ジェレズノゴルスクに着きました
インツーリストホテルは90年に家族でツアーのシベリア旅行に来て以来16年ぶりに泊まったが、外観は同じだが中はすっかりきれいに改修されていたし、従業員の接客マナーが格段に向上していた。両替もフロントでやってくれたし、翌日の空港までのタクシーも手配してくれた。しかも時折日本語を交えて話してくれるので、ほっとする。各階にジェジュールナヤというおばさんがいて鍵をくれるというシステムは変わっていなかったが、そのおばさんがまた親切で部屋までちゃんと案内してくれるし、日本語も少しできた。部屋に入ってびっくり!日本のホテルと比べても遜色がないほどきれいになっていた。しかし、トイレットペーパーがない、お湯が出ない、テレビがリモコンをいくら押してもつかない。いちいちジェジュールナヤに言いに行くと、部屋まで来てくれて謝っていた。
トイレの紙はすぐに持ってきてくれたし、お湯は蛇口をひねって10分以上も出し続けてようやく出るようになった。リモコンは電源スイッチと思って押していたのは「電源OFF」だけの機能しかなく、「電源ON」は9を押すのだと教えてくれた。ベッドも大きくてきれいなものになっていた。これなら1泊朝食付きで10800円でもいいかなと納得。
翌日は7時から朝食を食べ、8時にワゴン車で空港まで送ってもらった。今日のタクシー代は400ルーブルだった。8時20分には空港に着き、最初に荷物検査があり、そこのおばさんがなかなか厳しくて、スーツケースを開けさせられ、リュックも何か金属が映っていると言う。リュックからノートパソコンを出したらリュックはオーケーだった。スーツケースの中身を見ていてセラミックの包丁を見つけて刃の部分を素手で握ろうとするので「あぶない!」と叫んでしまった。そしたら包丁を床に落としたので、刃が欠けてしまったのではないかと思ったが大丈夫だった。荷物検査も終わり、外国人は専用のチェックインカウンターが去年の夏にはあったと思ったのに、その場所にはなくなっていたし、他を見てもないようだったのでロシア人と一緒に一般の行列に並んでいたら、やっぱり外国人は別で3番のカウンターに行くように言われた。ところがその3番がひっそりと目立たないのでよくよく見てやっと見つけた。ドアを開けてもらって手続きを済ませ、今度は搭乗待合室へ。そこに入る前にまた厳重なチェックがあり、コートも靴も脱いでゲートをくぐると赤ランプがつき、ベルトをはずすようにと言われ、やっと通過できた。
クラスノヤルスク行きの飛行機は50分ほど遅れて11時半に出発した。バスに乗せられてタラップの下で下ろされ、少しずつしか飛行機に乗せてくれないので、マイナス19度のところに5分も待たされて手や耳がかじかんでしまった。クラスノヤルスクまでは順調な飛行で12時35分(3時間の時差がある)に着いた。空港を出ると宇宙飛行士学校のネクラーソヴァさんとクラスノヤルスク大学で一足先に日本語を教えているHさんとそこの学生二人が迎えに来てくれていた。荷物はすぐに出てきて、Hさんたちとは別れてネクラーソヴァさんと学校のワゴン車でジェレズノゴルスクへ。
閉鎖都市に入るのはどうやって入るのだろうかと興味津々だったが、意外と簡単で車を降りて建物の中に入り、担当者が名前を書いて終わった。別の出口から出ると閉鎖都市の中だった。都市の周りには頑丈な鉄条網が張り巡らされていた。おかげで犯罪はすくないということだった。空港を出てから約1時間半、2時過ぎに宇宙飛行士学校に到着。