずれ角膜移植の必要があったのだ。「順子、幸せなんだね」と聞く直子に、「もちろん」と答える順子だった。
「幸せとは何なのか?」。お金が無くても幸せになることはできるということを順子の生きざまを通して伝えている一冊でした。
「蛇行する月」 桜木柴乃著 双葉社 2013年10月20日 1300円+税