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最近読んだ本

 ゴールデンウィーク中に読んだ「クラウディア奇跡の愛」を書いた著者村尾靖子さんが、ほかにどんな作品を書いているのだろうかと調べたところ、児童向けの本「命をみつめて」、「江の川」、「草原の風になりたい」などの作品があった。早速図書館に行って「江の川」、「草原の風になりたい」の2冊を借りてきた。
 
 「草原の風になりたい」は1996年の春にモンゴルの草原で発生した火事の際に、羊を守ろうと必死で火を消していた少年ツォゴーが大やけどを負い、大腿部から両足を切断されてしまいます。ニュースでそのことを知った小川さんと宇田さんはツォゴーを見舞い、「もう一度、自分の足で、草原に立ちたい……」という少年の夢を実現させるために動き出します。宇田さんの夫の知り合いで義肢装具会社中村ブレイスの中村社長を始めスタッフの人たちや通訳として協力してくれたモンゴルの留学生など多くの人たちの協力によってツォゴーの義肢がつくられ、ツォゴーは苦しい訓練に耐え、歩けるようになり、モンゴルで馬に乗ることもできるようになりました。
 
 児童向けの大きな字の本であるが、大人が読んでも感動できる内容である。
 
 「江の川」は山陰の小さな村の小学校に通っている小学5年生の女の子なぎさの物語です。お父さんはなぎさの通う小学校の先生です。お父さんの一平は「一平先生」と呼ばれ、生徒に親しまれています。一平先生はクラスの花壇に野菜を植え、生徒たちに自然の大切さや命の尊さを教えています。そして最初の年は一平先生のクラスだけでやった収穫祭を今年からは学校全体として取り組むことになりました。
 9月の収穫祭の途中で一平先生は気分が悪くなり、翌日出雲市の総合病院に行きました。そしてすぐに入院することになり、お母さんもずっと付き添うことになります。なぎさは保育園児の弟一郎と一平先生のお母さんであるおばあちゃんと3人で暮らすことになりました。一平先生は入院してから1週間後、脳腫瘍の手術を受けることになりました。 そして1カ月後一平先生の友達の源さんの車でおばあちゃん、なぎさ、一郎が一平さんのお見舞いに行きます。ところが病院で会った一平さんは誰を見ても見分けられず、話しかけても何の反応も示さない状態でした。
 おばあさんはこのことがショックで、半月ぐらいたった頃からおかしくなりました。孫の一郎に一平と話しかけたり、なぎさに「恵子さん(なぎさのお母さん)」と呼びかけたりしました。夜中に、「表に人がたくさん来ている」と言ってなぎさを起こしたり。近所の人の眼にもおばあちゃんがおかしいというのはわかるようになり、源さんがおばあちゃんを入院させました。そして源さんの家へ来るようになぎさに言いますが、なぎさは自分たちでやっていきますと頑張ります。お父さんの看病をしているお母さんにこれ以上心配をかけまいと、おばあちゃんのことは内緒にしておきました。
 心細いなぎさは母の面影を追って、母親のタンスの引き出しを開けます。そして「二十歳のなぎさへ」という箱を見つけます。なぎさはちょっとだけ覗いてみるつりで箱を開けると、中には手紙が入っていました。一平さんと恵子さんが知り合ってから結婚するまでの間にやりとりした手紙でした。なぎさはそれを読み、二人がどういう思いで結婚したのかを知ります。
 ある日、4年間無遅刻、無欠席のミッキー(一平先生のクラスの生徒)が学校に現れません。家に連絡してみるといつもより早いくらいに出かけたとのこと。ミッキーは先生が勉強することを忘れてしまったので、今度は自分が先生に教えてやるんだと、一人一平先生の入院している出雲市の病院まで行ったのでした。
 その日の夜、お母さんは1カ月半ぶりに家に帰ってきました。しかし、夜中に台所で物音がするのでなぎさが起きて見に行くと、お母さんがお酒を飲んでいるのです。飲めないはずのお母さんがどうして。翌日台所の流しの下の開きを見ると小さな酒びんが二本と少し大きめの紙パック酒が三本もおいてありました。なぎさは心配になり、一平さんの入院している病院の先生に相談することにしました。
 次の日曜日、一平さんのお見舞いに行くと言って家を出ました。病院では一平さんはだいぶいろんなことがわかるようになっていて、担任のクラスの生徒たちに返事を書くからと言って半紙大の紙に「ありがとう。一平」と書きました。
 病室にすらりと背の高い青年医師が入ってきて、一平さんに話しかけたあと、なぎさを八雲立つ風土記の丘へ連れて行ってもいいかなと聞いた。なぎさはこの先生が一平さんと恵子さんが知り合うきっかけになった大介くんだとわかりました。大介先生はお父さんの手術でできもののある場所が悪くて全部取り除くことができなかったということをなぎさに話し、お母さんはそのことを誰にも話せずに一人で苦しんで、お酒を飲むようになったと言うことを教えてくれました。そしてみんなでそれぞれできる方法でなぎさのお母さんを応援していこうと言いました。
 なぎさはその日、お母さんに大介先生にあって一平さんの病気のことを聞いたことを打ち明け、「父さんがいちばんいっしょうけんめいなのよ。私たちが泣いてちゃあいけないと思うわ。母さん。母さんは、もうひとりぼっちじゃあない。つらいのを半分ずつにしましょうよ。そうだ、大介先生だって、仲間だから、苦しみは三分の一ずつよ。」と言います。お母さんはこの日からアルコールをやめる決意をし、何とか乗り切りました。
 一平先生の退院が決まったのは冬休みにはいる少し前でした。学校が冬休みにはいると一平先生のクラスの子どもたちは先を競って一平さんのところに集まってきました。そしてお正月にはおばあちゃんも一時帰宅できるようになり、家族そろってお正月を過ごしました。一平さんの容態が急変したのはそれからまもなくのことで、春に野菜組の子どもたちが進級するのを待っていたように一平さんはあの世に旅立ってしまいました。
 なぎさは登校拒否になってしまいました。そんなある日、お母さんがどこで手に入れたのか、トマトの苗を植えていました。それからしばらくするうちにトマトに青い実がついき、これは一平さんの畑から校長先生が持ってきてくれたトマトの木だと教えてくれました。お母さんは十数年ぶりに浜田の病院で働くことにしたと言い、なぎさも元気を取り戻しました。
 
 幸せのすぐ隣に、悲しみや不幸は待っている。でもその悲しみを乗り越え、トマトのように次から次へと赤い実をつけていくへこたれない生き方を教えてくれえた一冊であった。



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by irkutsk | 2005-05-15 20:24 | | Comments(0)