ロシアとMacと日本語

カテゴリ:本( 390 )

「羊と鋼の森」を読みました(4月23日)

d0021786_20394151.jpg高校生の時、体育館のピアノの調律に来た板鳥が調律するのに立ち会い、外村は森の匂いを感じた。秋の夜の。秋といっても9月上旬。夜といってもまだ入り口の、湿度の低い、晴れた夕方の午後6時頃。夜になるのを待って活動を始める山の生きものたちが、すぐその辺りで、息を潜めている気配がある。静かであたたかな、深さを含んだ音。そういう音がピアノからこぼれてくる。

外村は板鳥の元を訪れ、弟子にしてくれと頼みこむが、弟子を取るような分際ではないと断られ、調律師養成のための専門学校に行くことを勧められる。卒業後、北海道の故郷近くの町、板鳥さんのいる楽器店に調律師として就職した。

初めて調律に行ったのは、入社して5か月が過ぎた秋の初めだった。柳さんが顧客宅へ調律に行くのに同行させてもらった。マンションの4階にあるそのうちには、一番小さいグランドピアノがあった。双子の姉妹、和音と由仁が弾くピアノだった。調律が終わり、学校から帰ってきた和音が弾いてみる。ちょっと弾いてみて「これでいいです」と答え、「じゃあ、これで」と柳が言いかけた時、「もうすぐ妹が帰ってくるはずなので、少しだけ待ってもらえますか」と言う。双子で顔がそっくりな姉妹なのに、姉が弾いたのとは全く違うピアノだった。妹のピアノは色彩に溢れていた。

ピアノの調律の世界がこんなにもわかりやすく、ストーリー性を持たせて描かれているのには驚いた。ピアノに関しては何も知らないが、それでも調律師と演奏者、そしてそれを聞く聴衆が満足できる音を、様々な条件に応じて調整していくのは大変なことだと思う。

調律師の世界をちょっと見ることができて、不思議な満足感を覚えました。

「羊と鋼の森」 宮下名都著 文春文庫 2018年2月10日発行 650円+税
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by irkutsk | 2018-04-23 05:38 | | Comments(0)

「手のひらの音符」を読みました(4月20日)

d0021786_9261360.jpgデザイナーの水樹は、自社が服飾業から撤退することを知らされる。45歳独身、何よりも愛してきた仕事なのに……。途方に暮れる水樹のもとに中高の同級生・憲吾から、恩師の入院を知らせる電話が。お見舞いへの帰省する最中、懐かしい記憶が甦る。幼馴染の三兄弟、とりわけ思いあっていた信也のこと。<あの頃>が、水樹に新たな力を与えてくれる―。人生に迷うすべての人に贈る物語!
(本の裏表紙に書かれていたあらすじ)より

現在と、子ども時代が交互に描かれており、子ども時代の経験は、わたしの子ども時代とも共通している。近所の人がお互いに助け合い、よその家の子供の面倒を見てくれていた。この小説の中で、水樹が育った環境も競輪場近くの4階建ての市営住宅の2階で水樹、水樹の家は両親と兄の4人家族。1階には同級生の信也と兄の正浩、弟の悠人と彼らの両親が住んでいた。保育園の頃から信也とは一緒で、親のお迎えが遅く、いつも最後に二人が残っていた。信也の弟・悠人は少し変わった子供で、人の言うことを全く受けつけないところや強すぎるこだわりを持っていた、例えば「今どうしても砂遊びをしたい」と思ってしまうと、砂遊びをさせてやるまで泣き続ける。またてんかんの持病があった。彼らの父親は競輪選手だったが、肝臓を悪くして入院していた。

水樹の父親は競輪狂いのタクシー運転手。のちにバブル景気の頃、不動産屋に転職し、地上げをやっていた。

憲吾から入院していると連絡をもらった遠子先生は、高校時代の美術の先生だったが、水樹が就職するというのを、自分のやりたいことをするようにと粘り強く説得し、彼女をデザイナーへの道へ進ませてくれた先生だった。

不幸な家庭にはいろいろな不幸が次々とやって来る。しかし、その中で力強く生きていく若者の姿が感動的に描かれている作品である。

「手のひらの音符」 藤岡陽子著 新潮文庫 2016年9月1日発行 630円+税
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by irkutsk | 2018-04-20 05:25 | | Comments(0)

「心がほっとするほとけさまの50の話」を読みました(4月11日)

d0021786_2039489.jpg「大切なことは、こんなにシンプル」と「はじめに」に書かれています。2600年前にお釈迦様が説かれた教えは非常にシンプルです。

最初に「どんな日だって、かならず「素晴らしい一日」にすることができます」と書かれています。「仏滅」とか「大安」などと言って気にしている人がいますが、お釈迦様は「この日はいい日この日は悪い日」と決めるのは間違いだと言っています。お釈迦様は「その人自身の心がけや行いが、よい日、悪い日を決めるのだよ」と教えられています。どんな日であっても、あなた次第で、素晴らしい日にすることができるのです。

「運が悪い」「ついてない」ことなんて、本当にあるのでしょうか。お釈迦様は、うまくいかないときは、運のせいにするのではなく、自分の行いを振り返りなさいと教えられています。

誰にどれだけ言ってもいい“魔法の言葉”。それは「ありがとう」という感謝の言葉です。この「ありがとう」という言葉は、誰に対しても、どれだけ言っても、相手との関係をよくしてくれる言葉です。

「周りと自分を比べてしまう―そんなときに“効く”お釈迦様の言葉」では、お釈迦さまは「自分のほうが優れている」と思う心を、「慢」「過慢」「慢過慢」に分けています。「慢」とは、自分よりも劣った人を見て、自分のほうが上だ、と思う心のことです。「過慢」とは、同じ程度の相手に対して、自分のほうが優れていると思う心のことです。「慢過慢」とは、自分より優れている相手に対して、素直に認められず、欠点を探して、「自分のほうが上だ」と思う心のことです。人は、相手の優れているところを認めたくないものです。何とか理由をつけて、自分のほうが優れていると思いたいものです。人との関わりの中で、相手と自分を比べては、優劣を気にして、気疲れしてはいないでしょうか。

こんな感じで50の短い話が書かれています。お釈迦さまのことばをやさしく解説してくれている本です。いつも手元に置いておいて、ことあるごとに何回も読み返し、お釈迦さまの教えを身につけたいものです。
 
「心がほっとするほとけさまの50の話」 岡本一志著 三笠書房・王様文庫 2018年3月28日発行 650円+税
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by irkutsk | 2018-04-11 20:38 | | Comments(0)

「おちゃめに100歳!寂聴さん」を読みました(4月10日)

d0021786_12595549.jpg66歳年下の秘書・瀬尾まなほさんが、寂聴さんとの7年間の生活を書いた本です。高校時代にいじめを受け、アメリカへ1週間ホームステイに行きそれが大きな転機になった。京都外国語大学に進学後は自分が何をしたいのかわからなくなった。そして1年間大学を休学し、就職もあきらめかけていた時、高校時代の友人から「まなほにぴったりのところがある。私を信じて」と声をかけられた。それが寂聴さんとの出会いだった。履歴書を送ったのは2010年10月。背骨を圧迫骨折した先生とはなかなか会えず、初めてかを合わせたのは卒業間際の翌年2月上旬のこと。

世間話をしているうちに採用がきまり、「3月から働けるわよね」と言われる。すぐに東日本大震災があり、避難所や仮設住宅にも出かけて行った先生。そしてこう言った。「人間が生きていくうえで、愛する人との別れは避けられない。私もたくさんの人を見送ったの。死に別れることは、最もつらい苦しみだけど、やがてあなたも逝くのだから大丈夫。人はみんな、一人なのだから。」

まなほさんが来て、朝ご飯はパンになったこと。まなほさんの着ているもの、食べているもの、いろんなものに興味を持つ先生。そして彼女に「おかしいことはおかしいと声をあげる」と教える先生。縁あってめぐりあった二人が織りなす日々の生活のこまごまとしたことがまるで貴重な宝石のよう。彼女は先生のそばで一日でも長く過ごしたいと思っているし、先生もまなほさんのそばで楽しい日々を送っている。

「縁とはこういうものなんだなあ」と思いました。

「おちゃめに100歳!寂聴さん」 瀬尾まなほ著 光文社 2017年11月20日発行 1300円+税
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by irkutsk | 2018-04-10 05:00 | | Comments(0)

「いつまでも白い羽根」を読みました(4月7日)

d0021786_10572098.jpg2009年、藤岡陽子さんのデビュー作です。彼女自身、慈恵看護専門学校卒業生で看護資格を持っており、自分の経験を物語にしたのかもしれませんね。

主人公の木崎瑠美は大学に行きたかったのだが、高2の時に父親が体調を崩し、仕事をやめてしまい、お父さんの不調がいつまで続くかわからないから、大学受験は諦めてほしいと母親に言われた。部活のアーチェリー部もやめた。

高校を卒業し、4月から看護学校に通い始めたが、瑠美の心の中では大学へ行きたいという希望が残っていた。看護学校で友達になったのは山田千夏で、彼女のおかげで大変な看護学校の実習も何とか乗り越えられたのだった。幼い二人の子どもがいる主婦の佐伯典子やクラス一の美人藤野藤香など周りの人たちとの葛藤や、それぞれが抱える事情などなかなか読み応えのある内容である。

実習では肝臓がんの末期患者・千田に孫に田上を渡してくれと頼まれる。また彼の食道静脈瘤が破裂して、血まみれになって最期を迎える現場に立ち会うことになった。預かった手紙を孫に渡したというのが、あとで問題になり教員に叱られた。

最期の実習で担当したのは小児科の八木友香ちゃんという8歳の女の子だった。友香は4度の手術歴があり地方の病院から今年の4月に転院してきている。母親は週に1回、日曜日に会いに来てくれるがそれ以外は一人で過ごさなければならない。彼女の病名は脳腫瘍だった。

3年間の看護学校の生活の中でいろんなことがあったが、卒業できたのは100人中、62人だった。山田千夏は最後の実習で担当していた生後10か月の赤ん坊(心臓病で入院していた)が、ウイルスに感染したのか発熱が続いて、時々呼吸困難に陥っていた。千夏は看護記録に「呼吸が数秒停止」と書いたのだが、先生と担当の看護師は「呼吸が停止」というのは万一両親が読んだら大事になりかねないので、訂正するように千夏に言った。だが千夏は事実を曲げることはできないと拒否し、それなら実習放棄で退学になると言われたが、千夏は自分の正しさを貫いて退学したのだった。二人の子持ちの佐伯典子は夫と離婚し、子どもを連れて実家へ帰っていった。クラス一の美人藤野藤香は卒業を前にして自動車事故で亡くなった。

この本の中でよかったと思った箇所。山田千夏が瑠美に言った言葉。「ねえ、瑠美。人の好き嫌いってなんだと思う? 特別に自分に何かされたわけじゃないのに、どこかいけすかない人がいたり、逆に親切にされたわけじゃないのに好きだなと思う人がいたり、そういうのなんだと思う? それはね生きる姿勢なんだと思うんだ。その人の生きる姿勢が好きか嫌いか。それがその人を好きになるか嫌いになるかなんだよ。」

看護師を目指した学生たちが看護現場で経験し、感じた様々なことが書かれている最高の本です。

今日(4月7日)23:40から東海テレビでドラマ化された「いつまでも白い羽根」が放映されます。

「いつまでも白い羽根」 藤岡陽子著 光文社 2009年6月25日 1900円+税
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by irkutsk | 2018-04-07 10:57 | | Comments(0)

「ラストレシピ」を読みました(3月31日)

d0021786_14101936.jpg最期の料理請負人を名乗る佐々木満の物語である。佐々木は最期を迎える人に、思い出の料理を再現して食べさせるという奇妙な仕事をしていた。1回100万円という高額な報酬にもかかわらず、彼に依頼する金持ちはいた。

そんな佐々木が2014年6月27日にある中国人から電話をもらった。そして本当の依頼人は中国にいるので中国に来てほしいと言われた。

ここで話は1932年6月にとぶ。客席数6つの米国製新型旅客機に乗っていたのは32歳の山形直太朗と24歳の妻・千鶴だった。直太朗は宮内庁大膳寮という天皇陛下の食事を作るところに勤めた。ところが1932年の正月明け、上司に満州へ行ってくれと言われる。軍の仕事だというだけで詳細は知らされなかった。

再び2014年に戻り、佐々木は北京空港から迎えの車に乗せられ、連れていかれたのは釣魚台国賓館だった。そこで初めて依頼人のことについて聞かされた。そして秘書に「佐々木先生は『満漢全席』をご存知ですか」と聞かれる。「満漢全席は清の皇帝が宮廷料理人に作らせた、世界で一番スケールの大きなコース料理です。中国全土から最高級の食材や珍しい食材が集められ、食べるのに3日ぐらいかかったと言われています」と秘書が説明する。

そして実は「満漢全席」の日本版があったというのです。その名前は「大日本帝国食菜全席」というものだという。そして依頼人が現れた。彼の名前は楊晴明といい、釣魚台で30年以上、料理長として働いてきたという。そして報酬も5千万円出すという。佐々木が以前経営していたレストランの借金4800万円を返してもお釣りがくる。そして前金で500万円もらって、帰国した。

一方、1932年の山形直太朗と妻の千鶴は、大連に着き、旅順にあった関東軍司令部を訪れた。直太朗はそこで初めてどんな任務が与えられるのか耳にした。そして満漢全席(200品)を超える料理を作ってほしいと言われる。その名も「大日本帝国食菜全席」といい、費用はいくらかかってもいい、軍が出しますかと言われ、直太朗はその仕事を引き受ける。そして山形夫婦はハルピンに落ち着いた。1週間後、楊晴明という17歳の青年がやって来た。まだ若いのに料理経験は8年もあり、さらに清の宮廷料理人の元で修業し、満漢全席の心得もあり、ここに来る前は満州国失政の地位にある溥儀の料理を作っていたという。彼と直太朗の「大日本帝国食菜全席」作りが始まった。

だが残念なことに、この「大日本帝国食菜全席」は日の目を見ることはなかった。日本の天皇陛下が満州を訪れた際にお出しするものだと思っていたのは間違いだった。

「大日本帝国食菜全席」は春・夏・秋・冬の4冊に分かれていて、それが今どこにあるのかから調べなければならなかった。

「大日本帝国食菜全席」・秋の裏にヘブライ語で書かれた「愚か者にとって老年は冬、賢者にとっては黄金期」という言葉がキーワードになっていて、それを読み解いてから、「大日本帝国食菜全席」探しは進んでいった。

そしてどんどん読み進めていくと、予想もしなかった結末を迎え、うならされてしまった。


「ラストレシピ」 田中経一著 幻冬舎文庫 2016年8月5日発行 690円+税
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by irkutsk | 2018-03-31 11:09 | | Comments(0)

「夢のあとさき―帰郷祈願碑とわたし」を読みました(2月28日)

d0021786_1148266.jpgこの本の最初の部分には次のようなことが書かれていた。

1991年7月末、私は滞在先のとあるホテルで不思議な夢を見た。南の島とおぼしきだれもいない渚で私は一人佇んでいる。空はまるでトルコ石のように透明感のない鮮やかな青色だ。向こうから一人の青年が近づいてくる。人懐こい微笑みを浮かべながら私に近づいてくる。そしてこう言った。

「僕はね、ここで死んだんですよ。自衛隊の飛行機乗りだったんです。天皇陛下の御為に死んだことに悔いはないんですがね、ただ一つ残念なことがあるんです。それはね僕は朝鮮人だというのに日本人として、『日本の名前』で死んだことなんですよ」

彼が亡くなったのは自衛隊の飛行機乗りではなく、特攻隊の飛行機乗りだったのではないか。

4年後、読売新聞の日曜版に「女のしおり」というコーナーがあり、それへの原稿を依頼された。そして朝鮮人特攻兵のことを3回にわたって書いた。それを読んだ靖国神社の広報からから連絡があり、靖国神社を訪れた。夢に見たのはこの人ではないかと、1945年5月11日に沖縄戦で亡くなった光山文博(朝鮮名―卓庚鉉)という若者の写真を見せられた。彼は知覧飛行場を飛び立ち、沖縄西洋上にて戦死している。だが夢に出てきた青年がこの人かどうかよくわからなかった。

1999年5月30日、偶然ロケ先でテレビを見ていたら、特攻の母と呼ばれていた鳥濱トメさんのことを扱ったテレビ番組が放送されていた。そしてその中で光山さんの従妹・卓貞愛さんが出ていた。彼女に会うために黒田福美は釜山へ行く。

そして1985年、卓庚鉉さんの故郷・泗川市に日本人の光山稔さんという方がこの気の毒な朝鮮人青年を慰霊したいと泗川市西浦面に顕彰碑を建てようとしたが、マスコミに知られ「碑文が特攻賛美につながる」として地元で反対運動がおこり、断念していた。

その後、黒田福美も彼の故郷に慰霊碑を建てようとし、現地の人たちとも話し合い、碑文の内容も書き換え、のどかな田畑が広がる農道の一角に建てることに決まった。しかし話はその後、泗川市長をも巻き込んで、大々的になり、韓国のマスコミも大きく取り上げ、泗川市は最初200坪の緑地を提供すると言っていたのが、3000坪の公園に大きくなっていった。

だが2008年5月、慰霊碑の除幕式は現地の光復会と左派系政治団体「進歩連帯」が慰霊碑の建立に反対し、実力でも阻止すると通告してきた。やむを得ず予定されていた除幕式を中止し、その後慰霊碑は撤去された。慰霊碑はその後京畿道龍仁市にある法輪寺に置かれることになった。しかし光復会はさらに法輪寺にまで押しかけ、慰霊碑を埋めるように要求し、現在は八咫烏の彫像だけがじかに置かれ、碑文の書かれた本体は表面の碑銘を上にした形で4、5m離れたところに横たえられ、その胴体を半ば地中に埋めた形になっていて、その上に蓋をするような恰好で杉の木で作ったカバーのようなものがかぶせてある。

私も何度か韓国には旅行したことがあるが、個人としてみるといい人が多くお世話になったり、親切にしてもらったりしている。しかし、役所や国が出てくると、なかなか難しい問題が起こってくるようだ。黒田さんも最初の計画通り、のどかな田畑が広がる農道の一角に建てていれば、こんなごたごたにはならなかったのではないだろうか。

日韓の問題はなかなか根が深く、まだまだすっかり水に流しましょうとは言ってくれない状況である。それは日本政府の対応にも問題があるように思う。殴った人は早く忘れたいと思っているが、殴られた人はすぐには忘れられない。殴られた人が水に流しましょうと言ってくれるのをひたすら待つしかない。殴った人から水に流しましょうとは言うべきではない。

「夢のあとさき―帰郷祈願碑とわたし」 黒田福美著 三五館 2017年8月3日発行 1500円+税
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by irkutsk | 2018-02-28 05:44 | | Comments(0)

「ホイッスル」を読みました(2月25日)

d0021786_14192863.jpg2008年6月、母の聡子が「お父さんがいなくなったの」と電話をかけてきた。三日前から連絡が取れなくなって、今日、留守番電話に女の人と暮らすとメッセージが入っていた。それに、いつの間にか家を売ったみたいで、不動産屋が来て6月の末には家を出るように言われたという。父の章は家を売った金3850万円を持っていなくなったのだった。同じ横浜市内のマンションに住む一人娘の香織は夫と二人の小さな娘と4人で暮らしており、母親を引き取ることはできない。聡子の預金は200万程度しかない。とりあえず1Kのアパートを借りて引っ越した。

2008年7月、聡子は娘の香織と二人で弁護士事務所を訪れた。40歳の芳川弁護士と女性事務員・沢井が相手をし、裁判費用を説明するとあまりの高さに考え込む聡子だった。だが、章の相手の女を訴え、慰謝料をとることにした。

章の浮気相手はかつて入院していた病院の看護師・沼田和恵だった。彼女は章をだまして、金を巻き上げるために、好きでもない20歳以上も年上の章と関係を結んだのだった。彼女の家庭も悲惨な状態だった。夫の敏夫はうちに金を入れず、給料は風俗に使う。長男の星也は大学を卒業したが働いていない。次男の雷輝はゲームバばかりやっている高校生。

裁判の進行を軸に物語は進んでいくのだが、長年専業主婦として夫に尽くしてきただけの聡子が清掃会社で働くようになり、娘と姪に支えられながら強くなっていく様子が描かれている。

藤岡陽子の作品はどれを読んでも非常に興味深い内容である。

「ホイッスル」 藤岡陽子著 光文社 2012年9月20日発行 1600円+税
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by irkutsk | 2018-02-25 14:19 | | Comments(0)

「ふたご」を読みました(2月16日)

d0021786_8342578.jpg大人気バンド「SEKAI NO OWARI」のピアノ担当の紅一点、Saoriが初めて執筆した小説。
月島と「ふたご」になりたかった夏子。そしてそのためにどれだけ苦しんだことか。夏子は「ふたご」をどのようなものと思っていたのか。

小説は2部構成になっていて、1部は中学生の夏子と月島の話から始まる。一緒にDVDを借りに行ったり、いろんなことを素直に話したりする関係だった。例えば夏子が学校の先生に「スカートが短すぎます」と言われ、夏子は「どうしてスカートを短くしちゃいけないんですか」と聞いたら、先生は「ルールだから」と言ったという。ルールだからというのは説明になっていない。「じゃあどうしてルールは守らなければならないと思う?」と月島が夏子に聞く。夏子は考え、「法律だってルールでしょう。法律がなかったら世界は野蛮になって、怖くて外に出られなくなる」と答える。「でもスカートを短くしちゃいけないっていうルールはどうして守る必要があるんだろうね」と付け加える。月島は「俺が思うのは、大人の言ったことを、揚げ足取りみたいに考えても何にもならないってこと。それは結局言葉遊びに過ぎないと思う。でも本当に重要なのはルールの意味じゃないんだと思う」と答える。「ルールを守ることが必要なんだ。ルールの意味が重要なんじゃない。ルールを守ることに意味があるんだ。学校ではそれを学べってことだろう」と答える。

月島と夏子は1つ違い。月島が中学を卒業し、夏子は中学3年生になった。月島は高校に入ったが、夏子が高校生活について聞くと「つまらない」という。学校にもほとんど行っていない。「みんなが乗ってる列車に乗れない人生は非難される。ただ頑張る。理由もなく頑張るってことができない」と言う。

そんな月島は高校をやめてしまい、夏子が高校生になったとき、突然アメリカに行くことになったという。まず、アメリカンスクールに通って、来年の夏にアメリカへ行くと。父親に「留学とかしてみたらどうだ」と勧められ決めたというが、積極的に行きたいわけでもない。そして1年後、月島家の家族と夏子は留学する月島を送っていきがてら、一緒にアメリカへ行った。

一人きりになった月島から日本の夏子に電話がかかってきた。「大丈夫じゃない」という。そして「帰りたい」と。ある日、月島は公衆電話から夏子に電話をかけていた時、突然倒れた。パニック障害ということだった。結局月島は帰ってくることになった。

帰国した月島が夏子の家を訪ねてきたが、弟は「月島君の話し方、ちょっと普通じゃなかったよ」と言った。月島の精神状態は普通ではなく、除湿器を蹴飛ばし、月島は苦しそうな顔で息をし始めた。そして最後には夏子を押し倒し、血走った目で、夏子に馬乗りになって、首筋にカッターナイフを当てていた。

月島は精神病院に入院することになり、夏子は大阪のおばの家へ行った。やがて月島は退院し、また夏子とも会うようになった。第一部の最後には次のように書かれていた。「自分たちは双子のように、すべてを共有することなんて出来ないと分かるまでに、何年費やしたのだろう。どうしてこんなに苦しまなければならなかったんだろう。もしわたしたちが本当にふたごだったら、こんなに苦しむこともなかったはずだ」

第二部は月島がバンドをやりたいと言って、工場跡の地下室を借り、メンバーを集め、地下室を改装し、メンバーとのいざこざがあり、夏子はかなりボロボロになって、それでも月島の要求に付き合い自分を追い詰めていくという、読んでいても辛くなるような内容だ。結局「SEKAI NO OWARI」として成功するんだけど……。

夏子の我慢強さが貫かれている内容だった。同じストーリーを月島の側から見るとどう見えているのだろうと興味がわいた。

「ふたご」 藤崎彩織著 文芸春秋 2017年10月30日発行 1450円+税
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by irkutsk | 2018-02-16 05:32 | | Comments(0)

「忖度バカ」を読みました(2月11日)

d0021786_538947.jpg森友、加計学園問題で官僚の忖度が問題になり、「忖度」というあまり使われてこなかった言葉が新聞紙面をにぎわすことになり、流行語にもなりました。本書は本来「忖度」とはどういうものか。現在、官僚が政治家に対して行っている「忖度」とはどういうものか。「忖度」をキーワードに人間の生き方にも言及した、一冊である。

昨年、10月8日に名古屋駅前の「ウインクあいち」で益川先生と対談をされたときの話も書かれてあり、友人と聞きに行ったのを思い出し、「あー、そういえばこんな話もしていたな」と親近感を感じました。

さて内容ですが、本の中から少しだけ紹介しておきたいと思います。
「序章」では日本に蔓延する「忖度症候群」について書かれています。その典型的な症状は「あなたのため」「会社のため」「国のため」と、相手のことを思いやる形をとりながら、実は相手の行動や考えをコントロールしようとしたり、見返りを期待して、しがみつこうとします。

症状は「視野狭窄」(「見たいもの以外は見なくなります」)、「記憶障害」(忖度の対象者や自分自身に都合の悪いことを選択的に、時には意識的に忘れてしまいます)、「認知のゆがみ」、「言葉のすり替え」、「事実の隠ぺい」、「レッテル貼り」、「過剰適応」(自分の主張ができなくなり、周囲の人々の顔色うかがうようになってきます)、「共依存」(「あなたのため」という自己犠牲的なふるまいは、実は相手をコントロールしようという動機にもとづいているので、本当の意味で相手のためにはならないことがほとんど)。

病気が進行すると、忖度という先回りの服従によって、一時的に成功し、他者や組織、権力と一体感を得たような錯覚に陥りますが、他者や組織、権力側の采配ひとつで、失脚することもままあります。

忖度症候群が発生しやすい社会とは、反グローバル主義、排外主義、保護主義経済……と、急速に内向きに閉じようとしている世界。見えない壁を築いて、自分を守っているのか。それとも壁の中に囚われているのか。壁は、忖度症候群がはびこるぼくたちの社会の、まるで心象風景のようです。日本でのヘイトスピーチが広がり、テレビ番組では、日本を自画自賛する内容のものが受けたりしています。こうした日本礼賛は、戦争に向かう時代にもありました。

「忖度症候群」の症状で特に気になるのは、権力や組織にしがみつこうとすることです。その背景には、自分を認めてもらいたいという欲求が垣間見えます。自己肯定感が低く、努力してきたのに報われていないと感じている可能性があります。先行きの見えない不安、のしかかる閉塞感をひしひしと感じながら、お互いの意識に過敏に反応してしまう「忖度症候群」。ぼくたちは、この警告をどのようにとらえ、生かしていくべきなのでしょか。

「忖度バカ」 鎌田實著 小学館新書 2017年12月4日発行 800円+税
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by irkutsk | 2018-02-11 05:38 | | Comments(0)

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