「祭りの場・ギヤマンビードロ」を読みました(1月4日)
「祭りの場」は著者が体験した8月9日を描いたもので、三菱兵器に動員されていた7500名のうち6200名が死亡。林京子がいた工務部A課は小舎に似つかわしい建物だったのが幸いした。レンガ造りの3階建にいた友人3人は崩れたレンガが重すぎて焼け死んだ。ガラス窓のために全身ガラスまみれのハリネズミになった者もいた。林京子は倒れた家屋から抜け出し広場へと行くが、そこでは出陣の踊りを踊っていた学徒らが即死していた。
原爆爆発後、身体に何が起こったか。林京子は次のように書いている。「熱戦が先ず来りて皮膚に火傷を生じ、そのため皮膚は脆弱となる。次に強力な爆圧が到来して皮膚に作用したが、健康部はそのまま残り、火傷部のみが千切れ、剥離したのである」。
林京子は吐き気がして、白い泡を吐いた。そして水状の下痢をした。草のしぼり汁の色をしていた。早発性消化器障害である。やがて食欲不振、腹痛、下痢に襲われた。
その様子を次のように書いている。「体の衰弱はひどく食欲はない。脱力感は日を追って強くなり、自分の頭が重たい。ある日、腕を見ると直径2ミリほどの赤い斑点がある。手首から腕にかけた外側に相当数ある。赤い斑点は毛根を中心にして肉が浮いている。毛根のきわが一層赤く色づいている。斑点の中心から膿が広がった。」
林京子は苦しみながらも、そしてその後も後遺症や放射線障害を恐れながら、また子どもへの影響にもおびえながら生きていた。それらの被爆者のことを「ギヤマンビードロ」では描いている。
73年前の原爆投下によって、繰り広げられた地獄絵図。そして生き残った者も長く続く放射線障害とその未知の身体への影響におびえながら、また被爆したことに対する差別などに苦しみながら生きてきた。原子力の平和利用と言って、原発をどんどん作ってきたが、チェルノブイリで、福島で起こった事故は多くの人々の平和な生活を奪い、放射線の影響はまだまだ未知の領域で、不安におびえながら生きなければならない多くの人たちのことを考えると、核は兵器としてはもちろん、原発としても使用するべきではない。
73年前の原爆、7年前の福島の原発事故を経験しながらも、また原発を再稼働させ、海外へ売り、惨事がさらに繰り返される危険を犯している。原発に至ってはほかに自然エネルギーの利用という選択肢があるにもかかわらず、政権を握っている人たちは原発は安い、二酸化炭素を出さない、環境にやさしいと言って原発をやめようとしない。金正恩、トランプ、安倍、その他核兵器を持っている、そして造っている人たちにこそこの本を読んでほしい。また核の被害を何度も被った日本人として、若い人たちにも是非読んでほしいと思う。
「祭りの場・ギヤマンビードロ」 林京子著 講談社文芸文庫 1988年8月10日発行 1200円+税