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「14歳<フォーティーン>満州開拓村からの帰還」を読みました(10月31日)

「14歳<フォーティーン>満州開拓村からの帰還」を読みました(10月31日)_d0021786_5252257.jpg「はじめに」の中で著者は「弟の孫が14歳になった。この男の子に、昔の日本の暮らしについて、話してやりたいと思う。特にこのごろの、世のなかの風潮について、考える人になってほしい。戦争とはどういうことか知らせたい」と語っている。

軍国少女だった著者は、満鉄に勤める父と母、そして妹が一人、弟が3人と吉林に住んでいた。1945年、彼女は14歳だった。吉林高等女学校に通っていたが、昭和20年からは授業がなくなり、勤労動員に駆り出されることになり、無炊飯を作る毎日になった。次の動員先は農場の肥やしを作るための馬糞拾いを命ぜられた。そしてさらに水曲開拓団へ1か月間行くことに。開拓団の家が泥づくりであることや、窓ガラスがないこと、水道や電気もないことを初めて知る。

8月15日、終戦を迎えるが、中国人の暴徒に襲われた日本人もいた。半藤一利氏は「敗戦を覚悟した国家が、軍が、全力をあげて最初にすべきことは、攻撃戦域にある、また被占領地域にある非戦闘民の安全を図ること」だと述べている。

著者の父は「貯金は下ろした方がいい」と耳打ちされ、何千円かまとまった貯金を引き出したが、その直後に預金は封鎖された。捕虜を免れた兵士が、「女は髪を切れ、男装しろ!」と訴えて、走り抜けるのを聞いて著者も髪を切った。そして着物を売って食いつないだ。

ある日ソ連軍の将校が二人やってきて、抜いたサーベルの先を著者の胸に向ける。ロシア語を覚えたての近藤が間に入り、著者は物置に逃げ込む。将校たちは「この一家を皆殺しにする」と捨て台詞を吐いて出て行った。

昭和21年の春にはロシア兵の姿はなくなり、共産党軍の治下におかれ、治安は保たれた。だが発疹チフスが流行し、父も罹患した。

昭和21年4月、著者の一家は難民収容所へ移される。そしてようやく昭和21年の8月に無蓋の貨車に乗せられ、錦県まで行き、胡蘆島からアメリカの上陸用舟艇で日本は向かった。

70年以上前の満州へ渡った日本人がどのような苦難を強いられたか、自らの体験を通じて見たこと、体験したことが書かれている。戦争を知らない世代が増え、首相も戦争を知らない世代となり、戦争が国民の生活をどれだけ破壊し、多くの国民が人間として持たなければならない誇りや、倫理が破壊され、悪魔と化するのが戦争だ。映画でしか戦争を知らない人たちが、戦争をかっこいいものとして理想化しているように思えて非常に心配である。この本がそういう人たちに少しでも戦争の真実を伝えることができたらと思う。

「14歳<フォーティーン>満州開拓村からの帰還」 澤地久枝著 集英社新書 2015年6月22日発行 700円+税
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by irkutsk | 2017-10-31 05:24 | | Comments(0)