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「ふたご」を読みました(2月16日)

d0021786_8342578.jpg大人気バンド「SEKAI NO OWARI」のピアノ担当の紅一点、Saoriが初めて執筆した小説。
月島と「ふたご」になりたかった夏子。そしてそのためにどれだけ苦しんだことか。夏子は「ふたご」をどのようなものと思っていたのか。

小説は2部構成になっていて、1部は中学生の夏子と月島の話から始まる。一緒にDVDを借りに行ったり、いろんなことを素直に話したりする関係だった。例えば夏子が学校の先生に「スカートが短すぎます」と言われ、夏子は「どうしてスカートを短くしちゃいけないんですか」と聞いたら、先生は「ルールだから」と言ったという。ルールだからというのは説明になっていない。「じゃあどうしてルールは守らなければならないと思う?」と月島が夏子に聞く。夏子は考え、「法律だってルールでしょう。法律がなかったら世界は野蛮になって、怖くて外に出られなくなる」と答える。「でもスカートを短くしちゃいけないっていうルールはどうして守る必要があるんだろうね」と付け加える。月島は「俺が思うのは、大人の言ったことを、揚げ足取りみたいに考えても何にもならないってこと。それは結局言葉遊びに過ぎないと思う。でも本当に重要なのはルールの意味じゃないんだと思う」と答える。「ルールを守ることが必要なんだ。ルールの意味が重要なんじゃない。ルールを守ることに意味があるんだ。学校ではそれを学べってことだろう」と答える。

月島と夏子は1つ違い。月島が中学を卒業し、夏子は中学3年生になった。月島は高校に入ったが、夏子が高校生活について聞くと「つまらない」という。学校にもほとんど行っていない。「みんなが乗ってる列車に乗れない人生は非難される。ただ頑張る。理由もなく頑張るってことができない」と言う。

そんな月島は高校をやめてしまい、夏子が高校生になったとき、突然アメリカに行くことになったという。まず、アメリカンスクールに通って、来年の夏にアメリカへ行くと。父親に「留学とかしてみたらどうだ」と勧められ決めたというが、積極的に行きたいわけでもない。そして1年後、月島家の家族と夏子は留学する月島を送っていきがてら、一緒にアメリカへ行った。

一人きりになった月島から日本の夏子に電話がかかってきた。「大丈夫じゃない」という。そして「帰りたい」と。ある日、月島は公衆電話から夏子に電話をかけていた時、突然倒れた。パニック障害ということだった。結局月島は帰ってくることになった。

帰国した月島が夏子の家を訪ねてきたが、弟は「月島君の話し方、ちょっと普通じゃなかったよ」と言った。月島の精神状態は普通ではなく、除湿器を蹴飛ばし、月島は苦しそうな顔で息をし始めた。そして最後には夏子を押し倒し、血走った目で、夏子に馬乗りになって、首筋にカッターナイフを当てていた。

月島は精神病院に入院することになり、夏子は大阪のおばの家へ行った。やがて月島は退院し、また夏子とも会うようになった。第一部の最後には次のように書かれていた。「自分たちは双子のように、すべてを共有することなんて出来ないと分かるまでに、何年費やしたのだろう。どうしてこんなに苦しまなければならなかったんだろう。もしわたしたちが本当にふたごだったら、こんなに苦しむこともなかったはずだ」

第二部は月島がバンドをやりたいと言って、工場跡の地下室を借り、メンバーを集め、地下室を改装し、メンバーとのいざこざがあり、夏子はかなりボロボロになって、それでも月島の要求に付き合い自分を追い詰めていくという、読んでいても辛くなるような内容だ。結局「SEKAI NO OWARI」として成功するんだけど……。

夏子の我慢強さが貫かれている内容だった。同じストーリーを月島の側から見るとどう見えているのだろうと興味がわいた。

「ふたご」 藤崎彩織著 文芸春秋 2017年10月30日発行 1450円+税
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by irkutsk | 2018-02-16 05:32 | | Comments(0)

「忖度バカ」を読みました(2月11日)

d0021786_538947.jpg森友、加計学園問題で官僚の忖度が問題になり、「忖度」というあまり使われてこなかった言葉が新聞紙面をにぎわすことになり、流行語にもなりました。本書は本来「忖度」とはどういうものか。現在、官僚が政治家に対して行っている「忖度」とはどういうものか。「忖度」をキーワードに人間の生き方にも言及した、一冊である。

昨年、10月8日に名古屋駅前の「ウインクあいち」で益川先生と対談をされたときの話も書かれてあり、友人と聞きに行ったのを思い出し、「あー、そういえばこんな話もしていたな」と親近感を感じました。

さて内容ですが、本の中から少しだけ紹介しておきたいと思います。
「序章」では日本に蔓延する「忖度症候群」について書かれています。その典型的な症状は「あなたのため」「会社のため」「国のため」と、相手のことを思いやる形をとりながら、実は相手の行動や考えをコントロールしようとしたり、見返りを期待して、しがみつこうとします。

症状は「視野狭窄」(「見たいもの以外は見なくなります」)、「記憶障害」(忖度の対象者や自分自身に都合の悪いことを選択的に、時には意識的に忘れてしまいます)、「認知のゆがみ」、「言葉のすり替え」、「事実の隠ぺい」、「レッテル貼り」、「過剰適応」(自分の主張ができなくなり、周囲の人々の顔色うかがうようになってきます)、「共依存」(「あなたのため」という自己犠牲的なふるまいは、実は相手をコントロールしようという動機にもとづいているので、本当の意味で相手のためにはならないことがほとんど)。

病気が進行すると、忖度という先回りの服従によって、一時的に成功し、他者や組織、権力と一体感を得たような錯覚に陥りますが、他者や組織、権力側の采配ひとつで、失脚することもままあります。

忖度症候群が発生しやすい社会とは、反グローバル主義、排外主義、保護主義経済……と、急速に内向きに閉じようとしている世界。見えない壁を築いて、自分を守っているのか。それとも壁の中に囚われているのか。壁は、忖度症候群がはびこるぼくたちの社会の、まるで心象風景のようです。日本でのヘイトスピーチが広がり、テレビ番組では、日本を自画自賛する内容のものが受けたりしています。こうした日本礼賛は、戦争に向かう時代にもありました。

「忖度症候群」の症状で特に気になるのは、権力や組織にしがみつこうとすることです。その背景には、自分を認めてもらいたいという欲求が垣間見えます。自己肯定感が低く、努力してきたのに報われていないと感じている可能性があります。先行きの見えない不安、のしかかる閉塞感をひしひしと感じながら、お互いの意識に過敏に反応してしまう「忖度症候群」。ぼくたちは、この警告をどのようにとらえ、生かしていくべきなのでしょか。

「忖度バカ」 鎌田實著 小学館新書 2017年12月4日発行 800円+税
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by irkutsk | 2018-02-11 05:38 | | Comments(0)

「シベリア抑留最後の帰還者」を読みました(2月9日)

d0021786_612516.jpg明治32年、福島県山都町に生まれた佐藤健雄は旧制会津中学校を卒業後、東京外国語学校ロア語学科に進み大正12年に卒業した。故郷の家屋を親戚に譲り、母・マサとともに満州に渡り、大連の南満州鉄道に入社した。満鉄には調査部があり、仮想敵国ソ連の国力を調べることが、重要な責務の一つであった。ロシア語の専門教育を受けた健雄はそこに配属された。昭和3年、寺田とし子と結婚し、二人の男の子(長男は1歳ほどで病死)と4人の女の子をもうけた。北京、ハルピン、大連と転勤し、終戦は大連で迎えた。8月9日、ソ連が満州国に攻め込んできたとき、関東軍主力部隊はいち早く満州を放棄し、自国民を守ることはなかった。

健雄は満鉄きってのソ連通であり、ソ連との折衝を指揮した。そして交渉が終了すると健雄は連行された。当時、政府や関東軍は在留日本人を「賠償」としてソ連に提供したのだった。60万人がソ連に抑留され、ソ連各地で厳寒の中、過酷な労働を強いられた。約1割が抑留中に命を落とした。抑留は飢えと重労働、極寒との戦いだった。抑留当初はソ連は旧日本軍の軍秩序を維持・利用して捕虜たちを支配したが、その後「民主化運動」が始まり、ソ連礼賛、旧日本軍秩序破壊が進んだ。

健雄はチタ、スヴェルドロフスク、ウスチ・カメノゴールスク、ジェスカズガン、カラガンダ、ハバロフスクと6つの収容所転々とさせられた。また、満鉄調査部にいてソ連に関する調査活動を行ったとして「戦犯」として取り調べられ、矯正労働25年の判決を受けた。

抑留が始まって1年以上がたち、母国へ手紙を出すことが認められた。しかし、ソ連軍による検閲があり、抑留の実態を書くことは禁じられていたし、郵便を許可する抑留者はソ連軍によって選別されていた。ハガキはすべてカタカナで書く、「元気でいる」「心配しないで」以外のことを書くと内地に届かない、ペン、インクは各自で用意する、1週間以内に集約するというものだった。

1946年12月に始まった集団引き上げは1950年4月22日の「信濃丸」をもって中断した。スターリンが死に、「雪解け」が進む中、53年11月に3年半以上の空白を経て集団引き上げは復活した。抑留者と日本内地との往復はがきも復活した。佐藤健雄からの最初のハガキが会津若松の親戚宅に届いたのは、1952年の夏だった。家族がどこにいるか、また生死さえもわからず、親戚宅へ送ったのである。健雄のハガキが届き、一家は驚き、喜んだ。その後健雄と家族とのハガキのやり取りが進むのだが、出したすべてのハガキが届くわけではなく、ソ連当局によって破棄されたものもあったようだ。それでも52通の手紙が届き、家族の様子、健雄の様子が伝えられ、そのハガキを頼りに家族は健雄の帰還を待っていた。

この52通の手紙はファイルに入れられて大切に保管されていた。

1956年12月26日、最後の帰国船「興安丸」が舞鶴港に帰還した。健雄もこの船で帰ってきた。11年ぶりに日本に帰ってきた健雄を迎えたのは兄と息子の倫弘だった。抑留者は帰国しても抑留時代の夢を見て苦しめられていた。また帰国後もソ連帰りということで就職もままならず、帰国後も苦労は続いていた。

シベリア抑留の体験記はすでにたくさん出されているが、いったいどのくらいの人がこれらの本を読み、シベリア抑留の実態、どうしてシベリア抑留という悲惨なことが起こったのか、シベリア抑留者に対して日本政府はどういう態度をとったのか。日本人として知っておいてもらいたい過去の歴史である。

「シベリア抑留最後の帰還者」 栗原俊雄著 角川新書 2018年1月10日 820円+税
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by irkutsk | 2018-02-09 06:10 | | Comments(0)

「晴れたらいいね」を読みました(2月1日)

d0021786_6112382.jpg2015年、高橋紗穂は東京の総合病院で働いていた。深夜勤務をしていたある日、紗穂は患者の病室を見回っていた。801号室の雪野サエの病室に行き、いつものように声をかけていた。サエは2年前から脳梗塞で意識がないままの状態が続いていた。その雪野サエが紗穂の腕をきつく摑んだので、紗穂はサエの意識が戻ったのかと思い、ナースコールをして同僚にすぐに来てもらおうとしたその時、地震が起こった。

激しい揺れの後、目が覚めると紗穂はベッドに寝かされていた。「大丈夫か?意識はあるか」という男の人の声、「雪野さん?聞こえてる?」という女性の声。紗穂は、自分は地震にあい、雪野と一緒に救助されたのだと思った。

ところが様子が変だ。自分のことを雪野サエと呼んでいる。女は「あなたは昨日、勤務が終わってから丸一日宿舎に戻ってこなかったのよ。町から外れたパシグ川の川岸で倒れているなんて、いったい何をしていたの」という。紗穂は、今日は何日ですかと聞くと、8月16日だという。その後何年の8月16日か、今どこにいるのかを聞いて驚く。1944年8月16日、場所はフィリピンのマニラ。雪野は赤十字の従軍看護婦として働いていた。

紗穂は途方に暮れるが、いつか元の世界に戻れるだろうと、当面は雪野サエとしてこの世界で生きていくことにした。

しかし戦況は悪化していき、雪野たちはマニラから日本へ帰ることになった。喜んだのもつかの間、すぐに帰国の命令は取り消され、マニラの北にあるバギオへ行くことになる。列車に乗り、途中からはトラックに乗り、最後は歩いて。その時に紗穂が疲れ果てたみんなを元気づけるために歌った歌がドリカムの「晴れたらいいね」だった。みんなは変な歌と言っていたが、覚えて一緒に歌いながら歩いた。

戦況はさらに悪化し、バギオからさらに北の方へ歩いていくことに。

従軍看護婦がどんな過酷な仕事をしてきたのか、そして兵隊たちは彼女たちの優しさにつかの間救われ、また戦地へと戻っていった当時の状況がリアルに描かれているすばらしい作品でした。

結末を言ってしまうと、紗穂は現代の世界に戻ってくることができます。しかし、1年間雪野サエとしてセンチで働いた経験はしっかりと覚えていました。

単なる従軍看護婦の従軍記録ではなく、2015年の常識をもってタイムスリップした紗穂が、それを当時の人たちに伝える場面もあり、当時の軍国主義一色の考え方に一石を投じることが度々ありました。かつて国のために戦い、死んでいくのが当たり前だった日本を再び出現させてはならないと思いました。

「晴れたらいいね」 藤岡陽子著 光文社 2015年7月20日発行 1200円+税
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by irkutsk | 2018-02-01 06:10 | | Comments(0)

「満天のゴール」を読みました(1月27日)

d0021786_1162996.jpg奈緒が小学4年生の息子涼介と二人で故郷の丹後半島にある実家へと向かうところから小説は始まる。奈緒が故郷を出たのは22歳の時。そして今、11年の時が経っている。京都から乗った特急を宮津で降り、そこからまたバスで2時間。バスは15分前に出たばかりで、次のバスまで1時間近くも来ない。

奈緒は東京で、家族3人で暮らしていたが、夫の浮気が発覚し、しかも夫はその相手と結婚したいので別れてくれと告げたのだった。

奈緒は夫の寛之の気持ちが変わることを期待して、夏休みに入ったばかりの涼介を連れて実家へ向かっているところだった。

駅前のバス乗り場で、一人の老婦人が雨の中で倒れているのを見つけた涼介が駆け込んでくる。奈緒は彼女に駆け寄り「救急車を呼びましょうか」と尋ねるが、タクシーで帰るから大丈夫と、ちょうどやってきたタクシーに乗っていった。奈緒はその声にどこか聞き覚えがあった。

実家は年老いた父が一人で暮らしていた。兄は結婚してうちを出、京都に住んでいる。母はまだ奈緒が故郷にいた時に亡くなった。涼介と奈緒の父が畑に出かけたが、父が運転するトラックが軽い接触事故を起こしたという連絡が入った。電話をかけてきたのは事故の相手ではなく、たまたま通りかかったという海生病院の医師・三上からだった。父は大腿骨骨折で入院することになった。京都の兄に連絡して、すぐ来てもらおう、そして自分は明日東京に帰ろうと思っていたが、兄からはすぐには行けないとつれない返事が戻ってきた。

奈緒は仕方なく故郷にしばらく残ることにした。そして海生病院で看護師を募集していて、奈緒は看護師として働いた経験は全くないが一応資格は持っているので、そこで働くことにした。こどもと二人、生活していくためには仕方なかった。

そして、父が事故にあったとき連絡をしてくれた海生病院の医師・三上と、彼が往診している、近所に住む早川さん、神社の神主をしていたトクさんなど一人暮らしの高齢者との関わり合いが描かれている。早川さんは奈緒と涼介が宮津の駅で助けたおばあさんだった。トクさんも早川さんもがんに侵されていたが、手術や抗がん剤治療を拒否し、自宅で一人で生活していた。そして三上の往診と訪問看護を受けていた。

彼らはゴールを目指して生きていた。三上医師に頑張ったご褒美にと星のシールをもらい、それを画用紙に張り付けていた。満天のゴールを目指して。この星のシールは三上が子供の時、アル中の父親と、彼を育ててくれた祖母の看病に明け暮れていた時、訪問看護師として来ていた早川から頑張ったご褒美としてもらっていたものだった。

この本の中で気に入った言葉をいくつか書き留めておきます。
「親が子供に何かをしてやれる期間はそう長くはない」
「子供が感じる幸せは貧富の差とは比例しない」
「死はゴールなのだ。人が死ぬということは、決して悲しいだけじゃない」
「誰にも救ってもらえないのなら、あなたが救う人になればいい。救われないなら救いなさい」
「自分の頑張りに星をくれる人がいる。それだけで人は生きられるのかもしれない」
「人は記憶の中に生きているのだ」

現役の看護師をしている著者ならではの小説でした。

「満天のゴール」 藤岡陽子著 小学館 2017年10月31日発行 1400円+税
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by irkutsk | 2018-01-27 05:05 | | Comments(0)

「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」を読みました(1月23日)

d0021786_10373852.jpg東京の上空に巨大な米軍専用空域があるのを知っていましたか。東京、神奈川、埼玉、栃木、群馬、山梨、長野、静岡の一都八県の上空をカバーする広大な空間が、米軍の完全な支配下にあり、日本の民間機はそこを飛ぶことはできないのです。この空域は米軍横田基地によって管理されているため「横田空域」と呼ばれています。羽田や成田を飛び立ち西へ向かう飛行機はこの空域を避けて急旋回、急上昇を強いられているのです。

さらに、米軍関係者は出入国審査を受けることなく自由に横田基地から出入国できるのです。横田基地だけではなく、六本木ヘリポート、横須賀基地など日本中の米軍基地からまるで国境がないかのように自由に出入りできるのです。この事実はまさに日本はアメリカの一部であるという現実を物語っています。

サンフランシスコ平和条約と安保条約が結ばれる1年前、トルーマン大統領は「日本中のどこにでも、必要な期間、必要なだけの軍隊を置く権利を獲得する」という方針を決定しています。

そして1950年、10月に米軍が作った旧安保条約の原案には次のように書かれていたのです。「この協定(=旧日米安保条約)が有効なあいだは、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない。ただし、アメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする」。「戦争の脅威が生じたと米軍司令官が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊も含めて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる」と書かれていたのです。完全にアメリカに従属し、世界中のあらゆる場所で、戦争が必要と米軍が判断したら、その指揮下に入って戦う自衛隊」が今、現実のものとなろうとしているのです。

第二次大戦後、日本を占領したアメリカのマッカーサープランでは、文字通り日本を「非武装中立」にし、沖縄を含む太平洋の主要な島々に国連軍を配置することによって守ることになっていた。また1950年3月ごろにはNATOの太平洋版として「太平洋協定」が想定されていました。メンバーはアメリカ、カナダ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランド、日本。

この時期の日本の独立に向けた安全保障の構想には、「日本のための安全保障」と「日本に対する(周辺諸国の)安全保障」という二つの側面がありました。

当時のアメリカの軍部は、米軍基地が使えなくなる可能性のある日本の独立、つまり平和条約の締結には絶対反対の立場でした。そこで考え出されたのが、「政治と経済については日本との間に「正常化協定」を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」という方針でした。

マッカーサーは、日本占領において夢見ていた「国連軍構想」、つまり個別国家は戦争する権利を持たないとする新しい時代の集団安全保障構想を持っていました。そしてそれができる前からつぶすことを決めていた人物がダレスだったのです。

もともと占領軍の位置づけは、ポツダム宣言にもとづいて日本を占領し、徹底的にその軍事力を破壊して上で、二度とアメリカや世界に危害を加えない民主的な国につくりかえる、その目的が達成されたときは、平和条約を結んで、直ちに撤退するというものでした。

ところがその後、朝鮮戦争が勃発し、日本は国連軍のようなアメリカとの間に安保条約を結び、国連軍基地のような米軍基地を米軍に提供し、国連軍のような在日米軍の戦争に協力することになったのです。

朝鮮国連軍においては国連の関与が一切排除された形で、米軍の統一指揮権が確立されました。朝鮮戦争に伴い日本国内の米軍は朝鮮へ送られ、マッカーサーはその穴埋めに7万5000人の警察予備隊の創設、海上保安庁の8000人の増員を指示したのでした。これで日本国憲法9条2項は事実上破棄されました。

有名なインチョン上陸作戦と同じ時期に東側のウォンサン上陸作戦も計画されており、そのために必要だった機雷除去のために海上保安庁の掃海艇部隊が派遣され、軍事作戦に参加しています。そして1隻の掃海艇が機雷に触れ、爆発、沈没し、死者1名、負傷者18名の犠牲者を出しています。

戦後史の原点に立ち戻ると、日本を武装解除し、二度とアメリカや世界に対して武力を行使することのないようにするという計画であったが、朝鮮戦争の勃発によって、日本を再軍備させ、その指揮権は米軍が握るという現在の体制が作られていったのは日本国民にとっては大きな不幸であり、禍でした。しかし、それを支え、推進した日本の政治家がいたということも忘れてはならなりません。

「戦後レジームからの脱却」と言いながら、戦後レジームにどっぷりと浸り、多くの国民が米軍の犠牲になっても、何ら手助けをしてくれない現在の日本政府に対してNOを突きつける必要があります。

忘れかけていた、戦後日本の再出発と、朝鮮戦争による実質的な憲法9条第2項の破棄、再軍備、そしてその指揮権が有事には米軍の統一指揮権の下におかれるという日本の現実に気づかせてくれた貴重な本でした。

「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」 矢部宏治著 集英社インターナショナル 2016年5月31日発行 1200円+税
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by irkutsk | 2018-01-23 10:36 | | Comments(0)

「祭りの場・ギヤマンビードロ」を読みました(1月4日)

d0021786_5365063.jpg1945年8月9日、14歳で長崎高等女学校在学中に勤労動員で、三菱兵器工場で被爆した著者の体験をもとに書かれた話である。

「祭りの場」は著者が体験した8月9日を描いたもので、三菱兵器に動員されていた7500名のうち6200名が死亡。林京子がいた工務部A課は小舎に似つかわしい建物だったのが幸いした。レンガ造りの3階建にいた友人3人は崩れたレンガが重すぎて焼け死んだ。ガラス窓のために全身ガラスまみれのハリネズミになった者もいた。林京子は倒れた家屋から抜け出し広場へと行くが、そこでは出陣の踊りを踊っていた学徒らが即死していた。

原爆爆発後、身体に何が起こったか。林京子は次のように書いている。「熱戦が先ず来りて皮膚に火傷を生じ、そのため皮膚は脆弱となる。次に強力な爆圧が到来して皮膚に作用したが、健康部はそのまま残り、火傷部のみが千切れ、剥離したのである」。

林京子は吐き気がして、白い泡を吐いた。そして水状の下痢をした。草のしぼり汁の色をしていた。早発性消化器障害である。やがて食欲不振、腹痛、下痢に襲われた。

その様子を次のように書いている。「体の衰弱はひどく食欲はない。脱力感は日を追って強くなり、自分の頭が重たい。ある日、腕を見ると直径2ミリほどの赤い斑点がある。手首から腕にかけた外側に相当数ある。赤い斑点は毛根を中心にして肉が浮いている。毛根のきわが一層赤く色づいている。斑点の中心から膿が広がった。」

林京子は苦しみながらも、そしてその後も後遺症や放射線障害を恐れながら、また子どもへの影響にもおびえながら生きていた。それらの被爆者のことを「ギヤマンビードロ」では描いている。

73年前の原爆投下によって、繰り広げられた地獄絵図。そして生き残った者も長く続く放射線障害とその未知の身体への影響におびえながら、また被爆したことに対する差別などに苦しみながら生きてきた。原子力の平和利用と言って、原発をどんどん作ってきたが、チェルノブイリで、福島で起こった事故は多くの人々の平和な生活を奪い、放射線の影響はまだまだ未知の領域で、不安におびえながら生きなければならない多くの人たちのことを考えると、核は兵器としてはもちろん、原発としても使用するべきではない。

73年前の原爆、7年前の福島の原発事故を経験しながらも、また原発を再稼働させ、海外へ売り、惨事がさらに繰り返される危険を犯している。原発に至ってはほかに自然エネルギーの利用という選択肢があるにもかかわらず、政権を握っている人たちは原発は安い、二酸化炭素を出さない、環境にやさしいと言って原発をやめようとしない。金正恩、トランプ、安倍、その他核兵器を持っている、そして造っている人たちにこそこの本を読んでほしい。また核の被害を何度も被った日本人として、若い人たちにも是非読んでほしいと思う。

「祭りの場・ギヤマンビードロ」 林京子著 講談社文芸文庫 1988年8月10日発行 1200円+税
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by irkutsk | 2018-01-04 05:35 | | Comments(0)

「60歳からの外国語修行 メキシコに学ぶ」を読みました(12月5日)

d0021786_1159309.jpg著者の青山南さんはアメリカ小説を翻訳、紹介する仕事をしており、何回もスペイン語を勉強しようと、NHKのラジオ講座に挑戦するが、聞くのは4月と10月だけで挫折してしまっていた。スペイン語が話されている環境に行けば覚えられるのではと、60歳にしてメキシコへ語学留学することに。

2010年4月からグアダラハラで10か月、そしてその6年後オアハカで三週間、スペイン語を勉強した筆者が綴った語学の勉強法である。

以下はこの本に書かれてあったことで、今まで私が知らなかったことである。
16世紀前半にスペインに銀や言語を奪われたメキシコ、中南米でスブラジルを除いてスペイン語が話されるのはスペインによる侵略の産物である。

2000年の国勢調査によると、アメリカにおけるヒスパニック系人口は3530万人強で、従来最大のマイノリティであったアフリカ系の12.3%を上回った。

著者がグアダラハラでホームステイしたのは70歳と75歳の姉妹の家で、二人ともスペイン語しか話せなかった。彼が入った学校でクラス分けの試験があり、彼は一番下のNivel uno(レベル1)だった。そのクラスは5人で、彼の他にはイギリス人、カナダ人、オーストラリア人、韓国人がいた。

スペイン語の単語は通常後ろから2番目の母音にアクセントがある。例外にはアクセント記号をつける。

Stで始まる英語の単語はスペイン語ではestとなる。例えばstudy→estudiar、state→estado、studio→estudioなど。

スペイン語では「r」で始まる単語は「r」を巻き舌で発音しなければならない。「rr」が入っていたらこれも巻き舌で発音する。

メキシコではバスのことをカミオンと言うが、停留所の無いバス停がたくさんあり、教師に聞いてみたら、2、3ブロックごとに止まることになっているという答えが返ってきた。しかもバス停らしきところでぼんやり待っていたらバスが通過してしまい、客は必至でカミオンを止めなければならない。

全身を耳にして街を歩いていると、「……ベルダー?」とそのあとに相手から言われる「マンデ」という言葉がよく耳についたので、教師に聞いてみると、前者は「~でしょう、そう思わない?」、そして「マンデ」は「今なんて言った?もう一回言って」という意味だそうだ。

楽しく読めた本でした。外国語は簡単に学べるものではない。しかし語学を勉強するのはおもしろいということがよくわかる本でした。

「60歳からの外国語修行 メキシコに学ぶ」 青山南著 岩波新書1678 2017年9月20日発行 820円+税
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by irkutsk | 2017-12-05 11:59 | | Comments(0)

「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」を読みました(11月25日)

d0021786_1685527.jpgなぜ日本はアメリカの意向を拒否できないのか。なぜ日本で米軍が犯罪を犯しても日本の警察や検察が裁けないのか。米軍関係者や米政府関係者は直接横田基地経由で日本へ自由に出入国できるのはなぜか。日本の空を飛ぶ飛行機は米軍の設定した空域以外しか飛べない。米軍をめぐる様々な理不尽があるが、それらは一向に解決されなかったし、これからも自民党政権が続く限り解決される見込みはない。

1952年サンフランシスコ講和条約で、形式上、日本は独立国となった。しかし、米軍による事実上の占領状態は戦後70年以上たった今も継続している。

占領下の日本では米軍の権力はオールマイティでしたが、戦後も占領期の特権を持ち続けるために作られたのが日米合同委員会である。この組織のトップにニイチする本会議には日本側6人、アメリカ側7人が出席して、月2回、日本側代表が議長の時は外務省で、アメリカ側代表が議長の時は米軍基地内の会議室で行われている。そして30以上の分科会を持ち日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対して、アメリカ側メンバーはたった一人を除いて全員が軍人だということだ。

当初米軍の占領政策は日本を決してアメリカに歯向かうようなことのないように、軍事力を放棄させ、軍隊を持たせないという政策だった。ところが1950年に朝鮮戦争が勃発し、日本に駐留していた米軍は朝鮮へ派遣され、日本が空っぽになってしまうのはまずいということで、警察予備隊を日本に作らせたというわけだ。その後、自衛隊と名称を変えたが、当初米軍が押し付けた憲法の軍備放棄の条項があるため、自衛隊は専守防衛に徹し、海外へ行くことはできないと当時の政府も言っていた。しかし、自衛隊は非常時には米軍の指揮下に入るという密約を結んでおり、自衛隊は日本の軍隊と言うよりは、アメリカの軍隊の別動隊と言う位置づけになっている。そして、それを密約レベルではなく、法的にも集団的自衛権の行使として外国へも派遣できるという改正を行ったのである。

ロシアとの北方領土返還交渉において、ロシアが求めている、返還した北方領土に米軍基地を作らないという確約は決してできず(米軍は日本のどこにでも基地を作ることができるという密約があるので)、したがって北方領土が返還される可能性はゼロである。

日本はちゃんとした独立国で、アメリカとは対等な同盟関係を結んでいるのだと思っている人にぜひ読んでほしい一冊である。

「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」 矢部宏治著 講談社現代新書 2017年8月20日発行 840円+税
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by irkutsk | 2017-11-25 16:09 | | Comments(0)

「三度目の殺人」を読みました(11月19日)

d0021786_5511633.jpg弁護士の重盛(46歳)は司法修習の同期で“ヤメ検“の弁護士・摂津(53歳)から、「助けてくれ」という電話をもらう。摂津はとある殺人事件の国選弁護人をしているのだが、被告人を持て余しているというのだ。

事件は被告人・三隅(58歳)が勤め先のヤマナカ食品の社長を殺害し、財布を奪い、遺体にガソリンをかけて焼いたという強盗殺人、死体遺棄という罪状だった。セッツは情状酌量を狙っているようだが、無理だと重盛は思った。

三隅は30年前に北海道で強盗殺人で2人を殺害し、その家ごと燃やしているのだ、強盗殺人に現住建造物放火で無期懲役。昨年、仮釈放になったばかりだ。この事件の裁判の裁判長を務めたのは重盛の父だった。

拘置所へ重盛の事務所の“ノキ弁”をやっている川島と摂津の3人で被告人に会いに行く。三隅は社長の殺人を認めており、「会社で金庫の金を盗んで解雇され、殺人の当日は酒を飲んでヤケになって、河川敷で後ろからスパナで殴って殺害し、勤めていた工場へ行ってガソリンを取ってきて遺体を焼いたという。

重盛は三隅に対して違和感を感じていた。どこか空疎なのだ。他人事のように、自分で犯した殺人事件のことを話している。

その後、調べていくうちに次々と様々な事実がわかってくる。三隅は本当に殺したのか?誰かの罪をかぶって身代わりになっているのではないか。

弁護士とは真実を明らかにするのか、被弁護人の利益のためには真実は必要ないのか。弁護士・重盛も事件の真相を突き止められなかったのか。

最後まで読んでも、だれが真犯人だったのかわからなかった。重盛自身の、三隅の、そして殺された山中食品の社長にかかわる父親と娘という関係を横糸に物語は展開していく。

映画は見逃したので、ぜひDVDを借りて見たいと思った。

「三度目の殺人」 是枝裕和、佐野晶著 宝島社文庫 2017年9月20日発行 650円+税
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by irkutsk | 2017-11-19 05:51 | | Comments(0)


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