人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ロシアとMacと日本語 irkutsk.exblog.jp

関心のあるいろんなこと書きます


by irkutsk
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

「ラストレシピ」を読みました(3月31日)

「ラストレシピ」を読みました(3月31日)_d0021786_14101936.jpg最期の料理請負人を名乗る佐々木満の物語である。佐々木は最期を迎える人に、思い出の料理を再現して食べさせるという奇妙な仕事をしていた。1回100万円という高額な報酬にもかかわらず、彼に依頼する金持ちはいた。

そんな佐々木が2014年6月27日にある中国人から電話をもらった。そして本当の依頼人は中国にいるので中国に来てほしいと言われた。

ここで話は1932年6月にとぶ。客席数6つの米国製新型旅客機に乗っていたのは32歳の山形直太朗と24歳の妻・千鶴だった。直太朗は宮内庁大膳寮という天皇陛下の食事を作るところに勤めた。ところが1932年の正月明け、上司に満州へ行ってくれと言われる。軍の仕事だというだけで詳細は知らされなかった。

再び2014年に戻り、佐々木は北京空港から迎えの車に乗せられ、連れていかれたのは釣魚台国賓館だった。そこで初めて依頼人のことについて聞かされた。そして秘書に「佐々木先生は『満漢全席』をご存知ですか」と聞かれる。「満漢全席は清の皇帝が宮廷料理人に作らせた、世界で一番スケールの大きなコース料理です。中国全土から最高級の食材や珍しい食材が集められ、食べるのに3日ぐらいかかったと言われています」と秘書が説明する。

そして実は「満漢全席」の日本版があったというのです。その名前は「大日本帝国食菜全席」というものだという。そして依頼人が現れた。彼の名前は楊晴明といい、釣魚台で30年以上、料理長として働いてきたという。そして報酬も5千万円出すという。佐々木が以前経営していたレストランの借金4800万円を返してもお釣りがくる。そして前金で500万円もらって、帰国した。

一方、1932年の山形直太朗と妻の千鶴は、大連に着き、旅順にあった関東軍司令部を訪れた。直太朗はそこで初めてどんな任務が与えられるのか耳にした。そして満漢全席(200品)を超える料理を作ってほしいと言われる。その名も「大日本帝国食菜全席」といい、費用はいくらかかってもいい、軍が出しますかと言われ、直太朗はその仕事を引き受ける。そして山形夫婦はハルピンに落ち着いた。1週間後、楊晴明という17歳の青年がやって来た。まだ若いのに料理経験は8年もあり、さらに清の宮廷料理人の元で修業し、満漢全席の心得もあり、ここに来る前は満州国失政の地位にある溥儀の料理を作っていたという。彼と直太朗の「大日本帝国食菜全席」作りが始まった。

だが残念なことに、この「大日本帝国食菜全席」は日の目を見ることはなかった。日本の天皇陛下が満州を訪れた際にお出しするものだと思っていたのは間違いだった。

「大日本帝国食菜全席」は春・夏・秋・冬の4冊に分かれていて、それが今どこにあるのかから調べなければならなかった。

「大日本帝国食菜全席」・秋の裏にヘブライ語で書かれた「愚か者にとって老年は冬、賢者にとっては黄金期」という言葉がキーワードになっていて、それを読み解いてから、「大日本帝国食菜全席」探しは進んでいった。

そしてどんどん読み進めていくと、予想もしなかった結末を迎え、うならされてしまった。


「ラストレシピ」 田中経一著 幻冬舎文庫 2016年8月5日発行 690円+税
名前
URL
削除用パスワード
by irkutsk | 2018-03-31 11:09 | | Comments(0)