「少年たちの戦場」を読みました(2月6日)
欅村は東京から50キロしか離れておらず、「面会が容易にできる所にして欲しい」という親の要求を受け入れて決められた。
この小説の主人公は5年生の氷川泰輔である。そしてもう一人の主人公は引率教員の五代節雄である。子どもの視点からと、大人の視点から疎開生活と、その中での子どもと教師の心の動きがリアルに描かれている。
そして昭和42年冬、五代先生が亡くなり、疎開当初から一つの布団で一緒に寝た三池宏嗣から来てほしいと言われて、先生の通夜に行く。そして氷川は、そこで五代先生が書き残した「欅村月舟寺疎開日記その1~その6」を見せてもらい、それを借りていって読んだ。
お寺の本堂で一つの布団に二人ずつ、体を寄せ合って寝る小学生たち。そのうちシラミがわき、子どもたちはシラミに悩まされる。
3月10日の東京大空襲の時には欅村からも空が赤くなっているのが見え、子どもたちは自分の家が燃えていないだろうか、母や父は大丈夫だろうかと不安に駆られる。
3月26日には7人の6年生が中等部進学のため月舟寺を去ることになっていた。その前日を面会日とし、6年生の父兄は翌日生徒とともに帰っていった。氷川は母がお菓子をもって面会に来てくれると思っていたが、やって来たのは父で、しかも期待していたお菓子は持ってこなかった。
7月になって、五代の教え子で高等学校の生徒の草村保治が訪ねてきた。彼は工場に動員されていたが、胸に影が出て、休みを取り郷里へ帰るところだった。彼は小学生たちに「初めは、皆、動員に行くのを喜んだよ。教練なんかよりいいと思ったし、何よりも食事の特配があるからね。それが今では、俺みたいに、体を壊した奴が羨ましがられる始末になってる。勉強だけしていればいい生活がどんなに楽なものか、思い知らされたっていうわけさ。」と語った。
7月27日に教員の粕谷に召集令状が来て、8月3日までに宮城県の部隊に出頭するようにとのことで、残された五代と藤代二人で子供たちの面倒を見ることになった。
同じ欅村の信行寺に疎開してきている小学生が逃げ出したという話がまたたくまに月舟寺の子どもたちの間に広がった。逃げ出した子どもは駅の近くまで行ったところで巡査に捉った。その話を聞いて、氷川も逃げ出して、東京の両親のもとへ帰りたいと思うようになり、三ツ池と二人で川に沿って歩いていけば東京へ行けると思って夕方から歩き始めるが、川沿いの道はやがて林の中に入っていき、真っ暗闇の中、恐怖が増し、戻ることにした。
戦争は8月15日に終わったが、東京の混乱は、容易に学童の帰郷を許さず、戦争中よりも深刻になった食糧難を忍んで暮らす戦後の日々は長かった。鷹杜学園の生徒全員が欅村を引き上げたのは11月7日だった。
戦争を知らない世代にも是非読んでほしい本である。当時の食べる物がない時代、精神論ばかりを唱える大人たち。戦況がどんどん悪化していても、本土決戦で挽回できると信じさせられていた時代。そんなウソと精神論で国民を塗炭の苦しみに陥れる国家を二度と作らせないことが必要だ。
「少年たちの戦場」 高井有一著 文藝春秋 1968年5月1日発行 490円